odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

レックス・スタウト「料理人が多すぎる」(ハヤカワ文庫) ウルフは差別されている黒人や中国人にフェアに対するので事件を解決できる。

 1938年作。ウルフが自分の事務所の外に出るのは珍しいが、今回はやむをえない理由があった。ヨーロッパの互いに腕を認めるコック15人が親睦会を作り、「世界の15人の名料理長」なる会合を定期的に開いている。そのうちのひとりがウルフのひいきしているレストランの料理長で、常々料理の薀蓄を寄稿しているウルフをこの会合に主賓をして招いてくれたのだ。その3日間は名コックの料理を食べ比べられるという至福のとき。となると、汽車の狭い(ウルフにとっては)コンパートメントに押し込められるのも我慢ができようということになる。

 さて、コックの世界も愛憎の交錯する世界であって、自分の作った料理や味を盗んだ・盗まれたということに厳しい。その種の狡猾さと、社交の力もあってニューヨークのホテルの一流レストランでシェフについた男がいた。すでに老齢であるとはいえ、「世界の15人の名料理長」のなかでは評判がよくない。むしろ憎まれているというのが正しい。なにしろ3人のコックが「あいつを殺したい」と口にするほどだから(まあ、職人の世界はビジネスとは違うのだよ、ということにしておこう)。またこの人は恋愛においても凄腕であって、あるコックの奥さんを略奪してもいるのであった。
 この集まりで、ある余興が行われた。この憎まれているコックがスープを作る。香辛料9種類を混ぜるのだが、ひとつずつ抜いたスープを9つ用意し、どの香辛料がぬけているかを当ててみようというのであった。その間、参加者は会場にいてはならないし、競技を終えたものと相談してもならない。ウルフが最後に会場にむかったのであるが、そこにいるはずのコック・ラスジオがいない。ついたての奥をのぞいてみると、彼の背中にはナイフが刺されていた。
 警察は彼を憎んでいると公言しているコック・ベリンを逮捕する。その娘から、あるいはベリンの友人たちから助けてくれとウルフは要請されるのだが、彼は腰を挙げようとしない。つまりは、ベリンにソーセージの秘蔵をレシピを購入することに失敗し、ラスジオの勤めるホテルの支配人からベリンをスカウトしてくれないかと頼まれていたからであった(もちろんウルフは承諾しないが、支配人はくどいほどにウルフに会おうとする)。
 舞台は、ニューヨークから汽車で6時間ほど離れたところの広大なホテルの中。事件の関係者はホテルの中をうろうろする(事件直前の目撃証言から犯人の手がかりを見つける)。そして、愛憎渦巻く陰湿な人間関係(ある女は上述のように、ふたりの名コックの奥さんであった/である)。冒頭には事件解決には何の役にもたたないホテルのペンションの見取り図が置いてある。たまらないなあ、この古めかしいシチュエーション。探偵小説の醍醐味。
 この小説の面白いところは、人種問題が書かれていること。すなわち、コックの奥さんのひとりは中国人であり、このホテルのレストランに働くのは黒人である。彼らは事件の重要な目撃者であるが、警察に話せない。彼らが強圧的な尋問をするし、それが周囲に知られたら失業するかもしれないから。ウルフは彼らに親切である。すなわち、中国人の奥さんの証言を聞いた後、それを警察に密告しないで彼女を窮地に陥らせない。黒人たちを白人警官が脅すように訊問したあと、ウルフは自費で軽食や酒を振舞い、友人のような丁寧な質問をして彼らから信頼を得て、重要な証言を獲得する。それに、最後の晩餐で会場になったレストランのシェフが黒人コックを紹介するとき、老齢の名コックたちは立ち上がって拍手し、ついには彼に抱きつくまでにいたる。書かれた時期を見てほしい。マルコムXが少年期でひどい目に合っていた時期であり、大リーグに黒人選手はいなかった時期である。そのときに、このような描写が可能であったことに感動した。
 事件の結末であるが、ほうほう、意外な犯人であった。ここは健闘している。ただ、フリッツに、雇いの探偵たちに、クレーマー警部が登場しないので、掛け合い漫才を楽しめなかったのは残念。やはりウルフはニューヨークにいたほうがよい。
 訳者は佐倉潤吾さんではなく、平井イサクさん。そのためにアーチーは「私」で、ウルフも「私」としゃべる。ちょっと似合わない。

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