odd_hatchの読書ノート

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木下順二「木下順二戯曲選 II」(岩波文庫)「彦市ばなし」「夕鶴」「山脈」「暗い火花」 1950年代の作品。実験と告発の時代。

 1950年代に書かれた作品が主に収録。
彦市ばなし ・・・ 熊本弁で書かれている。怠け者の彦一が天狗の隠れ蓑を騙し取ろうとし、一方殿様から河童つりと称して鯨の肉を奪い取ろうとする。その結末は・・・ せいぜい20分くらい。のちに狂言の演目として定着したということであるが、2008年NHK教育TV「にほんごであそぼ」において、5回連続で放送された。


夕鶴 ・・・ これも民話に取材した短い戯曲。与ひょうとつうの人外婚。そこに資本主義ないし商業主義を具現化したような商人が現れ、生産を2倍に増やして大もうけしよう(金を増やそう)と持ちかける。この欲望に膨れ上がった与ひょうは、生活も資本も失う。團伊玖磨がオペラにした。


山脈(やまなみ) ・・・ 1945年の春、夏、秋の3つの季節。たぶん長野の田舎村の農家の離れ。農家は戦時経済の気まぐれ(桑をつぶして米を増産せよ、翌年には絹糸を増産せよ、しかし肥料を渡さない)で疲弊しているし、相次ぐ召集で労働の担い手をなくしている。そこに東京の勤め人の妻が疎開してくる。その夫は招集されてどこかの戦地に行っている。取り持った男は自分の妻がありながら、妻に横恋慕。そこに加わるのは、肋膜を患って召集されないために役場の職員になって、戦争政策を一生懸命に遂行しようとする男。農家の人々からは、生活と政治が浮かび上がり、東京の疎開者からは、インテリゲンチャの悩みと愛憎の情念が浮かび上がる(通常はインテリの知性に、大衆の情念なのだが、ここでは転倒している)。中心人物は疎開してきた勤め人の妻。最初は貞節な妻として表れ、取り持った男が広島に召集されることがわかると駆け落ちし、ゲンシ(作中でこう呼ばれる)にあって闇屋の手伝いとして生きている。この変遷が成り行きのようでいて、強い意志に基づいているようであって、興味深い。あとは、「戦後」の体験の仕方かな。戦地の飢餓状況を生き抜いた特攻帰りは村の農業に興味をもてなくなり、自暴自棄な闇米売りにしか生きがいを見つけられず、肋膜を患って召集されなかったことをコンプレックスにもつ役場の職員は、8月15日のあと数日酒びたり。なんで戦時中にあんなにいっしょうけんめいになったんだと自己省察にふけ、とりあえず農業を続けながら考えようと決めている。典型を描いていて見事。


暗い火花 ・・・ 大学卒業後、すぐさま召集、その後抑留された20代半ばのインテリ。鋳物の街工場を合理化する職務で雇われる。彼はアメリカの近代機械を導入して生産力を高めようとするが、経営者・職人の反対にあう。近代的な会計を行って原価計算をきちんとしようとするが、それもままならない。機械導入費用を売り掛け先から捻出しようとするが、それは資金繰りをくるしめることになってしまう。にっちもさっちもいかないこの若いインテリ。おりからの停電のさなかに、夢のような出来事に遭遇する。彼が雇用した若い女の経歴、満州で生まれ戦後捨てられて日本に戻った彼女の虎の夢。それはバーの女のものであるようで、社長の娘のものでもあるのかもしれない。技術や共同体のより場のないインテリがどうにかして自尊心を持ちたいと願いながら、居場所のなさと自信のなさによってそれが裏切られる。民衆というか大衆というか生活者に敗北し、また経営者や資産家の機会主義や合理主義にも敗北するインテリの妄想。そういうありようが、古典的な舞台形式を逸脱する形式で書かれている。意識の流れめいた独白、句読点のないセリフ、幕がなくて暗−明の交代によって状況が一変する舞台、過剰なト書き。めちゃくちゃは1960−1970年代のほうがすごいのだろうが、それもこういう意識的・形式的な実験があってのもの。ここには明晰な分析精神とか理性とかがあって、作者はハプニングも即興もパフォーマンスも取り入れていなくて、やはり舞台は作者のコントロールのもとにあるべきものなのだ。


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