odd_hatchの読書ノート

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木村靖二「第一次世界大戦」(ちくま新書)-1 国民国家同士の戦争は、勝敗を決することが難しくなり、国家の領土(特に政府機能のある都市)を占領するか、政府が降伏を宣言するかしかない。

 日本人は第一次世界大戦(名称は揺れ動きあり)になじみがない。戦闘に加わらず、大戦景気で好況にあったから。「最小のコストで最大の利益を上げた」と言われるゆえん。しかし欧州各国にとっては、ナショナルアイデンティティにかかわる重要な戦争であった。第2次大戦の被害者追悼と同じだけの規模の追悼式典が行われ、研究が進んでいる。そこで、日本人にはなじみがうすく、「忘れられた戦争」であるWW1の概説を読む。

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 きわめておおざっぱにまとめると、フランス革命ののちナポレオンの専制を鎮圧したあと、ヨーロッパは君主制国家の列強がバランスをとっていた。すなわち、イギリス、フランス、ロシア、プロシャ(のちドイツ、オーストリア)、イタリア。これらの列強はヨーロッパ内ではバランスを取りどこかが突出しないようにし(これはアジアやインド、中近東の帝国とは大きな違い)、非ヨーロッパでは植民地争奪を行っている。列強はときに属国や影響圏のある国で戦争をすることがあったが、短期で終結し、外交で後処理を行った。それが崩れたのは、列強周辺の被統治国の民族自立要求。とくにバルカン半島ではカソリックロシア正教イスラムが共生していて、それぞれが自立しようとするナショナリズムが盛んになっていた。サラエボの銃声は、カソリックロシア正教のグループの争いであったが、三国協商三国同盟で戦争に対する支援の条約を締結している国はそれぞれがオーストリアサラエボを支援して、戦端を開く。ここにドイツ皇帝は非ヨーロッパでの植民地獲得に後れを取っている今、戦争を拡大することによって、ヨーロッパの覇権を握れると、自国の陸軍頼みの欲望を示すことになった。彼の戦略は、いち早くベルギー、フランス北部を制圧、返す刀でロシアを圧倒。そしてイギリスとの決戦に臨むというのものだった。しかしいずれの国家も君主制から国民国家へ変貌しており、愛国心に燃える国民はいっせいに自国防衛に乗り出す。そのためドイツの戦略は破綻。西部戦線も東部戦線も膠着し、さらにバルカン半島からトルコ、北アフリカにまで戦闘地域は広がる。これを世界と称するのはおこがましいが、ユーロセントリズムが幅を利かせていた当時ではヨーロッパ全域が戦闘地域となるのは「世界大戦」にふさわしい。
 本書ではおもに西部戦線(ベルギー、フランス北部)を紹介する。そこでは双方が塹壕にこもって、砲弾を打ち合うという消耗戦。砲弾が切れると肉弾突撃をする。そのために戦傷者が続出。そのうえ食糧不足に、ネズミ・シラミなどの蔓延、不衛生環境にさらされるストレスが加わる。チャップリンの映画(「担え銃」「独裁者」)に出てくる戦場シーンはまさにこの場所での戦闘に他ならない。でも軍隊は撤退しない。したがって、1914年から18年春ごろまではどちらが勝っているのかわからない状態が続く。
 というのは、それまでの戦争(局地戦争や代理戦争など)では、勝敗を決めるのは現地の将軍であり、それを支持する政治家であった。戦闘地に集結した軍隊が撤退すれば負けたのだ(なので日露戦争奉天会戦が日本が勝ったとされる)。しかし大戦中に国威高揚を宣伝し、国民を動員した総力戦では、国民意識に反する決断を政治家も軍人もくだすことができない。そのうえ、戦費が跳ね上がり、増税でも国債でも賄いきれず、敗戦国からの賠償金をあてにしなければならず、国家財政上も負けを認めるわけにはいかない。20世紀の国民国家同士の戦争は、勝敗を決することがとても難しくなったのだ。国家の領土(特に政府機能のある都市)を占領するか、政府が降伏を宣言するかでしか戦争を終結することができない。
 これがWW1を長期化し被害を甚大にする最大の原因になった。ドイツの敗戦は、のちの国民国家同士の戦争が勝敗を決めるモデルになった。第2次世界大戦、朝鮮戦争ベトナム戦争、複数回の中近東の戦争など。
 

 

2021/03/17 木村靖二「第一次世界大戦」(ちくま新書)-2 2014年に続く