odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

山口昌男「道化の宇宙」(講談社文庫) 秩序と安定に逆らい挑発する道化・放浪者・亡命者・マイノリティ。

 山口昌男の文章を読むと、元気が湧いてくる。大量の引用、大量の書肆、たくさんの人名、たくさんの作品、幾多の地名。自分の知らないことはたくさんある、それを知ることは楽しい、それがつながることは楽しい。こんな気分になって、知的エネルギーがわいてくる。さらに著者は、通常つながらないような事象につながりを見つけ、新たな意味や価値を見出すことを目指しているので、そこに書かれたことは古臭い訓詁学とはまるで違った新鮮さをもたらしてくれる。「1920年代のベルリン」というキーワードで、シェーンベルクブレヒトナボコフ、「カリガリ博士」、マレーネ・ディートリッヒなんかがサーチできる。それぞれは自分も持っている情報だった。しかし、つながっていなかった。それが、一編のエッセイでつながる。つながり、なにかがほのみえることの快感。

 「道化」をキーワードに、古今東西のさまざまな事象を紹介している。通常、このキーワードだと文学(というか古典の民衆文学あたり)をフィールドワークの対象にする。ところが、著者が紹介するのは、舞台・演劇・音楽・映画・ポスターなどなど。時代もバロックから現代まで(主要な関心対象は1920年代)、もちろん時代を特定できない民衆演劇や歴史外民族の事も出てくるので、ほぼ全地球的な規模で知的な関心をもっているということになり、我々の知らない知識を次々に開陳してくれる。この知の驚きは、発刊(あるいはエッセイ初出)当時、とても衝撃的だった。
 2つの章に沢山のエッセーが収録。1編ごとに詳述する必要はないので、テーマをリストアップ。
道化の宇宙 ・・・ フェリーニ「道化」。ベルイマン魔笛」。キュービズム、ロシア舞踊団。猿若歌舞伎。大戦間チェコアヴァンギャルド芸術とチェコ構造言語学。18世紀の喜劇的幕間劇(チマローザ「秘密結婚」、ペルゴレージ奥様女中」。その前身としてのヴェッキ「マドリガル・コメディ」)。モーリス・センダック。パンチとジュディ。マルクス兄弟チャップリンキートン。ヘルツォーグ「カスパー・ハウザーの謎」、ルノワール素晴らしき放浪者」。島尾敏雄ヤポネシア」。

文化史の盲点 ・・・ ココ・シャネル、エリック・サティ、ジャン・コクトーオッフェンバック。クルト・ワイル。「マハゴニー市の興亡」(アドルノの「マハゴニー@楽興の時」)の読み取り(ここで、マン「フェーリクス・クルル」ヴェデキント「ルル」が類似という興味深い論点を提出。もちろん俺は気づかなかった)。それをうけてヴェデキント「ルル」。1977年イランで行われた国際民族学学会報告で、テーマは道化劇。


 そろそろ衝撃力は失われたかな、と初刊30年後を経ての読書の感想。自分の知っていることに紐寄せれば、ワイルやオッフェンバッハはだいぶ聞く環境ができてきたし、モーツァルトの下種で愉快な人格とかスカトロ趣味も良く知られるようになったし、ベートーヴェンも初期の古典派風マンネリ音楽の面白さが知られるようになったし。あとはいくつか。
・即興劇や道化劇の話がある。その劇団はシステマティックな教育体系をもっている。劇の直前には俳優同士で大まかな筋を確認するけど、観客の状況に敏感に反応して即興で劇をつくっているそうな。すべてがそうではないにしてもね。この話を聞いて面白かったのは、まさに1980年以前のプロレスがそういうものだったから。放浪するプロレスラーは興行主の要請に応えるのであるが、それぞれキャラクターをもち、相手と簡単な打ち合わせをして(それすらないときもある)、観客の反応と相手の力量を見ながら即興で試合を作っていくのだった。この視点ではセメントか八百長かという評価軸は生まれず、最強論なども無縁で、でも心奪われるプロレスというジャンルに分け入る見方が可能であるように思う。
・「道化」で抽出されるものにカレル・ヴァン・ウォルフレンが「日本/権力構造の謎」で出てくる存在維持を目的にする社会権力のシステムがあるのだなということ。通常、このシステムは不可視なもの・空虚なものであるのだが、道化の存在がこの権力システムの暴力性を垣間見させる力を持っているよ、ということになる。とはいえ、この力はのちに痕跡程度の小さな影響として観測される。継続的な道化の力は、いずれシステムに取り込まれて、捨てられるのだろうなあ(ふと思いついたのは田中角栄かな、もうひとりが三浦和義 2008年10月10日自殺)。
・「パタフィジック」という言葉が出てきて、対称語はもちろん「メタフィジック」=形而上学であるのだから、形而下学とでも訳すのだろう。これはすなわち魔夜峰央パタリロ」の語源になる。まあ、リロ=リアリティとかリロ=理路の連想でもって、理念や観念などの上にあるものからははじかれ、現実の層の下にあるもの、すなわち道化とか魔物などの謂いであり、われわれ読者の世界を混乱させ、秩序を破壊し、意味を無意味に・意義をナンセンスに・センチメンタルを哄笑に・涙を踊りに・儀式を狂乱に変えるものであり、生と死を行き来し、魔界や霊界の住人と友人になり、繰り返しを騒乱にし、災厄とトラブルと福と収穫をもたらし、権威をコケにし挑発し、自身は殴られ笑いものにされ、糞尿と美食を同時に愛好し、性的にはタフで上限を知らず、失恋ばかりし、子供と狂人にはすこぶる好かれ市井の民からは嫌われるという道化=トリックスターにほかならない。まことに良い名前をみつけたものだ、と寿(ことほ)ぎたい。

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