2022/06/17 フリードリヒ・エンゲルス「イギリスにおける労働階級の状態」(山形浩生訳)-1 1845年の続き
この時代の労働環境がひどい理由のひとつは、女性と子供の長時間の過重労働が蔓延していたこと。当時は女性も、子供も人権は認められていないので、身体的に劣っていようが、教育による成熟がなかろうが、過酷で退屈な単純労働を強いられた。しかも同じ時間の労働をして男性よりも低賃金。差別とネグレクトに寛容な構造ができていた。それが現場の悲惨さを増すことになる。加えて、休息と睡眠の時間が確保されていないので、帰宅後に何かをすることができなくて、家庭の崩壊や共同体の弱体化が起きる。アーレントは人間の条件を仕事、労働、活動にわけているが、ここには労働しかない。それがいかに非人間的なことか。
第6章 個別の産業分野:工員 ・・・ 都市の工場労働者の労働環境。長時間労働、単調でつまらない単純作業の繰り返し、休憩なし、食事時間も少ない、寒く暑く湿った部屋に閉じ込められ、外に出られない。女性、児童の長時間労働。出産後3日もすると職場復帰(!)。放置される幼児。無教養・無学な人々(家庭からも公共サービスからも教育を受けない:家事、衛生などへの無知)。低賃金に加え、工員家族向けの売店で搾取。ブルジョアと監督者のサディズム、人権無視。(さすがとこれでは労働者の再生産もできないということになって、1830年代から長時間労働や12歳未満の就業を禁止する法律ができた。もちろんなかなか守られはしなかっただろうが。日本も戦前の工場、鉱山などではこういう奴隷労働があった。驚くべきことに、外国人技能実習制度を悪用した奴隷労働が21世紀に横行している。)
(児童労働は19世紀で根絶されたわけではなく、20世紀半ばまで公然とおこなわれていた。リンク先参考。
アメリカ、児童労働の歴史がわかる30枚の写真(1908年 - 1916年)
中国、その他の発展途上国ではいまだに児童労働や強制労働が行われている。)
第7章 その他の工業分野 ・・・ その他の業界での労働状態。(どの産業の成長期にあったので新規参入が容易であり、供給が過剰になる。利益率が悪化するが、小資本は設備投資をする余剰資金がない。そのために低賃金の長時間労働で労働者を使い捨てにする。これは労働者からの異議申し立てと国家の規制がなければ改善できない。あと技術革新は労働者の仕事を奪い失業者を増やした。職業紹介や労働教育などの支援事業は当然なかった。)
第8章 労働運動 ・・・ このような悪条件の労働に対して労働者は抵抗を試みた。最初は、機械の打ちこわし、テロ、暴動。次第に労働組合ができて、交渉したり、ストを使うようになった。ブルジョアも対抗するが、次第に労働者を保護する法律が整備されていく。組合の要求も、条件の改善・賃金アップから政治参加を求めるものまで多種多様。社会主義者も組合活動にかかわっている。
(アーレントは、労働者は政治参加から排除されていたが、独自の階級社会を作っていたといっていて、なるほど生活協同組合や自主学校のようなコミュニティ運動もあったようだ。)
第9章 鉱山プロレタリアート ・・・ 炭鉱と鉄鉱(ほかにも鉱山がある)の労働状況。ここでは鉱山内の事故が多発していることが重要。ほかにも種々の労働災害がある。1840年代に炭鉱労働者が組合を結成して、5か月もの長期ストを行った。事故原因究明や災害防止などのための調査に、なんとライエル博士(ダーウィンが感銘を受けた「地質学原理」の著者)が呼ばれている!
