odd_hatchの読書ノート

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都筑道夫「魔女保険」「幽霊売ります」(角川文庫)

 角川文庫のショートショート集成。1973年に「悪意辞典 ショートショート集成2」というタイトルで単行本になった。「幽霊売ります」と「魔女保険」の分冊になった文庫版の初出は1980年。ほかに「悪夢図鑑」「悪業年鑑」というタイトルでショートショート集成が出て、いずれも2分冊で文庫になった。書かれたのは1950-60年代にかけて。

  

 これを読んで痛感したのは、「バーチャルリアリティ」とか「サイバーパンク」とか「電脳空間」とかさまざまな呼び方のできる場所ができたことの便利さ。それまでは、現実と夢、ファインアートとサイエンス、主体と客体という二項対立があって、区分がはっきりしていた。そこに、テクノロジーが介入して、白黒つける二項対立の間に、あるいはその上下の方向に新たな場所ができた。そこは現実でも夢でもなく、現実でもあり夢でもある。ファインアートとサイエンス、主体と客体の対立でも同様な、どちらでもなく、どちらでもあるあわいの場所ができた。
 この場所の便利さは、それがなかった時代のこのような小説、ショートショートを読むとよくわかる。ロボットが普及して、家事や労働を代替する社会がよくあらわれる。そうなった社会で人間はどうやって収入を得ているかは不問なのはとりあえずおいておくとして、人間はロボットに危惧する。「私」の前にいるこの「人」はほんとうにヒトなのであろうか、精巧につくられたロボットなのではないか。あるいは、ロボットは共謀して人間に取って代わろうとするのではないか。ロボットは「私」が秘匿しておきたいプライベートを探索してすでに知っているのではないか(いつ露見するのだろうか、取引は可能だろうか)。このような問いが出てくる。そして、ロボットは体格にすぐれ、疲れを知らず、知恵は一人の人間を上回るので、人間はロボットの裏をかいたり、実力で圧倒できない。ロボットは人間の作りだした「もの」であるが人間の理解の外にある「他者」であって、彼らと共生してはいるもののいつ反乱するかわからない。それが当時のロボットの恐怖だ。「鬼」「魔法使い」「悪魔」などが新規な意匠をまとったのがロボットなわけで、恐怖はかつてあった考えの枠組みの中にある。
 そこに「バーチャルリアリティ」とか「サイバーパンク」とか「電脳空間」とかを挿入すると、人間とロボットの違いよりももっと微細な違いが人間となにものかのあいだに生まれる。そこではリアリティとか人格などのずっと普遍で不変であると思われていたのが、テクノロジーのスイッチひとつで変わってしまう。区別がつかなくなる。そこから人間存在の根拠がない、不変とされるものも恣意的、情報の量や傾向で認識もあいまいになる、などの不安が醸成される。現代の人間の神経症的なありかたが見えてくる。
 もう一度、このショートショート集にもどると、ロボットは恐怖ではあっても、人間に不安は生じてこない。ロボットと人間には質的な差異があって、乗り越えはできないし、ロボットを制御できるから。では不安はどこから生じるかというと、隣人や他人の悪意が割れてあらわになったとき。インサイダーであるはずの仲間がそうでないとわかったとき。