odd_hatchの読書ノート

エントリーは2800を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2022/10/06

小宮正安「モーツァルトを『造った』男」(講談社現代新書)

 ルートヴィヒ・ケッヘル(1800-1877)は19世紀ハプスブルグ帝国の地に生まれる。ルートヴッヒは高等教育を受けたのち、貴族の家庭教師となり、のちに貴族に列せられた。そのために無税になり、年金をうけとることができる。鉱物のコレクションを続けていた(地層学は当時流行した博物学の分野。博物学は素人やディレッタントがやるもの)。50代になったときに、モーツァルト全作品のリストを10年ほどかけて作成した。偉業ではあるものの大きな反響はなく、のちの音楽学者によって批判された。しかし、ケッヘルの付けた番号はいまだに使われていて、ケッヘルの業績を覆すことができない。

 ケッヘルの生涯と業績は今日の目からすると凡庸とみなすしかない。しかし、そのような凡庸さは19世紀のハプスブルグ帝国を象徴するものだ、ということが本書で明らかになる。すなわち、フランス革命とナポレオンは絶対王政に深刻な危機感を与えた。その結果、メッテルニヒ体制として絶対王政を強化する政治となる。起きたのは市民の権力への自由を押さえつけるもの。監視員がうようよという状況にあって、人(とくに中産階級)は外に出ることも躊躇され、芸術や学芸を主目的とするサロンを邸宅内で行うようになった。そこから中庸、小品好み、コレクションや記録などに傾注する小市民的な趣味や傾向が生まれる。全面的な知を持ち、博物学的な関心をもつディレッタントが尊敬される。世にいうビーダーマイヤー。この時期、オーストリア、ことにウィーン周辺の芸術や学芸はのちの目から見ると、ほとんど興味をひかない停滞の時代とされる。
 この市民的自由の抑圧に対する抵抗が間歇的に起きて、最大のものが1848年のドイツ革命。若きワーグナーも参加したこの革命は帝国を震撼させたが、不発となりより強い市民の抑圧になった。19世紀の前半と後半で異なるのは産業革命の影響が西洋一帯にあまねく伝わり、資本主義が定着したことだった。それは土地資産の上りで生活する貴族階級を没落させ、資本を持つブルジョアが経済の自由を求め(政治的自由にはこのころは無関心)、国家が教育と科学を体制化することにつながる。ケッヘルはすでに恒産を持った上級市民であったので、生活に影響はでなかったものの、体制化された研究者集団からはディレッタントと蔑まされるようになる。専門家集団の厳密で実証的な方法が優先されるようになったのだ。同時に音楽が産業化され(とくに楽譜出版とコンサート興行)、専門家と組んだ興行師が手掛けるので、ディレッタントの出番がなくなる。
 巨視的にみると、ハプスブルク家オーストリアは産業化と国民国家の形成に失敗して、国家は衰退していく。プロイセンにおよばず、中欧・東欧の混乱をまとめられず、ロシアやトルコに対抗できない。ついにはWW1で命脈を絶たれる。そうなるのは、プロイセン単一民族からなる国民国家という理念を持つことができたのに対し、複数民族を領土内に多数もつオーストリアがついに統合理念をもてないところにあった。またもともと複数の民族を領土に持つ国家が統合理念としてのナショナリズムを作るのに苦慮していたのがわかる。またナショナリズムの形成には、資本主義の発展とそれに伴う階級制度の解体が必要だが、産業革命が遅れたオーストリアでは階級の解体が不十分だった。植民地を持たないので、政治制度が十分な官僚制にならなかった。
プロイセンベートーヴェンを象徴として持つのに対し、オーストリアではハイドンであった。しかしハイドンでは絶対王政と啓蒙のイメージが強くて、国民国家の統合にはふさわしくない。モーツァルトは多様な土地に住み教会に抵抗したので、普遍性や多様性、市民社会の象徴にできた。ザルツブルグ音楽祭がモーツァルトの音楽祭として始まったことを思いだす。ケッヘルの仕事の背景にこれを見ることが可能。)
 著者は「ヨハン・シュトラウス」(中公新書)も書いた。本書とこれを読むと、オーストリアのハプスブルグ帝国の歴史と位置づけを大枠で把握することができそう。

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 「啓蒙」の話が出てくる。啓蒙理念から生まれたのが大学で、分化された学問を習得させるところ。実際は官僚を養成する機関であって、大学でまなんだ実証主義やデータベースなどの手法が体制維持や権力強化につながる。なるほどこの視点で、アドルノ/ホルクハイマーの「啓蒙の弁証法」がでてくるのだと納得。
 19世紀前半、貴族たちは仕事や労働をしなくてもよかったので、余暇に演奏を楽しむことができた。家族で合奏することもできた。そこから交響曲室内楽やピアノ連弾などの編曲楽譜の需要が生まれる。楽器が演奏できるようになるためには家庭教師につく必要もある。そこからディレッタントが生まれた。資本主義が隆盛すると、貴族は資産を失い、金をもつブルジョアが生まれる。ブルジョアは楽譜を読めず楽器を演奏できない。金を払って他人に演奏させるようになり、コンサートの興行や職業演奏家集団が生まれるようになった。音楽産業ができると、楽譜を読み演奏できて批評できるディレッタントの居場所はない。このように音楽の環境が変わった。
 アドルノは音楽産業と快楽的音楽消費者を嫌悪する。「音楽社会学序説」「不協和音」など参照。上記を勘案すれば、アドルノは19世紀前半の王政社会の階級が残る市民社会ディレッタンティズムの擁護者・復権者だとみることができそう。