odd_hatchの読書ノート

エントリーは3200を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2024/11/5

エドガー・A・ポー「ポー全集 3」(創元推理文庫)-1「モルグ街の殺人」「マリー・ロジェの謎」「盗まれた手紙」 オーギュスト・デュパン登場。探偵小説の始まり。

 ポオ全集第3巻。「モルグ街の殺人」と「マリー・ロジェの謎」と「盗まれた手紙」(全集4に収録)のデュパン登場作を集めて一エントリーにする。それほど気になることが詰まっている。

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モルグ街の殺人 1841.04 ・・・ 探偵小説はここから始まる。
 パリの朝3時。女性の激しい悲鳴。荒々しい声と鋭い声。部屋にはいろうとすると中から鍵がかかっている。押し破ってはいると、乱雑に散らかっていて、暖炉の煙突に令嬢が強い力で押し込められ、老婦人は鈍器で殴られたうえ剃刀でめった切りにされてるのが中庭でみつかる。窓は鍵がかかっていて、外には避雷針が通っている。発見者は出入りしたものをみていない。およそ類例のない残虐な事件。これを新聞で知ったデュパンは、興味を持ち、懇意の警視総監に頼んで現場を検証した。そして「犯人」に部屋に来るよう手紙を出す。
 もう170年前の小説なので、「解決」はみんな知っているだろう。できるだけそこには触れないようにする。デュパンの方法は、警察の方法に引っかからなかったささいな、しかし稀有なできごとの観察のやり直し。対象は声を聴いた複数の証言の読み直し(ばらばらなことを言っているがそこに共通性を見出す)、窓や乱雑な部屋の観察(かかっている鍵、乱雑に荒らされていたが400フランの大金が残されていること、残虐で狂暴な殺人方法)。そして犯人のプロファイリングを行い(俊敏で、残虐で、強い力を持ち、動機がなく、グロテスクな行為をし、言葉が聞き取れない声の持ち主)、データベース(ここではキュヴィエの博物学図鑑)と照合して、事件の真相を究明する。
 被害者の悲鳴を聞いたのは、パリに住むドイツ人・フランス人・オランダ人・イギリス人・スペイン人・イタリア人。多民族共生、異文化の混交はこの時代からあった。このアパルトマンは中流から下流の階層を集合するところであって、そこに多種多様な出自の人が住んでいた*1。また事件の重要な関係者は船員であり、東南アジアとの交通・貿易・交流に関係する人であった。パリがそのような都市として発展していたことに注目。たぶんロンドン、アムステルダムヴェニスも同様の異文化・多民族の混交する場所であったが、パリほどの平等や公正はなかったのではないか。なので、事件のような民族の多様性や共生はパリにおいてのみありえたと想像する。
 また被害者の母娘はアパルトマンの部屋に暮し、おそらく係累がいない。父が都市に仕事を求め、早世したために母娘は都市のアパルトマンの一室に住まざるを得ない。すでに帰る故郷はない。根無し草の群衆が生まれ、第二世代が生まれている。家族と住居にも変化が生まれているのだ。
 ポオの見出した犯罪が根無し草の外国人と無資産者が一時的に住む都市で起きたことに注目。ゴシック・ロマンスディケンズの見出す犯罪が家族や共同体の中で起こるのと好対照。交通は経済や文化を活性化する一方で、格差を広げる。人々の軋轢と偏見(に基づく差別)と無関心は事件を「異様」にする。聞き込みをしても具体的な証言はえられず、密告者も現れない。共同体の治安と保安の体制は都市と非定住者には通用しない。だから、そこでは「公平な第三者」であり、関係者に利害関係のない「透明」な存在が事件を解明することができる。その点では、デュパンの探偵と「群衆の人」のフラヌール(老人も、彼を尾行する語り手も)は表裏一体の存在。
 別の点。この小説は、事件にかんするところは、新聞記事(この時代は雑誌と新聞の時代)とデュパンの独白で書かれている。小説の語り手のことばである地の文では事件に関する情報は伝えられない。正しさとか信憑性を担保するのが、新聞のような「公平な第三者」か、真実に先に達している探偵だけであるという設定がおもしろい。そのような立場であれば、嘘はつかないし、情報をもらさないと読者が確信できるのだ。この規範がのちのホームズ譚でも踏襲される(といいながら、ポオは「お前が犯人だ」でさっそく破るのだが)。


マリー・ロジェの謎 1842.12 ・・・ 18**年、香水店の売り子メアリー・シンシア・ロジャーズが失踪した。許嫁のサン・シュターシュ氏に会いに行く(のちに毒物を飲んで死亡)といって。数日後、セーヌ川に浮かんでいるのが発見された。絞殺。のちに遺留品がルールの森の中でみつかる。容疑者は、許嫁・発見者・香水店店主・ならずもの・海軍士官(生前の遊び相手)など。警視総監はデュパンに捜査を依頼。デュパンは警察の報告書と新聞を集める。「モルグ街の殺人」の続編であるが、デュパンは安楽椅子に腰かけたまま。新聞記事を丹念に批評する。
 デュパンは論理的な思考をするけど、細部にこだわる。職業警官なら見落とさないようなことではあるが、その情報は新聞記事にはない。新聞記者による情報の取捨選択と偏見が入り込んでいる。情報不足のためか、デュパンの本質直感はこの事件の核心にふれていない。このあと現場の検証や関係者の聞き取りが行われ、デュパンのもとに新聞記事以上の情報が集められるはずである。書かれた内容は長編のイントロダクションにあたり、この先にデュパンの冒険と推理があるはずなのだ。それが書き足されれば、世界最初のハードボイルド小説になっただろう。そして、このような人間関係や感情のいさかいが原因であるような事件は勤勉なルコック老練なリュー・アーチャーにふさわしい意匠であった。
 なるほど乱歩によると、ポオは探偵小説の開祖であり、可能性をすべて提示してしまったというが、この納まりの悪い短編も好意的にみれば、100年後を予見していたといえるかも。

