odd_hatchの読書ノート

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ポール・クルーグマン「世界大不況への警告」(早川書房)

 著者が1999年の初頭に書いた世界各国の経済状況に関するまとめ。この時代を俯瞰しておくと、アメリカは安定成長。90年の初頭からアジアの竜(韓国、シンガポール、マレーシア、インドネシア)が成長経済を達成していた。同じく、メキシコやアルゼンチンなども成長していた。しかし、これらの新興成長国家には問題があり、経済成長は資本投入によるもので生産性はあがっていないこと、海外資本の投資が大量に入っていたことなど。そのため成長が鈍化したり、財政赤字が拡大してきたときに、些細なきっかけで成長が破綻した。多くの場合、それらの国の通貨価値が下がったことに端を発し、海外資本が流出して、国の外貨準備がなくなってしまった。これらの国はそれぞれ別々の方策を取ることにより、完全な解決にはほど遠いが安定した状況に調整されるところまでにはなった。問題は日本で、90年代初頭の不況から8年以上たっても回復していない。銀行の不良債権が大きな問題になっていて、銀行や証券会社の破綻が相次いでいた。株価は回復基調にあるが、予断を許す状況ではない。(日本はこのあと、ITバブルといわれる株高が起きた。またITに関連する事業に対する投資が盛んに行われ、多くの企業が店頭公開した。それは2年と持たなかった。大手銀行は合併を繰り返し、自己資本比率を高めようとしている。ダイエー、西武などバブル時代の大手の会社が破綻しつつある。その他の企業は業績はよくなりつつあるが、全体の状況を好転するところまでにはいたっていない。)
 バブルの時には、カネよりもモノの価値のほうが高かった(いわゆるインフレ)。そのために法人や個人は、カネを流動化してモノを所有する方向に向かう。そのため特に希少である不動産、株券など(一部の美術品)の価格が上昇していった。大量生産品はインフレ率が低かったが、需要があったので、生産の効率化によって個別商品価格は下がっていた。カネは活発に流動化していて、かつ投資や融資を受けたいところがあったので、さらに動きが大きくなっていく。その結果、カネの価値は下がることになる。
 バブル経済の最中につけていたモノの価値は実態とかけ離れていることがあきらかになった。モノが高すぎるということになり、それを所有していた人はモノの価値が下がる前にカネに代えようとし、さらにモノの価値が下がっていく。モノの売買を決済するためにカネが必要になり、大量に流動していたカネは企業や個人にストックされていく。カネの流動化がとまってくると、資金調達が困難になり、新規事業の立ち上げは難しくなり、負債を持っているところは決済できずに倒産し、非自発的失業者が発生する。それが需要を落ち込ませることになり、生産が止まり、雇用が減少する。図式的にいえば、90年以降の日本が陥ってしまったのは、こういうカネの流動性が極端に落ち込んでしまった世界だ。カネはある(というよりもいったん生産されたカネは減らない。通常の商品は減価償却などで価値を減らしていくのに、カネだけはいつまでも価値を落とさない。いったん生産されたカネは商品と次々と乗り換え、自らを新しいカネの価値に切り替えることによって、この世界から消えていかない)。しかしストックされたままなのだ。それはモノの価値が下がっていく(デフレ)ので、未来になってからモノを購入したほうが有利になるからだ。同時に、雇用状況が改善されず、将来入ってくると思われるカネがないように思われるので、手元にストックしておきたいことになる。
 日本が陥っているのはこういう事態だ。カネはある。しかし、ストックされていて流通しないので、直近の決済や事業の拡大・生産性の向上に使われない。そのため、ますます決済を早めることを要求され、事業は雇用者を減らさざるを得ない。(感想を書いたのは2005年)
