odd_hatchの読書ノート

エントリーは2400を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2020/10/13

川村元気「億男」(文春文庫)

 図書館勤務の一男君。災厄が訪れる。弟が3000万円の借金を残して失踪したので、肩代わりを引き受ける。夜間のアルバイトをするようになったら、妻と娘が家を出て行ってしまう。でも、宝くじで3億円を当ててしまう。高額当選者が悲惨な人生を送るようになる(ほとんどが10年後には当選前の生活に戻るのだって)。「お金と幸せの答え」を求めて、茫洋とした九十九君を訪問。一晩のどんちゃん騒ぎの後、九十九君は3億円と一緒に失踪。なぜ消えたのか、3億円も回収したいので、九十九の居場所を知っていそうなものを訪ね歩く。
 人生が激変した21世紀のカンディード@ヴォルテールが会うのは、九十九の昔の知り合い。彼らも「お金と幸せの答え」を探す寓話的な人物。彼らが象徴するのは、お金の退蔵、ギャンブル、宗教、無欲など。いずれも一男の求める答えではなく、一男はさまよい続ける。最後に九十九が現れて、きみを試してみたんだとか謎めいた言葉を残し(3億円も置いて)、再び姿を消す。一男はとりあえず家族の回復を願うことにする。それで少し安心する。
 「お金と幸せの答え」は解決しないままであるが、そうなるのは問いもおかしなものであるからだな。お金(以下は貨幣とする)の謎を問わずに流動性選好としてのお金の意味をみているだけでは「お金と幸せの答え」は見つからないでしょう。そういう貨幣の問いについては以下のエントリーが参考になる。
岩井克人「貨幣論」(ちくま学芸文庫)
柄谷行人「世界共和国へ」(岩波新書)
 一男くんの問いが空しい答えしか導かないのはいくつもの理由がありそう。思いつくのは、資本はそれ自体の拡大を目的にしていて、それ以外の目的(社会の抑圧からの解放、表現の自由の実現、貧困の解決など)をもっていない。一男君以下の登場人物はいつのまにか資本と自分を同一化していて、資本の目的を自分の目的と思い込んでいる節があり、そうなると「幸せ」は交換価値や流動性選好では定義できない、測定できない価値をみいだすことはできない。
 加えて、貨幣と自分の関係にだけフォーカスしていて、それ以外に目が向かないところ。貨幣は社会的に流通するもので、他者との関係において使われる。一部は政府などの権力に譲渡(納税など)し、権力が再分配して社会システムの改善や維持に使われる。幸せの内実を定義するのはできないだろうが、とりあえず憲法25条の「健康で文化的な最低限度の生活」を基準とするならば、その生活がどうあるかは、社会の賃金水準やセイフティネットの充実具合で変わる。そのあたりを考慮しないで無制限の流動性選好を望んでも、適正なお金の所有量と使用方法はみえてこないでしょう。一男君が会う人たちは日本の所有の水準からすると、貧困層どころか庶民ですらない過剰に持っている人たちばかり。こういう豊かな人々が他者の存在を無視しがちなのは、ガルブレイスが「満足の文化」「ゆたかな社会」などで分析している通り。

2011/12/18 ジョン・ガルブレイス「満足の文化」(新潮文庫)
2015/05/11 ジョン・ガルブレイス「ゆたかな社会」(岩波現代文庫)-1
2015/05/12 ジョン・ガルブレイス「ゆたかな社会」(岩波現代文庫)-2

 さらには、一男君自身、および彼が会うお金持ちが社会から疎外されていることも重要。ハンナ・アーレントは人間の暮らしを生活・労働・活動にわけているのだが、この区分を使うと、九十九とその関係者は過去に猛烈に働いて数十億円の資産持ちになっている。結果、いずれも生活や労働や活動を行っていない(最初に登場する退蔵を選択した女性は生活だけしかない)。社会的諸関係から切断されて、個としてしか存在しないことを選択しているわけ。21世紀の日本社会はだいぶ商品経済化が進んで、たいていのことは貨幣を使用することで解決できる(他人にまるなげ)できる。でも、商品経済化されていないものごとが生活・労働・活動のいずれにもある。それに関係しない/できないことが自分の不満や不安になるのだろうね。最後に一男君がとりあえず家族のことを思い出すのは、疎外された生活・労働・活動のうち、家族の回復で生活の取戻しを選ぶことにしたため。
 まとめると、幸せを貨幣で数値化することはできないし、貨幣は商品経済以外の経済(互酬や贈与)や人の暮らしにはいることはできない。なので、「お金と幸せの答え」という問いは、互いに関係のない概念を無理やりに結びつけようということ。問いの立て方がおかしいので答えはでてこない。
(21世紀には幸福を数量化しようという試みや学問もあるらしい。)
 2014年にこういう寓話が書かれたのは、日本の不況が四半世紀続いて、貨幣の流通も再分配もうまくいかず、「お金の若者離れ」が進んでいるからだろうな。くわえて、生活・労働・活動の質が貧しくなっていて、どこにも楽しみが見いだせないからだろう(なので、モロッコかどこかの商人のつつましさが魅惑的にみえる。ただこの挿話には第三世界に対する日本の偏見が反映されていそうで、心地よい話ではない)。
 カンディードヴォルテールみたいな寓話を目指したのかもしれないが、記憶に残したい洞察はない小説でした。