odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

M.R.ジェイムズ「短編集」(創元推理文庫)-1 「消えた心臓」「銅版画」「秦皮(とねりこ)の木」「十三号室」20世紀初頭に書かれた古い怪談。

 モンタギュー・ロード(ローズ)・ジェイムズは1862年生まれ1926年没。古文書学や聖書学の研究者で、職業作家にはならなかった。生涯に書いた小説は短編31編に長編童話が1編という寡作。その代わり納得いくまで手を入れられたのだろう。完成度は高い。この傑作集で半分を読めるが、作ごとのでこぼこは少ない。この文庫には作品ごとの発表年が書いていないが、wikiなどを参照すると1900~1920年の間に書かれたものだろう。
 自分が読んだ英国幻想・怪奇の作家を並べると、ラフカディオ・ハーン(1850-1904)、ライダー・ハガード(1856-1925)、リチャード・マーシュ(1857-1915)、A.M.ウィリアムスン(1858-1933)、コナン・ドイル(1859-1930))、アーサー・マッケン(1863-1947)、イーデン・フィルポッツ(1862-1960)、H・G・ウェルズ(1866-1946)など(アルジャーノン・ブラックウッドは未読)が同世代人。チェスタトン(1874-1936)は少し後の人。
 特長的なのは、幽霊屋敷、古代の妖怪、古文書や遺跡などのゴシックロマンスにつながるような古い意匠を使っているところ。上にあげたような作家は新しい恐怖を探そうとする。ストーカーは東欧に、ハガードはアフリカに行く。マッケンやイエーツやダンセイニは英国古層のケルト文明を掘り起こそうとする。ウェルズやドイルやスティーブンソンは科学や技術がもたらす変化に恐怖をみようとする。でも、ジェイムズは異教の神や異郷の文化、科学技術には無関心。英国の歴史にで表現されていたものに関心を向ける。読者の意向を気にしないで書けるアマチュア作家だから、こだわりをもつことができたのだ。たぶん当時としても古めかしいと思うが、100年を超えると、レトロファンは懐かしさで「こういうのが読みたかった」と快哉を叫ぶのだ。

消えた心臓 1893 ・・・ 孤児の12歳の少年が異端研究の大家の養子となった。誕生日を聞かれる。それから一年、少年は家でこどもが行方不明になったことを知り、男の子と女の子の幽霊をみた。次の春分の日、少年は異端研究者の部屋に深夜11時に行くことになった。ドアを開けると・・・。これをもっと現代的にしたのが笠井潔「黄昏の館」

銅版画 1904 ・・・ およそ百年前に作られた田舎館の銅版画を古書店から買った。友人に見せたところ、人がいるという。そんなものはなかったのに。しばらくしてみると、館に誰か入ったように絵が変わっている。さらに時間を置くと、家から出ていく誰かがいる・・・。高校生のとき読んで、背筋が凍った一品。再読すると、中盤の過程を描写するところがよい。

秦皮(とねりこ)の木 ・・・ 17世紀、魔女裁判である婦人を告発した貴族が、処刑の翌日に不審な死を遂げた。それから100年後、貴族が死んだ部屋を使おうとすると、屋敷にはおかしなことが起こる。トネリコの木のせいだ、ということになり、下男を登らせたら、大きなうろに恐ろしいものをみた・・・。ここからカーは「プレーグコートの殺人」「赤後家の殺人」など寝ると必ず死ぬ部屋のミステリを構想したのである(嘘)。

十三号室 ・・・ デンマークに中世キリスト教の古文書を研究に来た好古家が金獅子亭に宿をとる。そこには13号室はないのに、深夜になると13号室が現れる。中からは聞いたこともない恐ろしい声が・・・。
イーデン・フィルポッツ「闇からの声」(創元推理文庫)1925年も同じような発端。

マグナス伯爵 ・・・ 20世紀初頭、1860年代に書かれた手稿を見つけた。そこにはある好古家がスウェーデンにいったおり、地元の悪逆領主マグヌス伯爵に関心を持ち、彼の所業を調査した記録だった。古老に90年前(ということは1770年代)にあったという奇譚を聞く。好事家は悪魔崇拝者マグヌス伯爵にあいたいと祈っていたが・・・。年代を書き込むと、理性と啓蒙主義の時代に恐怖譚を語るのに、英国はふさわしくなくなってきたのか。伯爵がいた時代はスウェデンボルグが存命だったころ。

笛吹かば現われん 1903 ・・・ 英国東海岸に休暇で出かけた教授はローマ帝国の遺跡で金属の管を見つけた。持ち帰って吹いてみると、心地よい響きが。しかし嵐のような風が吹き、一晩中騒音で悩ませる・・・。

縛り首の丘 ・・・ 田舎で休暇中の好古家が古い双眼鏡で除くと、丘の上に絞首台に人がつられているのが見える。しかし同行した地元の好古家はそんなものはないという。翌日、丘に行くと異様な気分、まるで墓地にいるかのような恐ろしさがあった・・・。双眼鏡をめぐる因果談は古くからあるのだが、鏡やレンズが魔を見る道具になるのは新しいのではないか。おりしも光の速度が測定されたりして、光と時間の関係が議論されていた。犯罪(らしいこと)を遠くから目撃するというのは、カー「魔女の隠れ家」「皇帝のかぎ煙草入れ
江戸川乱歩押絵と旅する男」「鏡地獄」、横溝正史蔵の中

人を呪わば 1911 ・・・ 僧院長カースウェルは錬金術に凝り魔女学を研究する偏屈な男。支離滅裂な本に演題だったので、アカデミーが彼を批判したのを、カースウェルは根に持っていた。学会講演を拒否した学者がカースウェルから何かの紙を受け取る。それから奇怪なできごと(死を告知する広告がガラスに埋め込まれているという怪奇!)が起こる。これは復讐だぞと気づいた学者は友人と共に逆襲を試みる・・・。奇怪なできごとと言い、紳士二人が協力してことにあたるところといい、ディクスン・カーみたいな短編。訳者は原題に近い「呪いをかける」ではなく、タイトルの方がふさわしいというが、日本のことわざでオチをあかしてしまうのでそっけない原題のほうがいい。

 

 ジェイムズの小説は階層社会を前提にしていて、上流階級の人たちで起きている。その点で、スティーブンソンのような下層階級や貧民に起きる怪談というのはない。そういう人たちが登場しないわけではないが、あくまで遠景の一部であって、怪異が彼らに向かうわけでもない。ジェイムズの読者が上流階級たちだというのがわかる。
 何しろ、英文学のビッグネームと作品が注釈抜きででてきて、異端や魔術に関する蘊蓄についていくことができ、野外パーティよりも書斎でひとり読書することが好きな人物ばかりがでてくるのだ。なので、恐怖に遭遇してもパニックに陥ったり、狼狽したり、悲鳴をあげたりしない。他人に相談することも少ない。ひとかどの男として冷静に沈着に対応するのだ。自分が見聞きしたものが自分の幻想や妄想であるかもしれないと、自分を懐疑することもない。おかしな出来事はぜったいに自分の外で起きているのであって、自分が異常になっているとは考えない。主体が揺らぐことはない。
 嗜みとマナーをたがえることがない英国紳士としてふるまい続けるのだ。ジェイムズの描くものは怪談であって、(モダン)ホラーにならないのはここらに理由がある。

 

M.R.ジェイムズ「短編集」(創元推理文庫

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2024/01/11 M.R.ジェイムズ「短編集」(創元推理文庫)-2 「ハンフリーズ氏とその遺産」。20世紀にゴシック小説をかけたのは流行を無視できるアマチュア作家だったから。 に続く