odd_hatchの読書ノート

エントリーは2600を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2021/9/25

ギルバート・チェスタトン「奇商クラブ」(創元推理文庫)

 1905年初出の最初の短編集。設定がなんともユニーク。これまで(1905年当時)に存在しなかった新しい生業を紹介しましょうというもの。それは何かの事業に似ていてはならず、十分な収入を獲得できるものでなければならない。小説の中で成り立てばよいのであって、読者の現実世界に存在するか否かは問わない。小説の技法としては、最初にこのような新規事業があることを宣言しているので、物語ではそれが事業ではないと隠さなければならない。普通は犯人や殺人方法や動機を隠すものだが、ここではビジネスを隠す。これはたぶん他にない趣向。よくもまあこんなことを思いついたものだ。

【奇商クラブ】(短編集)
ブラウン少佐の大冒険 ・・・ 探偵役は元判事のバジル・グラント。法廷で発狂して隠遁したというから、「詩人と狂人たち」のガブリエル・ゲイルの祖父にあたるかな。さて、ブラウン少佐が探偵事務所(バジルの弟が経営。これは奇商クラブとは無関係)にきて自分の不可思議な経験を語る。すなわち道を歩くと、花屋がおかしな呟きを発し、ある家の塀を乗り越えると「ブラウン少佐に死を」を三色菫で書いた庭があり、夕闇にあずまやで何者かと格闘し、あまつさえ自分の死を予告する手紙が届けられた。ポイントはブラウン少佐は現在の家に3ヶ月前に引っ越してきたということ。

痛ましき名声の失墜 ・・・ グラントが目をつけた男は、貴族の夜会に参加し、そこでとある老人の貴族を罵倒しているだった。しかし、そのあとの晩餐会では彼はずっと沈黙している。まあ、ボクサー志願が公園で「殴られ屋」を開業しているようなものだな。1905年だと、こういう貴族の集まりが残っていたのだね。

牧師はなぜ訪問したか ・・・ 出かけようとしている「わたし」のところに牧師がやってきて、奇妙な話をする。街中を歩いていたら、女装した荒くれ男に拉致されて、これから訪問しようとする相手の母の変装をしろ。どうもピストルやらナイフやらを持っているらしい。牧師は機転を利かせて、泥酔したふりで警官に絡んでどうにかことなきを得た。いったい何が起こったのでしょう、解いてください。というわけでおなじく外出予定のグラントを訪れる。ははあ、牧師にはそんなわけがあったのか、大爆笑。もしかしてブラウン神父はこの稼業のまわしものだったりして。

家屋周旋業者の珍種目 ・・・ 中尉で退役したさほど特徴のない男が家屋周旋屋にいって新しい家を所望する。周旋屋がいうには、鳥はどうする、家の色はグリーンでいいか(当時のイギリスだとありえない色らしい。バルガス=リョサ「緑の家」から妄想すると、緑の館は娼館を意味したからなのかなあ。)とおかしな質問をする。さてその元中尉は舗道で警官の職務質問をうけ、住所を答えるが、それは水辺の公園で家などないところ。21世紀にはありうる職業かな。あとここでソロー「森の生活」を紹介するのはフェアかしら。

チャッド教授の奇行 ・・・ アフリカの原始部族であるズールー族を長年研究している老教授。バジルと教授の論争のあと、教授は突然奇妙な踊りを始めた。だれもとめることはできない。バジルは大英博物館に踊りをやめるまで、毎年800ポンドの年金を払えと提案する。これも笑った。教授、すごいよ。

老婦人軟禁事件 ・・・ 都会の屋敷で地下室に閉じ込められている老婦人を発見。彼女はここから出られるのかしらと独り言。「わたし」とルパート(バジルの弟)は大冒険の末に地下室の扉を開けるが、老婦人はでることを拒否する。しかし、バジルの一言で老婦人は部屋をでることを承諾した。いやあ、やられた、やられた。もう一度、短編集のタイトルを見て、読者は唖然とし、哄笑するのである。