盗まれた手紙 1845 ・・・ 警視総監がデュパンのもとに来る。重大な手紙が大臣によって盗まれた。大臣の家を全部捜査したが、まったく見つからない。あれが公表されると、政府は危機に陥る。一か月後、デュパンは警視総監に小切手を書かせ、取り返した手紙を警視総監に渡した。意外な隠し場所、心理的盲点などは乱歩ほかが指摘済なので繰り返さない。自分にとっての謎は、どうして第一次大戦前の国家では、手紙(それも私信)が国家の危機になるのか。自分の答えは、その時代の国家が人治主義だから。法よりも人事が優先されていて、スキャンダルがもっとも手痛い失策になるから。あと、警察組織がフーシェの時代から50年ほどで近代化・科学化されているのに驚く。まあ、人治主義の近代化途中の国家では人権は尊重されない(なので市民蜂起に警官や軍隊は躊躇なく発砲する)。そういう時代において、デュパンはとてもリベラル。
<参考エントリー>
ヴィクトル・ユゴー「レ・ミゼラブル 上」(角川文庫) 1862年
ヴィクトル・ユゴー「レ・ミゼラブル 下」(角川文庫)-1 1862年
ヴィクトル・ユゴー「レ・ミゼラブル 下」(角川文庫)-2 1862年
ガボリエ「ルコック探偵」(旺文社文庫) 1869年
バルドゥイン・グロラー「探偵ダゴベルトの功績と冒険」(創元推理文庫) 

(追記2023/9/10 読み直すと手紙を盗み出した犯人(冒頭で明かされている)は、デュパンが言うに「詩人」であるとのこと。官僚でも常習的な犯罪者でも科学者・技術者でもないので、論理的合理的な思考をしない。象徴や意味関連で飛躍的な発想をする。なので、犯罪捜査の専門家では詩人の発想に至ることはない。デュパンのような詩人だけが、犯人の心理と思考法を追いかけることができる。これを極端にすると、チェスタトンの「詩人と狂人たち」になる。)

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 思えば、執筆時の1840年ころは、その10年前にパリの暴動が起きていて(ユゴー「レ・ミゼラブル」)、その10年後に再びパリで暴動が起きる(マルクス「ルイ・ボナパルトのブリュメール十八日」)。都市と政治の不安定さは、暴動や蜂起となって現れるが、重大な政治課題がない時は、犯罪として現れるのかもしれない。デュパンがなぜ犯罪を捜査するのか、この小説では理由ははっきりしない(「楽しみ」とか「変な」としかいわない)。資産があって定業につく必要がなく、書斎でテキストを読むことに熱中する人だから、犯罪という異常事態から社会や政治の変化を読み取れたのだろう。「群衆の人」の語り手が、ある特異な顔に焦点を当てることによって(そのあと観察と捜査をし、データベース化することもあわせて)、新しい人のカテゴリーを見つけたようなものだ。デュパンが見つけたのは、事件を首謀し実行する強い意志を持った「犯人」という存在。犯人はテキストを残さないから、かわりに探偵が犯人の残した痕跡から意図を読み取り、テキストに翻訳する。
(19世紀なかばのこの時代、権力や企業は科学を体制化していなかった。なので科学は個人が行うもの。資産に余裕のあるものは書斎に標本を集め観測機器を設置し、観察と実験を繰り返して、論文や本で自説を発表していた。こういう典型的な科学者はダーウィンファラディデュパンの仕事や生活は、この時代の個人的な科学者にとても近しい。)
 デュパンは自身の書斎を持つと同時にモンマルトル街の図書館に出入りして情報収集には余念がなかった。警視総監と懇意にしていることで、警察の情報(そういえばこのころまでに、警察がフーシェに典型されるような18世紀の公安組織から、法と証拠に基づく19世紀の治安組織に改組されたのだった)にアクセスすることができた。そのようなデータベースを利用できたのがデュパンの有利なところ。
 冒頭に語り手の「私」が考えていることを当てるシーンがある。デュパンの推理が成立するのは、デュパンが「私」の行動性向や趣味などをふだんから観察しているから。ホームズの観察は出身地や職業をあてるまでで、それは相手のことを良く知らないため。でも、同居していて友人付き合いのながいワトソンであれば、彼の考えを推測し、先回りできる。そこには、思考の飛躍や直感はなく、観察が重要だった(というのも、デュパンのころにはデータベースはまだ貧弱で、ことに犯罪と犯罪者のデータベースは不足。過去の経験やできごとからの類推ができない)。
 その点ではデュパンは科学の人であるが、一方で世間から隔絶されていて、気まぐれで、冷淡で、放心することが多々あり、夜とロウソクの光に魅惑されるロマン派の詩人でもある。科学と詩が同居している稀有な存在。たぶん、のちの名探偵で二つを備えた人はいない。この矛盾が同居しているところがこの最初の名探偵の魅力の一つ。
(と思ったら、P.D.ジェイムズのダルグリッシュ警視が詩人であった。チェスタトンのゲイル@「詩人と狂人たち」は詩人と自称するが科学の人ではない)

 

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 <参考エントリー>

odd-hatch.hatenablog.jp

 

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*1:いえいえ、中世からヨーロッパでは人々は移動し移住していて、都市では複数の言語が飛び交っていた