「女の名前はフィービ・ウィチャリー、年齢は21才。彼女は霧深い11月の早朝、サンフランシスコの波止場から姿を消した。それから三ヶ月 、フィービの行方はようとして知れなかった。そして今、私立探偵リュウ・アーチャーは父親のホーマー・ウィチャリーから娘の調査を依頼されたのだ。フィービの失踪は彼女の家庭の事情を考えれば、当然のことかもしれないのだ。だがどうしたわけか、アーチャーの心にはフィービの美しく暗い影が重くのしかかっていた・・・・・。アメリカの家庭の悲劇を描く、ハードボイルド派の巨匠の最高傑作!(同書・裏表紙より)」
背景を述べておくと、ウィチャリー家の当主ホーマーとキャサリンの中は悪く、間に入るフィービは苦悩している。妻が離婚を切り出し、大喧嘩のすえに妻と娘が二人でホテルに身を隠しそこからの行方が杳として知れない。ホーマーには妹へレンがいて、夫カールはホーマーの雇用人。この二人の仲も悪い。さて、フィービは大学を一回転校している。そのとき知り合った恋人がいて、彼は結婚を望んでいる。主題はフィービの行方探しになるが、一方ホーマーの持っていた別宅が転売されていて、その金がキャサリンに流れている。しかしその金も見当たらない。そんな状況にアーチャーが乗り出すと2日の間に二人の男の死体とひとりの女の死体がみつかる。
例によって複数の人物がからみあり、最初は無関係に見えた相手が別の感情や思惑を隠していることがしれて、どのような事態がおきたのかプロットを構成することが容易ではない。疲れた大人の心理と建前、もつれた関係、勝手な行動の絡み合いを楽しむには、ある程度の経験をつむ必要があるのではないかと思う。なにしろ初読の20代前半のとき、これがよい作なのか悪い作なのかさっぱり判断できなかった。それというのも2週間くらいかけてちびちびと読んだためではないかしら。こういうのは一気に読まないと。
さて主題はオイディプスの神話である。傲慢な中心とその周辺の小さな神々の葛藤、ラストで中心が中心である根拠を奪われる。ここではひとつの生命の誕生が予告されていて、豊饒さは保たれたように思えるが、20世紀半ばではそれも疑わしい。
この作品は1961年の発表。この時代を思い返すと、まだ社会の規範は強制的であったのだなあ、と思う。フィービの恋人である大学生はリューの世代から離れているのだが、まだ理解というか共感は残っている。というのも、この21歳の青年は社会や家族に不満や不安を持っていて(彼も強力な母の力に困惑と反感をもっている)のだが、それはあからさまにされないし、自分の役割を果たすことに責任を持とうとしている。こういう青年というのは、たぶん1965年(もっと区切るとケネディ大統領暗殺の日)までで終焉する。このあと、青年も壮年も不満や不安は露骨に表現するものであり、問題を抱えている人物は他人に対してシニカルでふてくされる態度をとるようになるのだ。質問者型の探偵であるリュー・アーチャーはこの時代までが存在可能であったのではないかしら。まだ探偵は家庭にいって質問することができ、そこには表と裏があることを見出せるのだから。
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この数年後には、アーチャーのいるサンフランシスコにヒッピーたちがたくさん生まれる。たぶんアーチャーは彼らの事件を扱えないのではないかしら。たとえばPKDもサンフランシスコにいたのだが、「暗闇のスキャナー」「流れよわが涙、と警官は言った」事件にアーチャーは登場できるだろうか。PKDを再読してからのほうがよいだろうが、自分の考えはNO。
(でも法月倫太郎は両方を合体した短編を書いていたなあ。「ロス・マクドナルドは黄色い部屋の夢を見るか?」@密室 ミステリーアンソロジー(角川文庫))