odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

イタロ・カルヴィーノ「パロマー」(岩波文庫) 27のフラグメントからわかるパロマー氏は自分をすきになれない冷笑家で、人間同士のコミュニケーションを信頼しない。

 パロマー氏という中産階級のインテリを語り手にした短編集。短編というにはオチもないし視点はズレるしで奇妙な味をもっている。3部3章3節で合計27のフラグメントからなる。

中年男性、職業不詳、家族は妻と娘一人、パリとローマにアパートを所有―これがパロマー氏だ。彼は世界にじっと目を疑らす。浜辺で、テラスで、沈黙のなかで―。「ひとりの男が一歩一歩、知恵に到達しようと歩みはじめる。まだたどりついてはいない。」三種の主題領域が交錯し重層して響きあう、不連続な連作小説27篇。
1983年

パロマー 岩波文庫 : イタロ・カルヴィーノ | HMV&BOOKS online - 9784003270943

 

 こういう形式を整えた構成は「マルコヴァルドさんの四季」(岩波少年文庫)でもおなじみ。

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 作者は、独り言やほら話をしゃべる語り手を多数想像しているが、パロマー氏もそのひとり。本書ではほとんど独白であるか、一人称無視点の神の語りになっているかで、彼の個性はほとんど現れない。でも断片を集めると、この人の行動性向がわかる。そこでプロファイリング。パロマー氏自身が自分を評価するに、「注意力散漫で内向的」で「神経質」、「隣人とうまくいかない」という。加えるとこだわりが強い。そこから事物の観察をよくする。対象は庭やテラスの動植物から、遺跡名所、さらには波に星まで。博物学趣味は多種多様。その守備範囲はひろいのだが、特長的なのは人間事態を観察してはいないこと。実際、星や宇宙を観察する理由は「人間抜きの世界」を想像するためで、それは「隣人とうまくいかない」から。パロマー氏は妻子がいるようだが、一緒に出掛けたり食事をしたりすることはない。気難しい「マルコヴァルドさん」がやっていたこともかれにはできない。隣人とうまくいかないどころか、観光客や買い物客などの中にいることが苦手で耐えがたい。それは「隣人とうまくいかない」ことが高じた大衆嫌悪の意気にまで達していると思う。大衆嫌悪の理由はパロマー氏が自覚しているように「自分をすきになれない」から。

 


 ああ、こうやってまとめてみると、パロマー氏はモッブ(@ハンナ・アーレント)の典型なのだな。資本主義の競争に潜り込めないで脱落して、孤立化アトム化している。自分の価値を低く見積もっている。それは他人の価値を認めず、どうでもよいと考えるに至る。人間同士のコミュニケーションを信頼しないので、人間向きの世界や観念のほうを重視する。そこには自分も他人もいないし。そのような行動性向が現れたのが、本書のフラグメントなのだ。
 そこから特徴的だと思うのは、パロマー氏が物事に冷笑的で、相対主義をとるところ。ことに第3部の「パロマー氏の沈黙」のあたり。当時のイタリアが政治状況が正義や善を語りにくいのであったのを理解するけど、社会や正義についてどっちもどっちととるのはなあ。権力と反権力の暴力を否定したら、権力の暴力のみが残ってだれもが国家に抑圧されてしまう。カルヴィーノの謂いを後続のインテリや知的エリートらがそのまま受け取ったのが、21世紀の状況にみえてしまうのだ。彼の「優柔不断(解説)」も政治優位の社会を生きる知恵だったかもしれないが、本書から排除されているさまざまなマイノリティ(移民や難民)が町に目に付くようになったら、インテリが「沈黙」するのは有効な対処法にはならない。
 小説の技法は手が込んでいるし、博識であって(しかし40年もたつと古びている)、科学と人文学の架橋もよくやっている。でも、根底にある冷笑や相対主義が俺にはもう楽しめない。

 作家の仕掛けは序に書かれている。

「部、章、節に使われている数字は、単に順番を表わすだけではなく、どの節においても、三種類の主題領域を表わしている。三種類の経験や探求が割合を変えながらも、この本のページすべてに現われている。
 1は、一般的に〈視覚による経験〉を表わし、ほとんどいつも自然の形態を主題とする。テクストは記述の形式をとる。
 2では、人類学的もしくは広義の文化的要素が現われてくる。ここで語られる経験は、視覚的条件以外に言語・意味・象徴をも含む。テクストは物語ふうである。
 3は、より思索的な経験を扱っている。宇宙・時間・無限、自我と世界との関係といった世界にかかわっている。読者は記述や物語から瞑想の世界へと導かれる。」

 また訳者も次のように言う。

「この作品は、縦に読むだけでなく、各部・章・節の同一数字ごとに横に読むという方法で楽しむことも可能である。(訳者)」

 というわけで、本書の並び順、章の数字順、節の数字順にサマリーを並べてみた。


 何か言えるかと思ったが、上の感想を書いたらすっかりやる気が失せた。

 

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