odd_hatchの読書ノート

エントリーは2400を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2020/10/13

レックス・スタウト「赤い箱」(ハヤカワ文庫)

 1936-37年の第4作。仕事で依頼人ないしその代理人と会うのは自分の事務所のみ、と決めているけれど、蘭の大家たちの連名で紹介状がきてはウルフも腰を上げないわけには行かない。しかし、彼の会ったのはどうにも不愉快なブルジョア諸氏だった。

 問題がおきたのは、ニューヨークの有名な服飾デザイナーで今期の新作を発表するショーの準備中(この時代にすでにこの種のファッションショーはあったんだ)。デザイナーであるマクネアーに贈られた菓子をショーのモデルに分けてあげたら、そのうちの一人が急死。菓子には青酸カリが仕込んであったのだ。で、デザイナーの懇意にしている若い女性ヘレン・フロストに嫌疑がかかったので、その婚約者と自称している男リューエリンがウルフに事件を解決して彼女を救うようにと依頼したのだ。
 アーチーがデザイナーたちと話をしているうちに、彼はなぜかウルフの事務所にやってきて、自分の遺言状を書き換えたことを伝える。すなわちこのデザイナーはフランスから一文なしでアメリカに来たのだが、十数年かけてようやく起業に成功し財産をためることができた。その資産管理人をウルフに命じ、嫌疑のかかった若い女性を救えという。そして事件の鍵は「赤い箱」にあるというのだが、説明も終わらないうちに彼も急死してしまった。不眠に悩む彼が飲んでいるアスピリンに同じ毒が仕込んであった。
 さて続くストーリーは赤い箱の行方をめぐるものになる。一方で、デザイナーと若い女性および婚約者の一族の歴史が明らかにされる。彼らはスコットランドの出で、第1次世界大戦のときにパリにいたおかげで、財産を失うわ、子供を亡くすわとさんざんんな目に合ってきた。地中海を股にかけた旅行の末に、アメリカに移住し、それぞれ大金をもつことができた。そして再会。若い女性ヘレンにはフロスト家の莫大な財産が贈られることになっている。彼女にはフランス人のジェベールが求婚していて、そのことにヘレンの従兄弟リューエリンは我慢がならない。このあたりの家族の肖像は会話だけが情報源で、しかもフロストとマクネアーの一族は私立探偵を嫌悪するものだから、情報はとぎれとぎれにしか現れない。
 で、赤い箱は見つからないし、ベラン・ジェベールは深夜自分の車にのりこもうとしたところに、仕掛けてあった毒薬を浴びて中毒死してしまった。
 非常に古典的な探偵小説。ないのは大掛かりなトリックくらい。なので、最後の章で、ウルフは関係者全員を事務所に集め「さて、みなさん」と一席ぶつ。このときの真犯人の行動もまた探偵小説の本道そのもので、探偵に大声でいちゃもんをつけるわ、証拠を出してみろと詰め寄るわ、仕掛けてあった毒薬を飲んで死んでしまうわ。クィーンもカーも1936年当時ともなれば、そこまでのけれんで演出することはなかったのに。やるなあ、それほど犯人の隠し方に自信があったのだろう。こと意外な犯人ということであれば、シリーズの中でも一級といえる。ついでにこのストーリーの語り方を変えると、ロス・マクドナルドの小説に極めて近くなる。
 だいたいこのあたりからウルフ物のプロットが確立したのだろう。ウルフに突然の依頼者が現れ、さほど気乗りのしないままアーチーに現地調査をさせる。そこで次の事件がおきて、事件に関係するもののうちの大物がウルフに大金で依頼する。そのときには、最初の事件はだいたい忘れられてしまう。2番目の事件に関係する連中(家族であったり、企業の経営グループだったり、昔からの仲間であったり)の確執がある。その過去を考えていくと、現在の事件の動機がくっきりしてくる。ウルフの観察するのがここらへん。アーチーの報告や事務所での会話を通じて、言葉による人物分析と過去の再構成をすることがウルフの方法。とくに物証にはこだわらず、心証に注目するというのが重要なところ。なので、犯人を探し当てたとしても、クィーンみたいに物証も含めた謎解きはできないので、雇いの探偵グループを交えたファミリーでコンゲームを仕掛けて、心理的に揺さぶり、自白を引き出すことになる。そこにアーチーとウルフとクレーマー警部の掛け合い漫才(スタンダップコメディ)をくわえ、食と蘭の薀蓄をちりばめるとウルフテイストの探偵小説ができあがり。とはいえ、職人技は余人の追随を許さない。
 ただ気になるのは、拘留されたジェベールに対してニューヨーク市警の警官は罵声を浴びせるわ、頬を殴るわ、眠らせないわとやりたい放題。クィーン「エジプト十字架の謎」でもそんな警察官がいたが、当時はそういうものだったのか。そこだけ、どうもやりきれない。