odd_hatchの読書ノート

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アレクサンドル・デュマ「モンテ・クリスト伯 下」(講談社) ナポレオンの独裁→復古王政→七月王政という政治の変遷に翻弄された男の復讐譚。父と子の葛藤と和解、女性の自立もサブテーマ。

2013/12/03 アレクサンドル・デュマ「モンテ・クリスト伯 上」(講談社)の続き

 モレル海運会社の若い航海士エドモン・ダンテスは、アラビアへの貿易航海を成功させ、美しい娘メルセデスと結婚することになり、その暁には船長になることが内定していた。それを好ましく思わない二人の男、同じ会社の会計士ダングラールとメルセデスを慕うフェルナン、がいた。彼らは酒飲みカドルッスを交えて居酒屋で密談をし、ダンテスがナポレオンのスパイであるという嫌疑状をしたためた。それを受け取った地方検事ヴィルフォールはさっそく書類を押収し、それをひも解くとなんと自分の父がナポレオン復活の陰謀を進めていたことを知る。そしてダンテスをとらえ裁判なしで、孤島の牢獄シャトー・ディフに閉じ込めた。
 さて獄中にあること10年を超え、ダンテスは隣の獄舎との連絡に成功する。イタリアのファリア神父。かれはモンテ・クリスト島の財宝を発見したが、政治犯と間違えられて獄中にあるのだった。彼はダンテスの良き友、教師となり、学問・貴族としての振る舞い・各種言語を教える。ダンテスの獄中生活14年目にファリア神父が脳卒中で死亡。遺体が袋に入れられたのを見て、ダンテスは入れ替わりを実行する。こうして嵐の夜にダンテスは脱出したのであった。
 獄中にとらわれてから脱出するまでの最初のクライマックスがまず見事。ここでは視点はダンテスのもとにあり、彼が無知な少年から精魂のしっかりした青年になるまでの成長物語をたっぷりと味わうことになる。陽の射さない獄中のいる神父はオールド・ワイズマンの祖形がしっかりと刻まれている。そして牢獄からの脱出は、ダンテスが象徴的に父を乗り越え、一人前になるための儀式に他ならない。袋に閉じ込められたダンテスが海中で綱を切り、泳いで島に上陸するまでは、胎児の出産イメージにきわめて近い。こうしてダンテスは生まれ変わったのである。(この版では、ここまでで全体の四分の一。岩波文庫では全7巻のうちの第1巻。)

 その後、ダンテスの復讐が始まる。ターゲットはダングラール、フェルナン、ヴィルフォール、カドルッスの4名。それぞれ金・軍・法律の権力を身につけるまでにのし上がっている。ダンテスの復讐は実力行使ではない。ハリウッドかそこらのB級映画にあるような「俺のことを思い出したか。この銃弾は○○にしたことのお返しだ」などと物騒なことはしない。ダンテスはモンテ・クリスト島の膨大な宝を背景に、手下を縦横に動かし、買収に糸目をつかわず、ニセ情報と機密情報を出し入れしながら、彼らを破滅においやっていく。すなわダングラールに対しては彼を上回る資本と陰謀を使って破産させ、フェルナンには彼の秘密を暴露することにより名誉を剥奪し、ヴォルフィールに対しては法の番人自身が法破りをしていることを公衆の前に明らかにさせるのだ。自分の手は決して汚さない。むしろ賞賛と感謝を受ける。このあたりは資本主義と法治制度の確立の反映をみてもよい。たしかに復讐というのは昔の騎士の行うことではあるのだが、決闘で命のやりとりをするというのはもはや名誉にもならず、復讐心を満足することでもなくなっている。中世の騎士ロマンスに近いとも思えるが、それが成り立たないのは近代の国民国家と近代人を舞台にしているから。
 エドモン・ダンテスの名を捨てモンテ・クリスト伯を名乗るようになった主人公は、後半で「自分はどこの国にも所属していない。どこの国の庇護も受けない。どこの国にも自由に行き来できる(超訳)」と宣言するフランス革命による国民国家の成立とそれに対応する周辺の王権国家は国境を明確にし、人の出入りを制限し、国民に制限を加えようとしていく。人の意識もまた村落や都市の構成民であることから、国家の所属員に変貌していったわけだ。そのような時代においてこのような「国際人」を名乗るのは珍しいのではないかしら。すくなくとも彼は国家の法や保護を認めないわけであり(それは彼に財宝・資産があるためだ)、彼の人物造形と意識はのちの「アルセーヌ・ルパン」に反映しているとみた。彼らは親子(というには年が離れすぎているが)である
 さて、後半の復讐譚においては、視点は上記の主要人物たちの息子や娘に移る。彼ら彼女らは父母(場合によっては祖父母)が行ってきたことを知らない。物語冒頭のダンテスと同じく無知で経験不足で感情を優先させる人たちである。彼らはモンテ・クリスト伯と交わることによって、少年少女から成年に変貌していく。その中には常習的な犯罪者になったり、アンモラルな生活をするものもいるのであるが、それも含めて彼らの変貌は大きく、これもまた成長小説・教養小説に他ならない。
 とくに興味深かったのは、ダングラールの娘ユージェニー。彼女は意地悪く、求婚する男を邪険に扱うのである。次第にわがままを貫くわけにはいかなくなり、父ダングラールが破産に瀕しているために、イタリア貴族を名乗るアンドレア・カヴァルカンティとの無理やりな結婚を要求される。そこでユージェニーは父と取引すると同時に、結婚式の当日、アンドレアの正体が暴露された混乱に乗じて、侍女といっしょにベルギーへ逃亡する。いくばくかの金を持っているとはいえ、それをあてにはせず、自身は声楽家、侍女をピアニストにしてヨーロッパの楽壇に乗りだそうというのだ。心意気やよし。この時期、パガニーニやリストという演奏家が西洋中の話題になっていたし、パリのサロンではショパンに人気があったのだ。しかし女性が自立することは極めて困難。有名なのはシューマンの妻クララくらい。こういう女性像を小説に登場するところは先進的。
 あとはダングラールにしろヴィルフォールにしろ、ナポレオンの独裁→復古王政→七月王政という政治の変化に翻弄されているわけで、冒険譚の後ろにある史実を知っておいたほうがより彼らの生きざまを深く見ることができるだろう。書かれたのは1844-46年で、小説の時代は1830年代。この時代にすでに国債社債・株式の市場があること、電線が国内に張り巡らされていて電報による情報通信が可能であったこと、新聞が複数発行されていて世論に影響を与えていたことに注目。それでいて毒薬の扱いは「ロミオとジュリエット」当時のままで、まだ化学・薬学・医学は物理学・天文学ほど進展していないことにも興味をもった。脳卒中で肢体不自由になった老人と目の動きで会話するところは、ずいぶんあとの探偵小説にも反映していると思う。
 自分の読んだのはダイジェスト版で、それでもおそらく2000枚はあるだろう。この高峰を登攀することは実に楽しかった。のちの影響をふくめて、冒険小説の最高傑作のひとつである。多くの人に読んでほしい。