odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

カレル・チャペック「ロボット」(岩波文庫) ここでいうロボットは機械人間ではなく、感情と生殖機能を持たず使用期間が限られた人造物。「プロレタリア」のアナロジー。

 「ロボットという言葉はこの戯曲で生まれて世界中に広まった.舞台は人造人間の製造販売を一手にまかなっている工場.人間の労働を肩代わりしていたロボットたちが団結して反乱を起こし,人類抹殺を開始する.機械文明の発達がはたして人間に幸福をもたらすか否かを問うたチャペック(一八九〇‐一九三八)の予言的作品.」
http://www.iwanami.co.jp/cgi-bin/isearch?isbn=ISBN4-00-327742-2

 舞台は世界で唯一のロボット製造工場の一室。序幕は若い女がロボットの解放を求めて面談にくるところ。彼女はロボット(メイドや清掃員)を人間と思い込み、人間(博士や重役)をロボットと思い込む。第1幕はそれから10年後。順調に業績を伸ばしているが、不穏な状況。電気が通じなくなり、郵便が届かなくなり、港湾に船が入らない。ロボットの反乱が起こる。それは若い女が思想を持たせたロボットを出荷していたから。それらの運動により、ロボットは人間に反乱を起こす。若い女はロボット製造の秘密を書いた書類を暖炉で燃やす。第2幕は、その直後、ロボットの代表者が製造の秘密を書いた書類の引渡しを要求する。しかしそれはなくなっていたので、一人の博士を除いて全員が殺される。第3幕、それから10年後。複製技術というか生殖機能を持たないロボット(30年しか稼動しない)は子孫ができないのであせっている。残された博士が製造の秘密を回復しようと研究を重ねるができない。そこに恋愛の感情を持った2体のロボットが来て、自分を解剖することをのぞむ。互いにそれを押しとどめようとする。それを見た博士は彼らが新しい世界を作ることを夢想して幕。
 「ロボット」であるので、全身機械で作られたものを想像したくなるが、ここではフランケンシュタインの怪物と同じく人体の生理学・細胞学(その当時にはなかった分子生物学)などの研究によって作られた人造人間のことをいう。機械によって作られた人間のごときものというイメージは、ホフマンの「オランピア」、ポー「メルツェルの将棋指し」など以前からあったものだ。もしかしたらライプニッツの自動計算機械あたり(さらにはスウィフト「ガリバー旅行記」のヤフー島に出てくるものやチェコ民話のゴーレムも)にまでさかのぼる発想であるだろう。人造人間の想像にしてもゲーテファウスト」なんかに代表される18世紀の博物学者が夢想したものだった。ということで、機械による人間のごときもの、あるいは人造人間というのはとくにチャペックが元祖というわけではない。この言葉を膾炙する有力な力になったのはたしかだが。
 チャペックの考えるロボットと人間の違いはわずかしかない。解剖学や生理学的には差異が現れない。異なるのは、感情を持たない、労働を厭わない、生殖機能を持たない、使用期間が限られている、ということ。なんだ、これは共産主義者の「プロレタリア」のことではないか、と考えた。そう考える根拠は、ロボットを製造する会社の博士や重役たちが19世紀的なブルジョア、企業家そのものであり、戯画であるから。彼らはロボットを無感情で労働に従事することを要求し、そのとおりのものとして製造する。そして人間が労働を行わなくなることによって、ユートピア千年王国・地上の楽園ができるものと信じる。そのとき、人間がたぶん人間以外のものになるのだろうが、あいにく彼らはそのことまで思想しているわけではない。相変わらず会社の収益と顧客のクレームに苦慮している。
 ロボットの側からすると労働に従事するのが苦痛なのではなく、人間という別種から指導・強制されるのがいやなのであって、権力からの自由を欲しているに過ぎない。権力からの自由を獲得するためには、権力を打倒して自分らが権力を持たなければならない。そのための反乱であり、革命なのだ。
 というわけで、ロボットの反乱は通常言われる機械化(マシン化)される人間の恐怖なのではなく、共産主義革命の恐怖の暗喩なのだ、と考えた。書かれたのは1920年チェコからわずか離れたロシアで最初の共産主義革命が起こり、この当時はまだレーニントロツキーも存命で革命の輸出を考えていたのだった。チャペックの根底にあるのはたぶんこのあたりの政治意識と恐怖。しかもロボットが反乱を決意するにあたって起こしたのは、人間(ブルジョア)がもった革命思想を一部のロボットに浸透させ、彼らが党派活動を行って勢力を伸ばしていくことだった。それはまったくボルシェヴィキのやり方ではないか。第2幕でロボットに殺害される会社の連中というのはまさにロマノフ王朝の末裔たちに他ならない。
 というわけで、これはきわめて早い時期に現れた共産主義批判の書、予言の書、なのだ。人間のロボット化=プロレタリア化(無感情、労働の強制、生存期間の短縮など)が起こることによって、世界が不安定になって「革命」という混乱が起こるよ、それはロボットの思想がどういう形をとるものであれ、現在の体制を覆すような力になるよ、ということ。
 では、普通言われる主題、人体の機械化をどう考えるかというと、自分は楽観的。たぶん機械と人間は協調可能だと思う。人体内部や外部に機械が溢れたとしても、そのこと自体は大きな問題にはならない。ポイントは、人間社会のほうにあって、格差の拡大と貧困の固定化、資源の枯渇などのほうにある。