odd_hatchの読書ノート

エントリーは2400を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2020/10/13

カレル・チャペック「山椒魚戦争」(岩波文庫)

 「赤道直下のタナ・マサ島の「魔の入江」には二本足で子供のような手をもった真黒な怪物がたくさん棲んでいた。無気味な姿に似ずおとなしい性質で、やがて人間の指図のままにさまざまな労働を肩替りしはじめるが…。この作品を通じてチャペックは人類の愚行を鋭くつき、科学技術の発達が人類に何をもたらすか、と問いかける。現代SFの古典的傑作。赤道直下のタナ・マサ島「魔の入江」には二本足で子供のような手を持った真黒な怪物が沢山棲んでいた.無気味な姿に似ずおとなしい彼等は,やがて人間の指図のままに様々な労働を肩替りし始める…….奇抜な着想のこの諷刺小説で,作者は現代における人類の愚行を鋭く衝き,科学・技術の発達が人類に何を齎すか,と問いかける.」
岩波書店


 岩波文庫の訳者による解説をまとめると、1936年にチェコ語で出版されたが、ナチスの併合とともに発禁。戦後ドイツ語訳がでたが、共産党を揶揄するような記述を中心にいろいろと修正されたものだった。この国では角川文庫と創元推理文庫の2つの訳が出ていたが、いずれもドイツ語訳からの重訳なので削除部分があるとの由。削除部分はこの小説の主題に大きくかかわっているので、岩波文庫訳で読むようにしよう。同じ訳がハヤカワ文庫でもでているようだ。
 太平洋のインドネシア周辺の孤島で山椒魚が見つかる。繁殖力が旺盛で、粗食で、水中労働を得意とし、人間の言葉を理解する能力を持っていた。チェコの企業がこれを安価な労働商品にして世界に販売する。人語を解すという特徴から、次第に人権が認められるようになっていく。同時に人間の国家の軍事力にも編成されていく。そのうちに人間の労働者や利権と衝突し、ついには人間と山椒魚の全面戦争。そして、山椒魚が作った2つの国家間の争いがおこり、互いに公害を出し合って自滅する。
 書き方がユニーク。以上の大状況はそのままストレートに語られることはない。山椒魚の立場に立って、以上の経過を観察し報告する書き手もいない。大状況は新聞や雑誌の記事、論文の抜粋などで紹介される。当然、それらの記事は大状況を把握したうえで書かれたものではない。というわけで、世界で何が起きているのかをまとめられるのは読者の胸の内ということになる。まあ、「新世紀エヴァンゲリオン」のように情報を小出しにして大状況を類推せよという手法をとっている(アニメほどいじわるなことはしていない)。世界がカタストロフを迎えるという小説には、バラードの一連の破滅ものとか小松左京復活の日」、カヴァン「氷」などがある。これらは一人の人物を主人公にして、世界の破滅と個人の死を対比して考えさせるということをやっているが、チャペックはそういうことには関心がない。徹底して大状況を語るのみだ。記者、編集者、ジャーナリストの経験も深い作者は、細部の描写がとてもうまく、エピソードの書き方がとても上手(ヴァントフ船長の冒険とか、若者の映画撮影とか、山椒魚シンジケート設立の株主総会議事録とか。余談だがこの議事録の書き方を見ると、作者は経営や株式会社のことをよく知っていると思った。小説家にしては珍しい)。
 この小説を読むときには、1920-30年代の社会状況を知っていたほうがよい。このような知識抜きでも楽しめるのだが、知っているほうがずっと面白い。少なくともドイツ、イタリア、日本でファシズム政権が出て、軍備を背景にしたこわもて外交をしていたこと、そのことにそっぽをむいた英仏がささいな事件で応酬しあっていること(山椒魚の最初の人間への組織的な攻撃に対する英仏の対応がこのパロディ)、当時できたコミンテルンがさまざまな国の共産党や労働者に檄を送っていたこと(第2部山椒魚の歴史にパロディ文書が登場)、1920年代の軍備縮小会談が行われたこと(山椒魚の所有を人間の国家の規模に応じて振り分けようという会議はこのパロディ)、ナチスニセ科学(北方山椒魚が見つかり、それは山椒魚の高貴な先祖の形質などを回復したというのはこのパロディ)などは知っていたほうがよい。
 ここでは山椒魚は人間の介入によって、知識を得て、急速に進化し、独自の国家を樹立するまでになる。このモチーフはSFによく出てくるなあ(これを逆さにすると、人間はどこかの宇宙的な知的生命体の介入を受けている、ないしは実験体なのではないかというモチーフになるね)。ブラッドベリの短編、フォワード「竜の卵」。ブリン「スタータイド・ライジング」には知性をもったチンパンジーとイルカが宇宙船の乗組員になっている。人間の知性はそのまま異種族に伝えることができるか、ファーストコンタクトテーマの変種で知性の劣るものとの接触とその後の教育はどうあるべきか、という点が考えられている。1930年代であるので、文化的相対主義とか民族学の成果などはほとんど考慮されていない時代。山椒魚は、この時代における「中国」「アフリカ」「先住民族」などのアレゴリーのように思える。当時では、彼らに対する教化、指導、帝国主義的植民地的統治は当然であった時代だった。チャペックはこれらの問いに「困難ないし不可」と考えていると思う。山椒魚は人間の知識、風俗、習慣のうち一部しか(とくに科学技術に関すること)受け取ろうとしない。それ以上の介入は彼らの拒否にあうというわけだ。それでいながら、山椒魚が人間の知性を獲得し、社会性をもつようになると、人間は山椒魚に対し「人権」を認めざるを得なくなってくる。このあたりも心憎い。チャペックの認識は戦後を先取りしているのではないかしら。
 第3部になって、山椒魚が人間に対して宣戦布告する。ここからはナチス批判。一見、寛容を装いながらも他国の土地、資産、人命などの無差別な略取、破壊、殺戮を実践していく様はまったく時代の鏡。山椒魚の社会はチーフ(曹長あがりの軍人だってさ)が統率する全体主義国家。この社会はナチスのものであるが、ファシズムを批判するその手はすぐさまもうひとつの統制国家であるソ連を指している。第3部では山椒魚はいくつもの軍隊に編成されていることが強調されているが、第2部までは労働者、とくに単純な繰り返しの肉体作業を集団で行うことが強調されているので、それはソ連共産主義国家を射程にいれているのだ。あわせて、返す刀で当時の無力な自由主義経済国家も揶揄している。。
 「科学技術の発達が人間の生存を脅かす」云々というよくある評は、最終章の陰惨なエンディング(山椒魚が二大勢力にわかれ、互いに化学兵器やら毒液などを使ったすえ、双方自滅する)から触発されたからだと思う。しかし、著者の力点は統制国家、全体主義国家による他国侵略と人権侵害、それに隷属する個々人、暴力におびえる人々を傍観する知識人や理性のありかなどへの批判にあると思う。(「絞首台からのレポート」の作者フーチクと面識があったらしい)
 とても読みやすく、細部のユーモアを楽しむ読書でありながら、悲観的かつ辛辣な問題を提起する小説。