odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

トーマス・マン「ブッデンブローク家の人々」(筑摩書房)第1部・第2部 ドイツ19世紀半ば、成り上がり企業の三代目が後を継ぐ

 18世紀末、北ドイツの都市にある商会が生まれる。海外貿易と国内問屋業と運送業を兼ねたような企業だ。貨幣経済が浸透し、イギリスの産業革命と植民地支配が成功して大量の商品が生産されているときに、後発の資本主義社会はまずこのような流通と販売業が要求されていた。ブッデンブローク家はいち早く起業して、大きな成功を収める。それが1830年代。
(川北稔「世界システム論講義」(ちくま学芸文庫)によると、17世紀にオランダが貿易と金融でヨーロッパの覇権を獲得したのはバルト海貿易(東欧との商業ルート)を独占したためとのこと。この時代はイスラムが地中海貿易を独占したので、新たな交易ルートが必要だった。その後、ヨーロッパはアフリカとアメリカの三角貿易帝国主義を広げていったが、ドイツはそこに乗り遅れていたので、バルト海貿易はとても重要な産業だった。19世紀にはロシアでもドイツでも工業化が進んだので、海運や国内問屋業や運送業も一緒に成長していた。)
 そこからおよそ45年、4代にわたる一族の栄枯盛衰(rise and fall)が語られる。
 テキストに使ったのは、実吉捷郎訳の筑摩書房版。KINDLEにあるもので読んだ。
 
第1部 ・・・ ドイツの都市リューベックにあるブッデンブローク商会が、たぶん事務所兼任の屋敷を新築した。そのお祝いが行われた。初代ヨハン(71歳)はすでに実務から離れ、息子のヨハンが仕切っているが初代ヨハンには頭が上がらない(この家は党首は代々ヨハンを名乗るしきたりがある)。初代ヨハンの現在の妻はベティだが、先妻の息子ゴットホルトは家を出て小売店を経営している。ゴットホルトは遺産の生前贈与を要求している。ヨハン(二代目)はとりなそうとするが、初代ヨハンは聞きそうにない。この頑固さが商会を大きくしていったのだろう。
 ヨハン(二代目)には息子トム(トーマス)とクリスチャンがいる。妻エリザベートはクレーゲル家の出。お祝いに一族がうちそろって集まる。またブッデンブローク家はプロテスタントの長老会に所属し、その縁で牧師や教会を同じにする街の名士たちも集まる。その中には詩人ホフシュンデのような道化もいて、このお祝いのために詩を要ししていた。宴会はずっと続く。商会が永久(とこしえ)に繁栄するかのように。
(予備知識なしで読み始めたのだが、ブッデンブローク家の構成といい、冒頭のパーティシーンといい、映画「ゴッドファーザー」を思い出しましたよ。発表の順序は逆だけど。初代の存在感の大きさと無学でありながら経営手腕が卓越していて、強い父権を持っている。二代目は学はあるが育ちの良さで争いごとを控えたがる傾向がある。そういうよくある代が変わったときのパーソナリティの違いを(たぶん)最初に近代小説にしたもの。第1部では背景が書かれていないが(ドイツの読者には自明だったため)、ドイツはまだ統一されていない。プロイセンが強大になって来ていたが、バイエルンの王国や北部の諸侯都市が存在していた。東方ではオーストリア帝国が強大化。そこにおいてドイツの資本主義が隆盛しようとしていた。ブッデンブローク家は近代化されていない国の間で商品を仲介することで利益を上げてきたと見える。しかし国家が統一されると、貨幣も統一され、為替差額が亡くなり、価格が平準化する。そうすると、古いタイプの通商に専念する企業は競争から脱落するだろう。冒頭はブッデンブローク家がもっとも繁栄した時であるが、すでに没落の兆しは現れているのだ。)
2012/02/01 ゲルハルト・ハウプトマン「日の出前」(岩波文庫)
2012/02/02 ゲルハルト・ハウプトマン「織工」(岩波文庫)

第2部 ・・・ ブッデンブローク家第三世代の幼少期。トーマス、アントーニエ、クリスチゃン、クラーラ。トーマスは賢明で堅実で活動的。アントーニエは小さな女王様で奔放。クリスチャンは兄に引け目を感じるいたずら好き。クラーラは生まれたばかりで個性はない。10代になるとトーマスは事業を継ぐための勉強を始め、アントーニエは寄宿学校に入れられますます品行不公正になり、クリスチャンは歌劇場の歌姫に熱を上げる。三代目になると、貧乏や倒産危機を経験していないので、スノッブの傾向がでてくるのだね。
 第二世代のヨハンは堅実でリスクを取らないタイプ。トーマスが跡継ぎになる意思を見せているので40代で隠遁したいと思っている。妻エリザベートとはうまくいかない。妻の兄ユストウスがディレッタントで失敗のたびにヨハンに無心しているから。それに異母兄のゴットホルトとも喧嘩ばかり(ゴットホルトを生んだ後すぐに初代ヨハンの妻が死んだので初代ヨハンがゴットホルトを嫌っているのが二代目ヨハンにうつった)。
 それでも1830年代から50年代までのブッデンブローグ家は好景気のなかにあったのである。
 当時のブルジョア市民の生活がとてもよくわかる。仕事に熱心であり、宗教的な戒律をまもり、家の繁栄のために勤勉である。プロテスタンティズムが実業家一家の生活と精神をまるごとおおっている。以下の参考書では抽象的理念的に書かれるドイツの人々の生活が具体的に立ち現れてくる。これは小説だから可能なこと。トーマスは家業に熱心であり、現場にはいり帳簿を読めるようになるよう勉強した。似たような境遇にあったトニオ・クレーゲルやハンス・カストルプ(「魔の山」)が家業やビジネスに興味を持たなかったことと好対照。

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odd-hatch.hatenablog.jp 同時に、19世紀前半にはブルジョアが芸術のパトロンになり消費を開始していたこともわかる。リューベックには歌劇場があり、毎夜オペラが上演され、上流階級やブルジョアは社交を兼ねて連日繰り出したのだった。その中から芸術愛好家が生まれる。歌手のパトロンになったりもする。その変化は以下が参考になる。

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 ブッデンブローク家の三代目はシュリーマンとほぼ同世代人。シュリーマンの生涯を彼らに重ね合わせると、当時のドイツのブルジョアが見えてくるようだ。

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 ここでようやく人物紹介と導入部が終了。全体の1割を使ったのに、何も起きていない。
 膨大な人物が現れ、外貌から人となりまでが語られる。その描写のち密で重要な人物であるように思うのに、次の章になったら一切登場しない人物がたくさんでてくる。誰を主人公にしているのか、どの関係にフォーカスすればよいのか、手掛かりなしの読書の最中は途方に暮れるのだ。そこで、自分はネットに転がっていた登場人物表をトレースして下図のような表を作成した。これがブッデンブローク家の系図。複数の章にわたって登場し、行動と発言と内話が記述されるのはこれらの人たちだ。彼らの動向を追いかければ、小説の中で迷うことはない。


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2023/05/24 トーマス・マン「ブッデンブローク家の人々」(筑摩書房)第3部第4部 家が決める結婚が奔放な女性を苦しめる  1901年に続く