もう何度も繰り返し見ているのだが、どうしてこの小説と映画はかくもわれわれを魅了するのだろうか。そんなことを考えていたら、繰り返し読む/見るとはいってもそれは物語やフィルムの最初から最後までをきっちりとスクロールするようなやり方ではないことに気付いた。「博士の奇妙な愛情」「フルメタルジャケット」などは、途中をすっ飛ばすとしてもストーリーをちゃんと押さえるようにするのだが。ところが、この映画の場合は、冒頭のヒトザルの話、スターゲイトをこじ開けてからの空間トリップからあとは見直すことがほとんどない。
結局、ディスカバリー号のシーンばかりを繰り返し読み、見る。
Aram Khachaturian's Gayane: Adagio (as used in Stanley Kubrick's 2001: A Space Odyssey)
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白いプラスティックで閉ざされた円筒形の空間。ボタンを押すとすぐに用意される食事。同居人とはほとんど会話のない単調で同じことが繰り返される日常。いたるところにあるディスプレイ。モニター越しに行われるゲーム。モニター越しに行われる外部との会話。優雅で退屈な日常。小説版にしか描写されていないが、宇宙船内には大量の書籍、音楽などのデータが保管されていて、任意にそれを閲覧することができる。どれもこれも数ヶ月間にわたる孤独な生活に耐えられるようにするための配慮。乗組員はほとんど雑事のことを考えずに生活することができる。
この生活は、独身者にとっての天国なのだ。あるいは引きこもりの諸君の天国でもある。このような直接人と触れることなしに生活することができ、しかも閉じこもる人は世界を救うミッションを持っている。こういう夢想が「実現」した場所として、ディスカバリー号は機能している。
HALの反乱ののち、独りぼっちのボウマンはクラッシック音楽を大音量で聞く。最初はオペラ、次にロマン派。彼らの感情のほとばしりにあきたのち、多くの人がそうであるようにバッハの構築的な音楽を主に聞き、ときどきモーツァルトをかけた、なんていうのは、最初に読んだのはクラシック音楽を聴き始めた頃だったので、とても共感したものだった。
もちろんこの心地よさは表面上のものだけであって、描かれていない船内生活では秒刻みのスケジュールと、身体維持のためのトレーニングが要求されていて、その勤勉さと労働はとてもではないが、引きこもりのものには耐えられないはずだ。
もうひとつ。ディスカバリー号はHALの監視カメラが無数にあって、搭乗員の行動が記録されている。逃げ場はない。ポッドに入り、電源を切断しても、カメラは彼らの口元を映しだし謀略を暴いてしまう。乗組員が疑惑を持つまでは、彼らは監視カメラを意識せず、むしろそのカメラに見られることで死なないことを保証されていた。そういう意味では、ディスカバリー号はパノプティコン(byミシェル・フーコー)のSF的な改変であり、乗組員はHALの権力を受け入れていた。そのような権力は惑星間飛行プロジェクトの権力の延長。
無意識な権力の服従が徹底されるが、囚人がその場所を天国と思うような倒錯がディスカバリー号にはある。
(続く)