シャーリー・ジャクスン「山荘綺談」とリチャード・マシスン「地獄の家」(ハヤカワ文庫)をあわせて。ほぼ同日にまとめて読んだので。
どちらも幽霊屋敷ものホラーの古典。前者は1951年、後者は1972年の作。現在は、「山荘綺談」ではなく、「たたり」創元推理文庫で出版されている。
最初に言っておくべきなのは、どちらもちっとも「怖くない」ということ。2002年頃にスティーヴン・キングが「ローズ・レッド」という例によって大部の小説をものしてしまい、実は幽霊屋敷ものは完全に使命を終えたと思う。それくらいにキングのものは、幽霊屋敷ホラーの典型にして、終着を作ってしまったのだ(ここは下の追記を参照してください。俺はまちがっています)。
とにかく、「山荘綺談」と「地獄の家」はストーリーが同じなのだ。数十年前から放置されている屋敷。そこではかつて陰惨な殺人事件がおきている。それにより一家は離散、屋敷は放置。幽霊が出没するとのうわさ。周囲で起こる奇怪な事件。そこに近隣の大学にいる心霊現象に詳しい心霊学(?)あるいは物理学の教授が自説の証明のために、無謀な調査計画をたてる。参加するのは、個々に違った霊能力をもつものたちと、その屋敷を持つ一族の末裔。教授は学会で認められていないことのコンプレックス、霊能力者たちは社会に適応していないことのコンプレックス、一族の末裔は金がない、というような問題を抱える人たち。
彼らがいくことにより、屋敷は能力を呼び戻し、不思議な現象を引き起こし、死者も出す。そして、調査隊は危機に陥ることによるパニックで、憎悪をむき出しにし、彼らのコンプレックスの原因といやおうなしに向き合うことになる。すこしのロマンスをからめて、ひとりずつ謎の死を遂げていく。怪異はますます強力になるものの、調査隊の責任者は撤退することを肯んじない。隊員の心は隊長から離反して、好き勝手な行動をしては事故にあうか、精神が崩壊する。ついにはクライマックスに。多くの場合、屋敷は倒壊してしまう。生き残りは崩壊した屋敷を前に、怪異に近づいてはならないと決意を新たにする。
大体こういうストーリーになるのかな。これが「山荘綺談」でも「地獄の家」でもその通りに展開していった。エンターテイメントだからまあいいか。因果応報、神の存在を確信せよというメッセージが込められたジャンル小説だからねえ。逸脱は難しいのだろう。ジャクソンの方は主人公のオールド・ミスの壊れ方がきっちり書かれていること、マシスンのほうは無理やりな疑似科学をもちだしていることが、面白かった。怪異な現象を霊とか悪神とか念動力とかの理解や認識不可能な存在(?)のせいにほおっておくわけにはいかず、何かの理屈で説明しないといけないところが現代の幽霊屋敷ものの苦しいところなのかしら。
あと、アメリカの幽霊屋敷ものは、ロスにあるウィンチェスター城がモチーフなっていることが多いので、この屋敷の事は知っておいていい。マキャモンの「アッシャー家の弔鐘」なんかもそう。
2005/03/16
後で、とある本のあとがきを立ち読みしたら、キングの「ローズ・レッド」のことで上に書いたことは間違っていた。
キングは自作の映画化にたいてい不満の意を表明している。それは映画だとせいぜい2時間ちょっとくらいの長さで、それだと小説の全部を表現することができない。それに監督の「作家性」とかでストーリーや結末を変えられるのが気に入らない。でもTVのミニシリーズならば2時間×3回=6時間は使うことができ、充分に細部を表現することができる。というわけで自分でTVドラマを作っているのだ。
で、幽霊屋敷物を作りたい、ということになる。キングは上記ジャクスンの「山荘綺談」(いまは創元推理文庫で「たたり」というタイトルで販売中。そのあとまたタイトルが変わったみたいだ)が大好きで、それへのオマージュにしたかった。そしてありとあらゆる幽霊屋敷もののパターンを取り入れた大作にしたかった。そこで6時間分の脚本を書いて、TVドラマにしたということ。2004年にWOWOWで放映。DVDにもなった。というわけで、「ローズ・レッド」は本にはなっていない。「ローズ・マダー」というタイトルの小説と間違っていた(こっちは幽霊屋敷ものではない、らしい)。