odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

吉野源三郎「君たちはどう生きるか」(岩波文庫) 社会の分業体制を認識し生産活動に参加しろ、差別と暴力に集団で抵抗しろ

 昭和10年山本有三らといっしょに編集した「日本小国民文庫」の一冊。のちに(1960年代)、ポプラ社で復刻されている。たぶん小学生のときに読んだとおもうのだが、記憶は定かではない。しっかりと読んだのは岩波文庫に収録された1982年のとき。今回は約30年ぶりの再読。

 テーマはティーンエイジャーの倫理について。主人公が中学2年生の14歳に設定されているように、この年あたりから社会と他者に対してそれまでと異なる認識をするようになるのは今も当時も同じこと。主人公・本田潤一くんは大学で哲学を学んでいる(ないし教えている)30代とおもわれる叔父さんから「コペル君」というあだ名を頂戴し、それが家族・クラスメイトを含めた愛称になっている。注意するのは、コペル君は父親と死に別れていることで、この時代、父権の強さといったらたいしたものだったので、父が実在するのであれば、この物語ではコペル君のさまざまな認識も父権によって抑圧されていたに違いない。父の不在がコペル君の自由で闊達な認識のベースになっていることに注意。
 さて、中学2年生のコペル君はすこしばかり背伸びをするように社会関係とか自然などに興味を持ち始めている。この物語では、まず日本橋か銀座の百貨店の屋上から自動車のヘッドライトが蛍か星のようにみえ、ひとつひとつの明かりの下にそれぞれ異なる人がいるという存在の不思議に驚く。次には、自分の手元にあるコンデンスミルクがオーストラリアから多くの人の手を経て自分に届くという社会の網目=叔父さんのいう生産関係を独立に発見する。
(内田義彦「資本論の世界」によると、この生産関係には、
企業内の分業:賃金奴隷制や命令の服従関係がある、
社会内の分業(市場にあたる):企業その他の自由状況があり、原則として参加する主体には上下関係はない、
があるとのこと。)
 そのような生産に従事する人をコペル君は見たことがないが、クラスメイトの浦山くんに見出す。彼は貧民街の豆腐屋の息子。勉強もできず、運動もだめだが、油揚げを製造することにかけては一人前であることに驚嘆する(叔父さんからは、コペル君はまだ生産活動に従事していない、人の価値はとりあえず社会への生産で評価されるのだと、指摘が入る)。コペル君は片親の家庭ではあるが、生活に不自由のない中産階級以上の場所にいるのだった。浦山くんとなかよくなり、かつ、もとからの友人とも仲のよい関係を作るが、当時のこととて堕落した下級生を制裁するという名目で暴力をもてあましている上級生に目をつけられる。雪合戦のさなかに不注意から(ここの舞台設計はみごと。雪の楽しい遊びが一転して暴力の凄惨さに変化する)、上級生の制裁をうける。コペル君は友人らとともに決起するという盟約を交わしたものの、それを実行に移せない。そのことに対するひけめ、自己批判はこの年齢であればよく経験するものであった。和解したのちに(そこにいたるまでの彼の精神的な遍歴はしっかり読み取ろう)、今度は時間における人類の歴史の広大さに感嘆する。
 きわめて抽象的にまとめるとこんな感じ。著者がまだ30代前半であったから、こういうローティーンの心象風景を描くことができたのであったとおもう。「君たちはどう生きるか」の主題は問いかけであって、こうしろ・こうあるべきという答えはついぞださない。なるほど哲学とは問いを見つけること、その問いを繰り返し問うことが重要であるのだと思い直す。ここで、答えを出していたら、それはなにかのイデオロギーか偏屈な主張であることだろう。このやり方が、現在でも読まれる理由であるのだろう。
 さて、ほぼ同時期に佐藤紅緑「ああ玉杯に花うけて」が書かれている。佐藤のそれは一般民衆の立場から見るもので(きしくも主人公のチビ公は豆腐屋の息子)、「君たち」はインテリないし中産階級以上の息子(コペル君はチビ公からみた光一にあたる)という具合に社会を見る目は別のところにある。しかし、二つの書籍で語られる出来事はいかに似ていることか。こういう貧困者と資産を持つものの立場の違い、しかし金銭の多寡と品格には関係がないという認識。あるいは英雄に対する考え方(「ああ玉杯」では弁論大会の主題が「英雄論」で、「君たち」ではナポレオンの評価をめぐって議論がなされる)の対立。また息子や娘が上級生に制裁されたときの親の対応の仕方(「ああ玉杯」では坂井、「君たち」では黒川という乱暴者が登場)の類似。まあ、こんな具合に昭和10年代の中学生の世界を追体験してください。ああ、これらは恋愛とセックスの問題に一切触れていないので、現代の若者にはその点においては参考にならないかもしれない。

    

<追記 2019/10/1>