odd_hatchの読書ノート

エントリーは2400を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2020/10/13

エドガー・A・ポー「ポー全集 4」(創元推理文庫)-2「シェヘラザーデの千二夜の物語」「アモンテイリャアドの酒樽」ほか

 全集4の短編。ポオ30代の作品。1844年以降作品が極端に少なくなる。今回の再読では、ポオの評伝を読んでいないから、あてずっぽうだけど、編集長の仕事が忙しくなったのと、大酒癖が発生したためかなあ。(wikiをみたら、貧困と窮乏が進行していたうえ、「散文詩」と銘うった壮大な宇宙論ユリイカ』の完成に精力を傾けた、とあった。)

f:id:odd_hatch:20190520091351p:plain

ウィサヒコンの朝 1844 ・・・ イギリスの人の手に入れられた自然美に対するアメリカの人の手の入っていない自然美の対比。「庭園」のような思弁がなくなり、華麗な語彙が影を潜め、情熱あふれる語りの熱意は冷め、冷静に客観的な描写に徹する。ポオの文体と思考に変化が生じている(いや1840年ころから顕著であるのだ)。

シェヘラザーデの千二夜の物語 1845.02 ・・・ 失われたシェヘラザーデの千二夜の物語があった! シェヘラザーデはさらに驚くべき冒険と秘境を物語る。千一夜物語は18世紀初頭に仏語や英語に翻訳されて、人口に膾炙していた。そこで、この物語を読者が受け入れる素地があった。当時は博物学と科学の時代で、地球のさまざまな文物・動植物・自然美・風俗などが紹介されていた。荒唐無稽と思われることが実在することに驚異を感じていたのが背景にある。王の無知を嗤えるのはそこにおいて。さらに、本文と同じくらいに注釈が重要。一緒に読まないとこの短編は成立しない。これは新しい書き方で、たぶん100年は後にならないと模倣者が生まれなかった(と思う。バラード筒井康隆など)。ボルヘスが好みそうな一編。
ホルヘ・ルイス・ボルヘス/アドルフォ・ビオイ=カサーレス「ボルヘス怪奇譚集」(晶文社) 1967年

ミイラとの論争 1845.04 ・・・ エジプト時代のミイラを調査する許可を得た(18世紀半ばから西欧でエジプトへの関心が高まり、ナポレオンの遠征とロゼッタストーンの解読でブームになる)。ためしに電気ショックを与えると、ミイラ(アラミスタケオと名乗る)は蘇生し、現代人の質問に答えた。近代文明の優秀さを納得させようとしたが、ミイラはことごとく反駁する。古代文明が優れていたというイデオロギーはこのころからあった(まあルネサンスの時から継続しているともいえる)。ヨーロッパがエジプト、ギリシャ、ローマに追い付いていないという認識は当時では珍しいのではないか。その考えが、メスメリズム、催眠術、骨相学などの最新科学(いまはニセ科学)と親和性を持っているのに注目。現代のオカルトの原型はすでにそろっていた(というか、そのころからずっと変化していない)。語り手は2045年アメリカ大統領を知りたいという欲望を持つが、もうすぐわかる。おれはたぶん間に合わない。

天邪鬼 1845.7 ・・・ 完全犯罪を実行した男が露見しないために不安になって告白してしまう(「告げ口心臓」「黒猫」)。ここでは心理よりも、作用機序に関する観念の記述が主。犯罪の責任や処罰よりも、露見しないことに恐怖を感じる倒錯。ここからフロイト精神分析まではわずかな歩数。

タール博士とフェザー教授の療法 1845.11 ・・・ 南フランスの南端に私立の精神病院がある。見学を申し込むと、院長のメーヤール氏が「鎮静療法」を説明し、夕食に招待する。そこに集まった患者たち(この言動のリストアップと詳細な描写はのちの筒井康隆みたい)。次第に、雰囲気がおかしくなり、メーヤール氏は最近病院で起きたクーデターを語る。ああ、ここから夢野久作小栗虫太郎の大作や大阪圭吉「三狂人」などが構想されたのだ。地口やシャレが満載(そしてタイトルを読み返して爆笑に至る)。19世紀の精神疾患の知識は現在と異なるので、うのみにしないように。

ヴァルドマアル氏の病症の真相 1845.12 ・・・ 臨終の床にある男に催眠術をかけた。驚くべきことに、彼は「俺は死んでいるんだ」と言葉を返した。それから7カ月後、催眠術を解くことにした。生と死の境界があいまいであったとしても、それを長引かせる技術は当時なかった。そこで催眠術が登場したわけだが、現在の医療機器は特定条件下の場合に同じ症状を実現できる。脳死と呼ばれる状態に近いので、この小説は未来を予見している。この半死半生の状態はゾンビ―であり、山口雅也「生ける屍の死」(創元推理文庫)はここから構想を得ている(かどうかはしらないが)。

アモンテイリャアドの酒樽 1846.11 ・・・ イタリアの貴族が嫌な男への復讐のために、アモンティリャードの酒樽の鑑定を依頼する。地下墓所カタコンベ)が背景。人骨が積み重ねられている場だから、生と死の境界を突破できる(ので前の小説と共通性がある)。参考は「黒猫」。同じ酒飲みでも「黒猫」の語り手は破滅。こちらの語り手は完全犯罪に成功。あとメリメ「コロンバ」のようなイタリア人の激情(たぶんに強調されすぎ)の小説を思い出した。


 1830-40年代は科学と哲学(および芸術)の境界がまだあいまいだった時代。18世紀の科学と哲学の融合という考え(ゲーテに代表)がまだ生き残っていたとみえる(のかロマン派が再構築したのかはよくかわらない)。ポオの小説も科学と哲学は未分離で、科学の哲学的な解釈や哲学の科学的な補強などがおもに20代の作品によくみられる。それが1840年代になると、科学と哲学はポオの中では区別をつけるようになって、哲学の思弁は次第になくなっていく。そのかわりに、21世紀には科学と認められないものに入れあげるようになっている。メスメリズム、催眠術、骨相学など(ときにホメオパシーにも言及がある)。これらの「科学」の特長は、わずかな原理や規則で全部を説明しようとするところ。生命や人類などを解釈する(誤った)原理をふりかざすところ。まあ当時はそれらも科学の範疇であったので仕方ないが、ポオが哲学のかわりにそれらの「科学」に寄り添おうとしたのは、残念だなあと思う。