マーク・ハースト編、『 The Golden Man (1980) 』 の邦訳。二分冊の第二巻。
「フヌールとの戦い」 The War with the Fnools 1969.02 ・・・ 間抜けな侵略者。身長二フィートで全員同じ格好と姿。でも、人類はずっとしてやられて、絶滅寸前。最前線ではうんざりした警察がフヌールと闘っている。フヌールは21世紀には「ネトウヨ」「alt-right」と呼ばれる連中として現れている。
「マスターの最期」 The Last of the Masters 1954.11-12 ・・・ 東ドイツで始まったアナキストとラッダイトのが大したような運動は国家を死滅させ、ロボットを破壊した。以来200年。アメリカでは人間=機械(サイボーグ)が活動と眠り(メンテナンス)を繰り返しながら、200年間知識と秩序と国家を維持してきた。すでにメンテナンスの技術は失われ、機能は停止しようとしている。ついにアナキストのひとりが支配者である人間=機械のところにやってきた。不思議な味わいになるのは、ここでは機械の方が人間よりも知識と判断力を持っているとされるから。書かれた時代をみれば了解できる。1960年を過ぎると機械は不気味なものになる。
「干渉する者」 Meddler 1954.10 ・・・ 時航機で未来を探索すると、どんどん悪化していく。建物は残っているのに人がいない。なぜか。そこで調査チームを未来に送ることにする。逆「ターミネーター」。未来に干渉して現在が悪化するというのはめずらしい(過去の干渉だと、たとえばブラッドベリ「サウンド・オブ・サンダー」など)。
「運のないゲーム」 A Game of Unchance 1964.07 ・・・ 火星の植民地に巡業サーカス団がやってくる。去年は賭けにまけて余剰物資を全部盗られたので、今年は取り返したい。テレパスの少年にサーカスの仕掛けた罠を見つけさせて、獲物を得た。その奇妙なマイクロロボットは回線が開くと同時に、人間を襲いだす。植民地はめちゃくちゃになり、翌年また別のサーカスがやってくる。見かけの罠を出し抜けても、さらにでかい罠にかかっているのではないか、そのトラップは無限個のメタレヴェルになっているのではという認識への恐怖。マイクロロボットが自律的に人間を襲う恐怖。
「CM地獄」 Sales Pitch 1954.06 ・・・ 脳にダイレクトに交信するようなCMが出てくる社会。辟易している男の家に、ロボットが入ってくる。ファスラッドと名乗る機械は自分の売り込みにかかり、男は全力で逃げ出そうとする。融通の利かない、絶対に思い通りにならない機械の恐怖。CMが生活と労働と活動のすべてに介入している恐怖。
「たいせつな人造物」 Precious Artifact 1964.10 ・・・ 火星での精神科医に飽き飽きして地球にもどることにする。宇宙戦争と人口爆発で地球は変わっているはずだった。若い女性ガイドの案内で見る地球はそれほど変わっていない。地球人に勝ったプロクス人はなぜ地球を懐かしい風景のままにしようとするのか。「宇宙の操り人形」みたいなリアルの上にホログラフィーが乗っかっている世界。それよりも自分以外のすべてが人に似せた何者かであるというイメージがたまらなく怖い。
「小さな町」 Small Town 1954.05 ・・・ ずっと町に住み、退屈な仕事をしていた中年男の趣味は、町のジオラマをつくること。完璧なコピーを作り上げたとき、彼は自分の勤め先を別の模型に入れ替えた。簡単な飛躍、しかし重大な飛躍。男が妄想にのめりこむほどに、現実が反転するという恐怖。地と図の反転、クラインの壺。
「まだ人間じゃない」 The Pre-Persons 1974.10 ・・・ 人口過剰でエネルギーと資源の無くなっているとき、「魂」を持っていない12歳未満の人間(その判定は代数ができるかどうか)は「堕胎」することができる。その日も少年たちは怯え、ひとりの少年がDカード(親が親権を持っているという証明)がないために、保護トラックに載せられる。そこにスタンフォード大学で数学の修士を手に入れた大人が自分は「魂」と持っていないといってトラックに乗った。デカルトの「われ思う故にわれあり」への強烈なアンチテーゼ。「思う」機能を持っていないと人間ではないのか。なぜ思う(代数ができる)は人間を区別する判定基準になるのか。書かれた時代からするとバイオエシックスの誕生以前。
「作品メモ」 Story Notes/「あとがき」 Afterword ・・・ PKDがいうには「この短編集ぜんたいを通じて、模造と欺瞞のテーマ、策略と陰謀のテーマは一目で明らかだが、それと同時に、人間への信頼というテーマにも注目してほしいと思う。たとえそのテーマが、ときには不気味なものの底に隠れていたとしてもだ。(略)だからみなさんがわたしの作品を誤読して、憎悪と怒りだけをそこに見出したりはしない、と信じている。どうか、手を伸ばして、その下にあるわたしの核心、愛に満ちた核心に触れてほしい。」とのこと。この自作解説で、短編集の主題は全部言い尽くされていると思う。