第10章 農業プロレタリアート ・・・ 高校世界史の知識で補足すると、産業革命で毛織物産業が隆盛になったので、貴族やブルジョアは土地を買い占める。土地が狭くなったり失った農業従事者は土地を借りるか季節雇用人になるしかない。借地代は高く賃金は低いので、生活は苦しい。ときに農民蜂起も起きる。
(産業革命によってプロレタリアートが増加する。無資産で生活が安定しないのが問題であり、しかも生命にかかわる仕事ができず他人のための労働だけをすることになり、自給自足できていたことができなくなった。生活を仕事で支えることができず、賃金だけに依拠しなければならない。賃金の支払先は渋ちんで、罰金制度などをつかって賃金を減らしてくる。賃金で生活するのはそれこそ中世期からあったのだが、産業革命期以降、労働者階級や大衆は孤立化アトム化したので、相互支援や贈与で生き延びる手段を失う。なので国家や自治体による生活支援や福祉の制度が大規模に必要になったのだが、実現するのはずっとあと。)
第11章 プロレタリアートに対するブルジョワジーの態度 ・・・ ブルジョアと貴族(と宗教界とメディア)はプロレタリアートを無視する。わずかなチャリティで貧困者を排除する権利を得たと考える。国家はプロレタリアートを敵視する。救貧院や精神病院は懲罰施設として機能している。なので、労働者、団結せよ。
(ここには組合活動の手引きはないし、共産主義者の組織化もでてこないし、ましてや革命も提唱されない。なにより歴史が法則にしたがうという視点はないし、資本主義の先に社会主義が来るという必然性も語られない。議論は古典経済学とマルサスの人口論に沿って行われる。のちにエンゲルスが開陳するようなイデオロギーがないので、とても説得的。資料の引用によるのだろうが、貧困の実態に関する記述は今でも通じるリアリティをもつ。)
(1840年代にはイギリスでも労働者の暴動やゼネストがあったようだ。ではその後革命運動が盛んになったかというとそうではなく、表向きは安定した政権と経済政策がとられた。国全体の発展が賃金上昇になったとか、経営者が労働環境を改善するようになったとか、煙害などの公害対策と公衆衛生を実施するようになったためだろう。そうすると、労働者はブルジョアと敵対する必要がなくなる。なのでこの後、エンゲルスやマルクスは革命の可能性を産業革命が遅れて起きている国、主にドイツに見るようになっていった。)
後記:イングランドにおける結果 ・・・ 本書発刊後の1845年におきた職人大工の長時間労働強要に始まる労働争議の記録。労働者はゼネストで対応。スト破りも来たが、労働者の説得で争議に加わる。警察の不当逮捕と裁判闘争など。
1886 年アメリカ版への後記/1845年と1885 年のイングランド ・・・ この文章が書かれた1886年から振り返ると、
「この本で描かれた物事の状態は、今日では多くの点で、少なくともイングランドに関する限りは過去のものだ」
「製造業産業は明らかに道徳化されてきた」
「資本主義的システムに基づく生産の発達は、それ自体として(略)初期段階には労働者の運命をひどいものにしてきた些末な労働条件の不満を消し去るのに十分だった」
第11章の感想に書いたことはエンゲルスも実感していたのだね。(俺の妄想では、労働環境や条件は改善されたが、民衆とくに工場労働者は孤立化アトム化されたままだった。それはポオやボードレール、ディケンズ、ドストエフスキー、ハウプトマンらの文芸作品を読むとわかる。孤立化アトム化した民衆は余裕ができるなかで、モッブ@アーレントあるいは大衆になっていったのではないか。それはロンドンよりもパリで目に付いたかもしれない。)
でも、エンゲルスは不満である。というのは、1848年の「共産党宣言」から1860年代の「資本論」を経て「科学的社会主義」として確立したマルクス主義の諸点からすると、現状は理論通りになっていないからだ。産業界が労働環境や条件を改善しようと、労働組合が経営者と合議できる状況になっていても、労働者の暮らしが貧困から脱出していようと、それは正しくないというわけだ。とくに労働組合がブルジョアとの対立関係になく、革命を志向していなというところ。なので、エンゲルスは社会主義団体ができることを切望する。
マルクスとエンゲルスの共産主義は政治経済学として一つのパラダイムを作ることに成功したが、その理論はわずか数十年でほころびがでてしまったのだ。このあと1890年代からしばらく修正社会主義の論争が起こるが、結局はマルクスを正統に継承したとされるレーニンの考えにまとまってしまった。レーニンの悪口はほかでいろいろ言っているので割愛。ともあれ、パラダイムの危機があったのに別のパラダイムを構築することが政治的に止められ、古いパラダイムにしがみつくことになったわけだ。
そういうパラダイムを共有していない1845年の古い本のほうが、上記のマルクス主義の古典よりも21世紀にフィットしている。なんという逆転劇!
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