 バジルは60歳に手が届くというのに、「ぼく」でしゃべる。福田恆存先生、ここは「わしは・・・じゃ」と博士口調で喋らせてほしかったです。ここには殺人も窃盗も詐欺もない。いわゆる犯罪はひとつとしてない。にもかかわらず、探偵小説は成り立つのだよ、という高らかな宣言がある。のちの「日常の謎」スクールなぞ、この短編集の前ではうなだれるしかないのである(と根拠なしに胸を張る俺)。探偵小説のスタートからして、このようなパロディ、パスティーシュであるとすると、後の諸作がいったいどのようなものになるのか見当もつくだろう。まっこと、探偵小説というのはジャンルが生まれた瞬間からそのジャンルを批判する作品を生んでいたのであった。
 あと重要なのは、語り手「わたし」やルパートらの、読者と大体同等の知能を持っているものは、このような不可解な事態に遭遇すると、証拠をかき集め(たいして努力していないが)、事件の全貌を虚構のうえに虚構を重ねる仕方で解釈して、ついには「犯罪」(の足跡とか痕跡)を見出してしまう。これは科学的観察や合理的思考の批判でもあり、「常識」にもとづくドクサや思い込みを批判しているのだ。このモチーフも後の諸作で繰り返される。われわれとしては、この短編集の「わたし」やルパートを笑うのであるが、それは自分自身を笑っているのだと、背筋を寒くしなければならない。陰謀論とかニセ科学のビリーバーにならないためにもね。


【付録中編】
背信の塔 ・・・ ノンシリーズで探偵はスティーヴン神父。彼も特異な個性の持ち主であるが、短い小説となるとその説明に紙面を費やすことになり、その分ストーリーが停滞する。となると、説明を節約するためにもシリーズ探偵はいたほうがよいのかも。雑誌連載となると、お決まりの10行を繰り返し読むことになり、それはそれでうっとうしいのだが(念頭にあるのは都筑道夫センセーのシリーズ探偵もの)。さて、遺宝を守る修道院の院長は盗難を恐れて、24時間、眠るときさえそばにいた。肌身離さずにいる鉄砲でもって、かすかな異音にもすぐさま気づいて威嚇の発砲をするのである。さて、この修道院の美しい娘に恋焦がれた青年がそこに侵入し、追い払われ、ある日射殺死体を発見したことを神父に語った。この短編の結末はどうにもあいまいで、自分にはまるで小栗虫太郎の法水ものを読むようであったので、どなたか解説を。

驕りの樹 ・・・ この中篇は少し遅れて1922年刊「知りすぎた男」に収録。大正15年の雑誌「新青年」に小酒井不木の手で訳出されたものがのり、国枝史郎が絶賛したそうな(中島河太郎の解説による)。
 ウェールズの海に面したコーンウォールの小さな村。そこには「孔雀の木」と呼ばれる奇怪な樹木があり、村人に恐れられている。すなわちアフリカから無人船によって運ばれてきたとか、その樹木に触れたものは熱病にかかるとか、ときに樹木と一夜を過ごしたものが失踪する事件が継続して起きているというのだ。孔雀の木のある土地は郷氏ヴェーンが所有する。その一人娘が適齢期になったとき、ヴェーンの家に弁護士、医師、詩人、アメリカの批評家といった面々が集まる。話題は孔雀の木のことになり、皆が木の呪いに思いをはせるようになったとき、ヴェーンは孔雀の木で一夜を過ごそうと賭けに乗った。他の面々は森の向こうにある孔雀の木にヴェーンが消えるのを見送り、徹夜で監視したあと、ヴェーンが失踪したことを知った。遺留品は銃痕の穴があるヴェレー帽くらい。弁護士は医師の協力を得て捜査を開始。木からさほど離れていない荒地に井戸を発見し、そこに乾いた人骨を発見した。失踪する夜、森に入るのを見つけられた詩人が嫌疑を受けることになる。
 というようなストーリーであるが、このファンタジーの文体では事物はどれもリアリティに欠け、夢とも幻とも思えないうつつの世を過ごしているよう。人物たちもどこか妄想じみた想念を語るに忙しく、どうにも現実で何が起きたか判然としない。まあ、自分にはこの饒舌な教養は理解の外にあり、ときに目蓋が重くなるのをこらえきれなくもあったのだが、どうにか読み終えると、なるほど上記のストーリーにフォーカスしていると気付かないさりげない記述のところに犯行の動機があったのかとみごとに足を掬われた。緻密というにはほど遠いのだが、ここらの複線の張り方と回収は見事。なるほどチェスタトンの本領はファンタジーであり、リアルな犯罪捜査にはほとんど興味を持っていない、そこにいて事件に巻き込まれた人々(それはたいていインテリかエリートかであるが)の心理の綾にこそ真実は隠されているということになるのか。
 前世紀から続く因縁話に、怪奇の起こる場所、それらを嘲笑して一夜を過ごし事件にあう男。これらのモチーフは初期のカーで繰り返される。なるほど、カーが模倣したのはチェスタトンの作風であった。カーにはファンタジーと教養の文章はかけなかったので、使ったのは古風な怪奇小説の文体。どうにも時代と齟齬があったのか、自分の資質とあわなかったチェスタトンの没年の頃から方向を転換していった。こんなストーリーを作ることが可能。