odd_hatchの読書ノート

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村上龍+坂本龍一「EV cafe」(講談社) 1980年代の愚かしくも懐かしい時代のカンズメ

 1984年に村上龍坂本龍一がゲストを読んで対談した記録。ゲストで呼ばれたのは、吉本隆明河合雅雄浅田彰柄谷行人蓮実重彦山口昌男

 この時代、浅田彰の「構造と力」が売れて、ニューアカデミズムという名前で若手の哲学者・評論家の本が大量に流通していた。あるいは小劇団の小さな公演をみることもファッションの一部。野田秀樹とかはNHKの芸術劇場で放送されたこともある。テクノロジーと経済では、最初のパソコンがでて、記録媒体のないシンセサイザーがあり、コンピューターグラフィックが流行で、日本が半導体の生産あたりでのしてきて、その一方アメリカの生産が落ちてきていた。オーウェルの「1984年」の年だったが、あのようなハードな管理体制は共産主義国でもほころんでいて、まして資本主義国ではソフトな管理になるのではないかといわれていた。昭和天皇は高齢でも元気で、昭和の御世はまだ続くと思われ、「核の冬」の議論によって戦争は起こらないと思われていた。日本の生産はとてもうまくいきそうで、東京はTOKYOの世界最先端の街であるように思えた。このころには日本のあり方で、世界の問題が解決するのではないかと考える人もいた。まあ、そういう時代だ。
 あるところではこの意識は裏切られたし、あるところではこの本で語られた問題はいま(2009年)でも生きている。予言というのはあたらないのであるから、彼らの「先見性」も懐古的に思えてくる。
 一番面白かったのは、河合雅雄のいった「人間が生まれて350万年たっているが、そのうち349万年は変化がなかった。しかし最近の1万年で大きく変化・進化・進歩した。こんなに激しく変わったことはない。その一方349万年間変わらなかったことに注目すべし(自分のサマリ)」、ということ。こういう超歴史的な視座を持つこともなんとなく、重要に思える。とはいえ、349万年の変化のない世界がユートピアとも、人間のオリジナルな世界であるとも、回帰すべき目標であるとも、まったく思わないけどね。
 1980年代がどうだったかを思い出すには、よい本ではないかな。ある世代の人には、戻るべき「old good days」らしいが、とてもそうは思えない。その時代の混乱と愚かしさを垣間見せるものではないかしら。