odd_hatchの読書ノート

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トーマス・マン「ワイマルのロッテ 上」(岩波文庫)-2 1816年ナポレオンを支持する大ゲーテはドイツ精神の裏切り者と目される

2023/04/24 トーマス・マン「ワイマルのロッテ 上」(岩波文庫)-1 「不滅の愛人」にさせられたシャルロッテ、ゲーテに真意を問いただすことにする 1939年の続き

 

  


第4章 ・・・ はいってきたのはアデーレ・ショウペンハウアー令嬢(兄アルトゥールは1818年に「意志と表象としての世界」を発表)。彼女も子供のころからゲーテを知っている。でもこの人が偉大なのはこどもにもわかっていて、他の大人のように親しくなれなかった。令嬢がみるにゲーテは暴君。自分の偉大さを見せつけて、周囲の人を隷属させる。シャルロッテに会いに来たのは、友人のオティーリエ・フォン・ポグウィシュがゲーテの息子と婚約したので。そのことで相談があるという。
(年齢差が大きいと、あまりに年上の人は暴君のようにみえるのだろう。さらに性差が加わると、他人を隷従させるようになる。追記:第5章を読むと、暴君と評価するのもうなづけます。)

第5章 ・・・ アデーレが語るポグウィシュの物語。前史を知らないといけない。1812年ロシア遠征に出たナポレオン軍は途中のプロイセン軍と戦闘する。プロイセン軍は敗北し、国民(とは何か)は憤激したが、ゲーテはナポレオン軍に厚遇されたので、ナポレオンを賛美した。パリ移住を勧められて真剣に検討するほど。息子も同調していた。しかしモスクワでナポレオン軍は敗退し、プロイセンの支配も失った。当然巻き起こるナショナリズム運動。そこにおいてゲーテはかつてのようなドイツ精神の持ち主ではないのではと疑われるようになっている。
 その年に、ゲーテはオティーリエの美貌と有能さに目をつけたら、息子が彼女に求愛するようになった。アデーレから見ると、ゲーテの息子アウグストは無能。放任主義で育てられ、「偉大な人物の息子(しかし庶子なので正当な息子であるとみられていない)」であることに萎縮している。不機嫌で憂鬱、自信が不足していて神経過敏、文芸や学問をするのはかたくなに拒否という人物。一方オティーリエはプロイセン主義に熱狂しているのに、アウグストを運命の人と思い込んでしまった。
(このプロイセン主義は「北方の(プロイセン)人種がザクセン、チューリンゲンの人種に勝っているという考え」にあり、1812年の敗北のあと倫理的覚醒と立ち直りを見せたことを誇りにしている。これを見ると、国家があるからナショナリズムが生まれるのではなく、レイシズムと敵国蔑視があるからナショナリズムになるのだと思う。ロシアや日本もそうだった。)
 1813年、プロイセン市民が決起。フランス軍に対するレジスタンスが始まりオティーリエも参加するが、敗北しフランス軍が占領する。冬から春のモスクワ侵攻に失敗してフランス軍は撤退し、ワイマールにはロシアのコサック兵が来る。ほかにもオーストリア軍、クロアチア軍などが駐留し、市民は兵士の世話をさせられる。この間に、オティーリエとアデーレはハインケ・フェルディナントという義勇兵をかくまい、脱出させた。この飾り気のない青年にオティーリエとアデーレは好意を抱く。翌1814年、ふたたび決起して義勇軍が編成された。アウグストはいやいやながら参加する。プロイセン軍は勝てないので、成果なく帰還したが、アウグストは熱烈なナポレオン支持者になっていた。
(なるほど、プロイセンオーストリアはナポレオンとイギリスとロシアに振り回されて、政治的にも経済的にも混迷していたのだ。土地が他国軍の統治になり、他国軍の世話をさせられるという屈辱は愛国心をいや増しにし、レジスタンスにもなるであろう。目下の政治的問題に注力するために、創作者は仕事を放りだすこともあったにちがいない。ここで言っているのはベートーヴェンその人であって、1812年交響曲第7と8番を発表した後、長い沈黙にはいる。これまで自分は彼の個人的な事情と思っていたが、ウィーンが最も動揺していた時期だったのだ。)
 さらに翌1815年、ナポレオンはワーテルローでは敗北し、島流しになる。ここに至ってアウグストは社交界のつまはじきになり、酒と喧嘩三昧の荒んだ生活になる。ナポレオンの支持をめぐって喧嘩になった会うぐづとはオティーリエに絶交を申し渡す。ハインケの無事も知らされたが、許嫁がいて近々結婚するとの由。二人の娘は少し意気消沈。最近(1816年)になってアウグストはオティーリエに近づき、勝手に結婚を宣言してしまった。オティーリエの後見人がなくなり、このままだと結婚してしまう。どうしましょう。
ゲーテその人はほとんど姿を見せない。若者の物語であるから、という理由もあるが、ゲーテ1812年のナポレオン侵攻の際にボヘミア疎開して、そこで詩劇などの制作などに励んでいたのだった。戻ってきたのは本書の記述からすると、1814年ころでフランス軍がワイマールを占領していたころ。占領軍との交渉役にもなっていただろうが、ナポレオン支持となると市民の支持は少ない。しかもアウグストというできの悪いやさぐれ者を通してみると、アウグストのダメなところは大ゲーテ自身にもみられる。すなわち、不幸な破壊的な現れようを示す性質をもち、倫理的いかがわしさと偽善的なものをもっている。リーマーがゲーテの秘書をやめたのはアウグストが傲慢で侮蔑的であったという理由であるが、その態度はそのままゲーテにも通じるというのだ。ドイツ精神そのものと目されるゲーテではあるが、自分の理念に合わせた結果、ネーションを裏切る言動をしてしまう。
 これはドイツ賛美のさなかにある1930年代ドイツ国民に冷水をぶっかけるような挑発だよなあ。)
(訳注によると、「アウグストとオティーリエは1816年12月31日に婚約を発表し、翌年6月17日に結婚した」とのこと。近世では女の意向が通ることはめったになかった。とくにアウグストは貴族扱いなので、諸般の事情で結婚に至ったのだろう。もともとオティーリエに目をつけたのは大ゲーテその人であり、アウグストはオティーリエに「ウェルテル」のような愛情はなかった。「偉大な人物」のマネをしたのだとアデーレは解釈する。)


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2023/04/21 トーマス・マン「ワイマルのロッテ 下」(岩波文庫)-1 大ゲーテは過去にうぬぼれ他人を嫌う俗物になっていた 1939年に続く