odd_hatchの読書ノート

エントリーは2400を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2020/10/13

柄谷行人「NAM生成」(太田出版)

 NAM原理のあと、2000年の夏から秋に行われた講演を収録。

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『倫理21と『可能なるコミュニズム』(浅田彰柄谷行人坂本龍一山城むつみ) ・・・ 「カントを通じてマルクスを読み、マルクスを通じてカントを読む」。いくつか抜粋。

「政治化する以上、どうせ悪いこともやるわけだから、だれかを傷つけるし、自分も傷つく。それでもしょうがないからやるしかないんだ(P30、浅田)」

市民運動なんてダサいといっている自分が実はいちばんダサかった、というような感じもあります(P33、浅田)」

「いまや左翼がつぶれたんだからあらためて平気で左翼を標傍してていいんだ(P36、浅田)」

「国家が揚棄されるということは、たんに政治的国家がなくなるということであって、社会的国家は残ります(P42、柄谷)」

「構成的に社会システムをデザインしようとすると、だいたいスターリニズムのような悲惨な結果になる。カントはそうではなく、ある意味で実現不可能なことを、しかし理念として地平線上に立てることで、長期的にはそれが統整的に働くということに賭けたんだ、と。(P53、浅田)」

 (浅田彰は司会やまとめがうまいなあ。あと、10年代にSEALDsや「しばき隊」がいっていることを先取りしているのがおもしろい。


時代閉塞の突破口(柄谷行人村上龍) ・・・ 

マルクスが『グルントリセ』で書いているが、どこの個別企業も、自分の労働者には賃金をなるべく少なくしたいが、他の企業には労働者にはもっと賃金を払ってほしいわけです。しかし、互いにそうしているから、大不況から出られない(P75、柄谷)」

面白かったのはコピーレフトの話くらい。
コピーレフトがよいといっても、どうだろう。LINAXは個人まで降りてこなくて、windowsがシェアを取ってしまった。資本制経済で企業が巨大な投資をすると、コピーレフトの個人の集まりはなかなか対抗できない。)


二十世紀・近代・社会主義(玉寺賢太、柄谷行人、三宅芳夫) ・・・ 社会主義には、国家社会主義社会民主主義アナーキズムがあるなかで、前二つがだめなことがわかった、そこでアナーキズムの可能性を探る。19世紀からの思想と運動のまとめ。

「僕は、議会主義の可能性を認めていません(略)社会民主主義にならざるをえないので(P116、柄谷)」

(「国民-国家を資本主義経済と一体をなす交換の形態として見る」という話は「世界共和国へ」で語られるので、ここでは割愛。)


ネットコミュニティ通貨の玉手箱(鈴木健) ・・・ LETS、GETSの概説。
(LTESやGETSが大きくなり流通量が増えると、国家が介入してくる。物やサービスの交換に対して税金を払えというのだ。これにどう対応するのだろう。あと、企業の商品ポイントなどとの差異化もどうしよう。)


希望を紡ぐ学校-ニュースクール構想について(山住勝広) ・・・ フリースクールやニュースクールの概説。


 もう、19世紀の社会運動の振り返りや思想家の系譜をたどるのはおなかいっぱいなので、ページをすっとばしました。
 本書や「NAM原理」を読むと、具体的な活動よりも会員によるメーリングリストによる議論のほうが中心であったらしい。で、この運動は、2003年に終了。そのころに本書を読んだので、ネットでNAMを検索したらHPは消えていて、ドメインはアダルトサイトになっていた。
 すでに言い尽くされていることを言ってみる。
1.メーリングリストによる議論は、参加者が一定の見識を持っていて、マナーよくふるまうだろうという暗黙の前提があって成り立つ。でも21世紀になってインターネットを利用するものが増えてくると、そのような見識やマナーを持たないものが大量に書き込みを行うようになる。ネットで荒しや嫌がらせ、誹謗中傷、脅迫などが問題になったのもそのころ。NAMでも似たようなことが起きたのではないかと推測。ネットでは性善説は成立しない。運営者やサービス提供会社がきちんと対応すべきであるのだが、そのネットの「権力」システムはNAMの原理に溶け込めない。
2.歴史的遠近法を使うと、ここで紹介されたNAMの事業アイデアは、のちに大資本企業が行ってしまう。フェアトレードも、地域通貨も(仮想通貨と名前を変えて)、フリースクールも。資本制経済を揺るがすと思われるアイデアも資本は飲み込んで、巨大ビジネスに変えてしまう。資本制経済の化物みたいな、節操のなさに対抗するのは大変。(アイデアが資本制経済を倒すのではなく、だれがやるかが重要なのだろう。)
3.組合を作る運動では不十分で、資本制経済や不正企業を糾弾・批判する運動といっしょでないとうまくいかないのではないか。「人々の一人一人の意志と行動により自発的かつ分散的に生成されてくるようなタイプのシステム」であるとすると、自発的かつ分散的に行動を生成するのはすごく大変。数年で消耗してしまう。
(2)1とあわせて、議論が閉塞・自閉的・マンネリになるのを防ぐのは、具体的な活動で検証することが重要。議論だけの(組織運営だけが活動になるような)運動はよくないねえ。
4.アソシエーションには経営学会計学、マネジメント、ファイナンスなどの不在。緊急の判断が必要な時に、対話や合議をやっている時間があるか不明だし、責任の所在もあいまいになるし。銀行との関係をどうするかもない。組合員の出資だけでは規模が小さいし、銀行に融資を受けるとなると、株式会社化が進むし。議論が学者(文学者)のみ。経営者、労働者がいない。これでは組合活動の細部は詰められないねえ。
5.NAMが提唱された時期はまだ日本の経済に余裕があって、国内格差も高齢化もめだたなかった。時間と金の余裕があったころの運動。でも、今(2018年)には、そういう余裕がなくなって、国内の貧困の深刻化と長時間低賃金労働の常習化、開国人労働者の搾取、高齢化による医療の介護費用増加などで、人は生活にいっぱいいっぱいになっている。なので、社会運動や市民運動の争点は賃金アップや労働環境改善、人権侵害告発などに移っている。アソシエートよりも社会民主主義の要求が大きい(これは自民党新自由主義政策への対抗として現れている)。

 NAMの運動組織は瓦解したが、資本制経済への批判や対抗運動が不要であるわけではない。その運動はつねに必要。