odd_hatchの読書ノート

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チャールズ・ディケンズ「エドウィン・ドルードの謎」(創元推理文庫)

 長編探偵小説の創始者のひとりの遺作。ディケンズの長編はたいてい探偵小説風味の風俗小説という趣があるが、これは不可解な事件の謎解きがメインテーマのひとつ。たぶん構想の3分の1か4分の1で中絶したために、伏線は張りきれていないし、犯罪捜査が始まったところで中断したし、何人かの重要人物は紹介だけで済んでいるとかの問題もかかえている。まあ、書かれたところまでで事件の全貌を明らかにすることはできないだろう。訳者の解説を読むと、最大の問題はエドウィンが生きているのか殺されているのかということ。これについていくつか異説があるとのこと。あとダチュラーといういかにも変装した人物がだれかについても異説がある。犯人はジョン・ジャスパーでほぼ一致。これらの探偵小説的な解読には自分には興味は生まれなかった。

「たがいに反目し合っていた二人の青年、エドウィン・ドルードとネヴィル・ランドレスは、クリスマス・イヴにエドウィンの叔父の家で仲直りの食事をしていた。その翌朝、エドウィンは姿を消してしまう。捜査の結果、彼の懐中時計が見つかった。はたして何が起こったのか? 文豪ディケンズの絶筆となった本格的な推理長編!」
エドウィン・ドルードの謎 - チャールズ・ディケンズ/小池滋 訳|東京創元社


 その代わりに注目するのはジョン・ジャスパーという奇怪な人物について。ディケンズの小説はいくつかしか読んでいないので、大仰な判断になるかもしれないけど、ディケンズの創造する人物は見かけと中身はたいてい一致している。正直でお人よしの人は苦境が起きてもそのままだし、不機嫌な人はやはり不機嫌なまま。そんな具合に見かけの判断とその本性に差はない。せいぜい「クリスマス・カロル」のスクルージ爺さんが改心するくらいかな。この小説でも、のちに事件捜査の主導権をとることになるクリスパークルも、その後押しをするグルージャス老人も、兄の冤罪を晴らすためにけなげなヘレンも登場以来一貫していい人だし、わがままで世間知らずのお嬢さんローザはたぶんその性格は維持されるだろうし(エドウィンを敬遠していたけど、あとでもっと快活なターターと結ばれるらしいのは結構な話だ)、嫌な奴として描かれるトゥインクルトン女史もハニーサンダーもまあいやな奴のままでなにか罰を受けることだろう。
 ところが、このジョン・ジャスパーは違う。教会の聖歌隊長で優れた声楽家であり、社会的な地位は悪くはない。彼の不満はエドウィンのいいなずけローザを横恋慕しているが彼女が振り向いてくれないこと。それにたぶんロンドンから離れた田舎都市の生活に飽き飽きし、人生の意義を感じていないこと。とはいえ、脱出する勇気もなく、阿片窟に入り浸って、アヘン中毒患者の女と腐れ縁を続ける。まあ、欲望が噴出しながら制御できず、人との交通を望みながら自ら断ち切り、絶望にさないまれつつも陰謀をめぐらすという、なんとも複雑怪奇な人物。たぶん神とか労働とか公共などの当時の社会規範を容認できないニヒリズムや懐疑の持ち主なのだろう。奇妙なキャラクター付けは、1)他人を自分の思うままに操る特殊能力の持ち主らしい(催眠術のような呪術能力の持ち主。唯一それが効かないのがヘレン)、2)言葉で人を操ることができる:ジャスパー、エドウィン、ネヴィルの三人が集まるシーンで突然エドウィンとネヴィルが喧嘩を始めるがそのきっかけはジャスパーのそそのかし(極めて巧妙な書き方で読み返して初めて分かった)、3)サディズムマゾヒズムアマルガム:阿片窟の女、デュピティと呼ばれる浮浪少年などには強権的で暴力をふるうのに、ローザの前では嫌われていることに快感を感じる、ということ。このような複雑さの持ち主は自分の少ないディケンズ体験で知った小説のキャラクターにはいない。このような複雑な性格の持ち主が探偵小説にあらわれるのはこれから40-50年先になる(「エドウィン・ドルードの謎」初出は1870年)。そのような人物を造形したということで、これは傑作に値する。
 もちろん19世紀小説の常としてストーリー展開の緩慢さ、長い会話、少ないアクションなどに現代の読者は辟易するかもしれない。しかし映画もTVもレコードもない時代に、総合芸術を表現するには文章のみであるとすると、この冗長さは重要であり読者が容認していたことだと理解すると、読書の快楽に転換する。ただ気になるのは、地の文がすべて現在形であること。原文がそうだったのかもしれないが、文末が「する」「ある」「いう」に限定されるというのは、読書のリズムを崩すので奇妙な書き方だと思った。

 続きを書いた本の翻訳もあった。自分は未読。