 クルーグマン教授によると、この流動性の罠から抜け出すためには、調整インフレ策をとるのがいいらしい。モノの価格をすこし(このさじ加減は政府が行う)あげることによって、カネを流動化させようというのがねらいだ。普通、流動化するカネを増やすには、(1)公共投融資を行う(政府の支出を増やす)、(2)金利を下げる(カネの価値を下げる。資本調達コストを下げる)、(3)減税する(ストックされているカネの動きがよくなるように企業と消費者を刺激する)、(4)貨幣を増やす、ということくらいしかない。すでに公共的な施設などがそれなりに整備されている日本では、公共投融資をしても波及する範囲が狭い。公共投融資が経済全体に及ぼす影響は次第に下がっているという研究がでている。不足しているのはIT関連の施設や設備であるが、これも経済全体への影響は少ない(土木建築にくらべてはるかに小額)。金利はこれ以上下がりようがないところまできている。減税したときの波及効果は測定が難しく、また税収が低下するとなると財政赤字になり、国債を発行するしかない。すでに国民一人当たりの債権額が史上最高値になっている状況では、国債を償還するために税収を上げるか、債務を不履行するしかない。前者は施策と整合性がつかず、後者は国の信用を大幅に落とすことになり、日本への投資はなくなるだろうし、円が下落して別の通貨で決済することになり、さらに外貨準備高を減らし、日本のカネが国外に流出する。日本のカネのストックが減れば、国内のカネの流動化が落ちてしまうだろう。とすれば、カネを増刷してインフレを起こしましょうというのが、教授のスタンスだ(通常、商品の供給が増えて市場に商品が増えると、モノの価値が下がる。調達可能なモノがたくさんあるから価格の低いほうに人気が集まり、それにより高い価格は低いほうに調整されるため。同様な状態が貨幣が増えたときにも起こる。しかし、貨幣の価値は印刷ないし刻印された数字のままで変わることができない。したがって貨幣それ自身の価格を調整する機能がないので、モノの価格が高まることによって貨幣の価値を相対的に下げるようにする。これが貨幣を増やしたときに発生するインフレのメカニズム)。
 この提案は多くの反対を受けて、実現していない(2005年読了当時)。たしかに、インフレを起こすと、ストックされたカネは流動化するだろうが、ストックが少ない人から困難に直面するだろう。端的には失業者と年金生活者を直撃し、彼らはモノを買うことができなくなる。彼らの不満はインフレ政策を採った政権に向かうことになるだろう。
 われわれの直面している問題は、ジレンマどころかトリレンマ、ペンタレンマ・・・という状況で、3つ以上の局面が互いにトレードオフ(こちらを立てればあちらが立たず)になり、すべてを良好にする解決策はない。どこかに負担がいくのはしかたがないということになる。それを受け入れた上で、負担を負わされる人たちは誰か、彼らにどのような支援をどのくらい行うのか、ということを考える必要になるだろう。その負担が適正な規模で、しっかりした理由があれば受け入れるだろうが、あいにくそこまで考えてくれる政府と官僚ではない。というわけで、問題は先送りされ、ずるずるとした状況がつづいている。
 クルーグマン教授の提案の妥当性がどの程度あるのかは、上の指摘に対するところまで検討されていないので判断しかねるのだが、解決策を提案するまでの道筋は論理的である。多くの政策提案者は論理的でなく、情緒的であり、仮想敵を設定したり、特定団体の利益を代弁するなどしていて、まともに取り上げることができないものなのだ。
 たしかに経済の成長とは、カネを流動化することなのだ。カネが頻繁に社会の中を流れるほど、経済が大きくなっていき、一人当たりの利益が増えていく(適正に配分されるかは不問)。そうすると、アクションプランは既存の経済分野でカネの流動化を図ることと、経済分野に入っていなかった人間の活動を経済の中に組み込みことになる。前者の問題は、地球環境の資源を使いつぶし、環境破壊を促進する可能性があることである。そこには立法と司法による監視活動が不可欠であり、受益者負担の原則で問題を解決することが必要になる。後者の場合は、一般的なベンチャーと同じリスクがあるということか。
自治体が新しい仕事を開発する例がある。長野県では、冬季だけ雪道で自動車チェーンを装着するサービスを開始している。費用は自治体負担。観光収入の増加を見込むことと、冬季に仕事のなくなる農林業従事者の雇用対策。これも、経済活動に組み込まれていない活動を経済化する試みだ。)

 もう一点は、多くの市場経済移行論者は、市場の自動調節機能が万能であると考えている。実際に調節の働きはあるだろう。それが望ましいポイントかどうかはわからないが、以前の状況よりは改善されたところに落ち着くことは起こるだろう。問題は、そこに至る過程はリニアでも線形でもなだらかな曲線でえがかれるものでもない。おそらくは、ふり幅の大きな振動を描くことになる。それは政府や企業が耐えうるシキイ値を超えてしまう(下回る)ことがある。そのときに企業や国家が崩壊する。
 このふり幅を予測することはできない(たぶんそういうモデルはない)。

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