odd_hatchの読書ノート

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北島正元「日本の歴史18 幕藩制の苦悶」(中公文庫)-2

2021/04/06 小西四郎「日本の歴史19 開国と攘夷」(中公文庫) の続き

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 この時代に起きた政治的な事件として、蛮社の獄1839年大塩平八郎の乱1837年が有名。いずれも現政府によって徹底的に弾圧され、首謀者は自死を選ばされる。このような大衆嫌悪・民衆嫌悪は封建社会の常ではあるが、この政策は明治政府にも継続した。1880年自由民権運動もまた同様に弾圧され、首謀者は有罪となり、国外に亡命したりした。
 またこの時代には、ロシアからの開国要求が繰り返される。このときはまだ強硬姿勢が通用したので、瀑布と出先の藩はロシアの要求をはねつけた。(その際に、ロシアから帰還した漂流民への仕打ちはひどいものだった。
<参考エントリー>
室賀信夫「日本人漂流物語」(新学社文庫)
 この国の支配者の外国人嫌悪や差別はここではおいておくが、ロシア帝国の東への進出は大陸を横断し、太平洋に出ていた。同様に、インドの植民地支配を完了したイギリスも極東アジアに到着する。1818年にラッフルズ卿がシンガポールに上陸。1840年アヘン戦争1860年代にはイギリスの艦船が長州や薩摩に出入りする。アメリカも同様。ヨーロッパの資本主義の拡大はここで地球を一周し、極東アジアの弱小国まで届く。最初のグロ―バリズムに日本は遭遇することになる。
 意見を異にし言葉の通じない「外国人@柄谷行人」との遭遇。支えにする思想になったのが、国学。もともと幕府公認の学問である朱子学に対抗するために作られたこの学問は、日本(という名称はこの時代はなかったか)の優秀性や独自性を強調するのであって、そこから外国人排斥に向かう強い力を作った。国学の盛んな藩の下級武士が最初に尊王攘夷などをいいだし、実行して治安を脅かしたのだし。
 この国学もまた近代の学問からみると、学問というにはちょっと。訓詁や注釈から始まったのが、のちには海外思想も取り入れることもためらわず、古文に哲学思想、人生訓や処世訓まで組み込んだアマルガムになった。(そこから、反科学やトンデモを主張する者の中に、「今の科学ではだめ、思想も持たないといけない」というのがいるのだが、彼らの考える新しい「科学」とは俗流化した国学をイメージしているのだろうと思う。たいていそこには排外主義と人生訓・処世訓がまぜこぜに、同一レベルで並べられているのだ)。
 明治維新(のなかの大政奉還)は、この国の歴史の転換点にみえるのだが、前後の歴史を詳しく見るとそんなことはない。継続していることのほうが多く、今(21世紀の10年代)の問題も源流はここにあるし、とりわけ日本人の精神が200年間変わっていない。