odd_hatchの読書ノート

エントリーは2400を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2020/10/13

木下順二「木下順二戯曲選 IV」(岩波文庫)

子午線の祀り ・・・ 平家物語から取った戯曲(この人は「平家物語」の解説本を書いている。「古典を読む 平家物語岩波現代文庫)。主人公は平知盛源義経。前者は貴族の息子で粗暴な武者だったのが、木曽義仲に京をおわれてからリーダーに変身した人。天皇、家、部下など集団の行く末に悩んでいる。後者は貴種の息子でリーダーになる訓練を受けていながら感情に任せた行動をとる人(しかし軍の采配や計画は天才的)。この対比を描く。読んでの感想は、多くのすぐれた芸術家にあるのだが、晩年に近くなったときに集大成の「最後の大作」をつくるということがある。そのとき、いろいろ周囲のことを考えるのか、自分の資質にあっていないかもしれない巨大なものを取り込んだものにしようとする。描く手腕はあるので、様々なものが混在し、しかもよく練られている。主題の高邁さ、技術の見事さ、すべてにおいて立派な仕事であるのだが、読み手や受け手からすると窮屈でしゃっちょこばった物に思えることがある。傑作である、決して失敗作ではない、でもどこか身に迫らないというか、胸の奥にしっくりはまらないというか、そんなもどかしい思い。たとえばベートーヴェン「第九」「ミサ・ソレムニス」、黒澤明「乱」チャップリン「独裁者」なんかを思い出すといい。
 この人の隠れた主題であるインテリの苦悩が、平家勢に就き、壇ノ浦で裏切る民部重能によって描かれる。彼が知盛に対して、「壇ノ浦」で負けたらどうする、この際天皇三種の神器をもって、九州にも宋にも渤海に行こう、日本の外に日本国を作ろうと提案する。この理想主義で挫折しやすい繊細なインテリの悩みは現代的だ。重能は「オットーと呼ばれる日本人」の男に重なり、たぶん「風浪」の佐山にも重なるはず。むしろこちらを描くほうが作者の得意な主題であるはずで、歴史や運命に翻弄される英雄の悲劇というのは作者らしくないと思う。


龍の見える時 ・・・ 時は平安時代か。街角で鮎鮨を売る老婆、宇治拾遺物語と同じような物語集を集めようとする権大納言なる男に召され、話しをするように命じられる。老婆は「龍を見た」を答え、後は堅く口を閉ざす。いつの間にか老婆は少女に代わり、自分の経験を思い出す。森の奥に泉があり、湖底にたまった漆の宝を龍が守っている。龍は村人の共有にするならよし、独り占めすべからずと命じる。老婆は自分の秘密を明かしたことによって、心の憂いを解くことができた。権大納言は塩辛い老婆の鮎鮨を食べて満腹になる。群読という複数の語り手と、一人のセリフが交互に現れるシアター・ピース。言葉のテンポ、リズムが心地よい。


沖縄 ・・・ 大状況は1960年ころの沖縄、のさらに遠くの孤島。アメリカ軍政権から沖縄の民間政府に形式的に権限委譲。島の産業はさとうきびにパインだが、いずれも沖縄や本土の資本によって乗っ取られようとしている。またアメリカは基地の建設のために立ち退きを命じようとしている。過去、薩摩・本土の植民地とされていた沖縄は独立できず、その遠くの孤島は沖縄からも収奪されようとしている。中状況は、アメリカ軍による土地接収と沖縄資本の乗っ取りにおびえる孤島の人々の葛藤。村民はアメリカの接収反対。村長・区長は逃げ腰。沖縄戦を戦った後、沖縄にとどめられた男が暗躍する(ヤマトンチュウだったので、村民から疎んぜられていた)。沖縄の大学生、彼の友人、島のシャーマンである老婆、その後を告ぐことになっている女性、などがそれぞれの思いを持っての混乱。村の豊年祭とシャーマンの継承儀式がおこる一夜のできごと。小状況は、といってはみたものの、どの登場人物も過去の物語をもっていて(それはヤマトンチュウによるウチナンチュウの差別であり、沖縄戦であり、アメリカ依存の生活がもたらしたもの)、どの一人に焦点をあわせても興味深い。ヤマトンチュウである自分によっては、陸軍軍曹上がりの山辺とか言う男か。戦争中は沖縄で民間人に酷い目を合わせ、アメリカ軍の捕虜になったときに沖縄人だと主張してC級裁判から免れ、本土に帰ることあたわず、孤島では「ヤマトンチュウお断り」の札を幻視し、村人との接点のないように暮らす男。ヤマトンチュウのエゴイストぶりを体現している男。いやな男なのだが、それは自分の姿なのだろう。舞台ではこの男の殺人があり、最後に犯人の自殺で解決するのだが、大状況に関してはなにひとつ解決していない。ここにフィクションとしても大状況の解決策を持ち出しても、それは絵空事であるのであって、ちゅうぶらりんなままにしたことが観客の意識に深く触れるのだろう。