「クリスマス・カロル」は読んだという読者が次のディケンズを読むときにいいだろう。なにしろディケンズの長編はたいてい2分冊、ときには4分冊にもなって、つまらないと感じたら(めったにないけど)苦痛になるほどの長さを誇るから。
墓堀り男をさらった鬼の話 ・・・ クリスマスの夜に、墓堀に来た男。凍てつく夜を愉快に過ごそうとジンを飲んでいたら、鬼が現れた。何をするかというと、労働者の生活を見せること。子供の誕生、幼児の死、老いた父と母の死、その間の労働者の厳しい生活。「クリスマス・カロル」の原型なのだろうが、まだ笑いのほうに重点があって、社会の告発にまではいかないねえ。
旅商人の話 ・・・ 旅商人がある未亡人の経営する宿に泊まる。古いいすに注目したら、なぜか爺さんが現れ、あの未亡人と結婚しろと命じた。朝起きた旅商人が取った行動は、未亡人を口説くことだった。という具合のユーモア小説。
奇妙な依頼人の話 ・・・ 19世紀半ばまでイギリスには債務者監獄というのがあり、借金を返済できないものはここに収容されるのであった。残された家族は当然代わりに返済しなければならず、貧困に陥る。ここにいる男は妻と子供を亡くし、彼への援助を断った妻の弟への復讐の念に燃える。ついに彼は資産家となり、妻の弟への復讐を敢行する。なんとも陰惨な話。当時の貧困層の困窮振りと、復讐の妄念の底深さに震撼する。
狂人の手記 ・・・ 狂気に襲われた男が、妻の殺人(未遂だったが、結果として殺害にいたった)を実行。男に不審を感じた妻の兄弟たちが彼に詰め寄る。犯罪者の告白というのは、解説にあるようにドスト氏「罪と罰」、ポー「黒猫」あたりがあるが(こちらが先!)、そこに狂気を絡めたというのがすごい。カタストロフィーに向かってまっしぐらの文体、狂気と正気の混交する奇怪な精神、などなど「新しい」小説だ。
以上「ピックウィック・クラブ」1836-37年から。
グロッグツヴィッヒの男爵1839 ・・・ にっちもさっちもいかなくなったドイツの由緒ある男爵。自殺して借金を棒引きにしてしまおうと考えた。酒瓶をひとつあけ、剃刀を用意したところに、魔物がやってきた。貧相な姿の魔物は男爵のような世界に絶望した人間を連れていくそうだ。酒に酔った男爵の哄笑に辟易して魔物は去り、男爵はともあれ長生きしましたとさ。たわいないコメディだけど、ドイツ語風の言葉は駄じゃれなんだって。
チャールズ二世の時代に獄中で発見された報告書1840 ・・・ これも犯罪者の告白。いつも兄と比べられて劣等感にさいなまれる男。兄嫁が早世したので、子供をひきとったが、そのまなざしが兄嫁の告発のように思える。思わず子供を殺してしまった。それが発覚する思いがけない手抜かり、そして恐怖にいらだち、平静を装うあせり。このころから外面と内面には差異がある、それを小説で描写するという手法ができたのかな。
ある自虐者の物語1857 ・・・ ある知性と誇り高い女性の告白。自分の頭の良さを自覚しているがそれを周囲が認めないと考えていて、他人との交流を拒み、周囲の人びとの善意を拒否している。つまるところ自分で自分の行き場をなくし、男との結婚をつぶし、一人で生きていくことになる。こういう孤高で高慢な魂の記録。解説にいうように、フロイト以前にこういう女性のヒステリーを見つけているというのが新鮮。読むのは少し辛いけど。
追いつめられて1859 ・・・ 保険会社社員のサンプソンのところにスリンクトン氏が訪れ、妻に保険をかけた。数年後に再会すると妻は亡くなっていて、その妹と一緒に暮らしていた。スリンクトン氏はベックウィスなる老人にも保険をかけたが、老人はひどいアル中だった。さて、スリンクトン氏に疑惑を感じたサンプソンは病弱な姪(妻の妹)を助け出したのだが・・・。ストーリーのテンポが間延びしているが、それ以外は近代的な探偵小説になっている。黒岩涙香にそのものずばりの「生命保険」という短編があったな。これもイギリス産だろう、ということはこの時期にはすでに保険制度ができていたというわけだ。
子守り女の話1860 ・・・ 幼児期の思い出話。意地悪な子守女が夜ごと怪奇物語をかたってくれて、少年はトラウマを持つまでになった。内容は「殺人鬼大尉」なる青ひげ風サイコパスに、悪魔と契約した船大工に、という具合。この時代、映画もTVもラジオもなくて、雑誌がようやく軌道に乗り始めたころ。なのに/だから、子守女のような無教養な娘がすばらしい話芸を披露していることに驚こう。
信号手1866 ・・・ 「私」が田舎の鉄道線路で出会った信号手の話。彼は過去に何度か幽霊を見ていて、そのたびごとに惨事が起きていた。事故を回避することができなかったことを悔やむとともに、再び幽霊が現れるのを恐れている。その幽霊は「おーい、そこの下の人、気をつけろ!」と呼びかけるのだ。再会することを約束した「私」に驚きの事件がおきた。怪奇小説ということにすると紹介はここまで。解説は推理小説としても読めるという。登場人物が二人だけで、情報は信号手の話にしかないから、そのあたりから捜査を開始することになるのかな。
ジョージ・シルヴァーマンの釈明1868 ・・・ 貧乏な両親のおかげで地下室に閉じこもって暮らし、偏屈な(ないし世間からは世故いと呼ばれる)性格になった青年の告白(ドスト氏の「地下生活者の手記」と同じような設定かな)。こちらはうんよく牧師に引き取られ、大学までいったものの内向的で皮肉な性格と自己主張しない奥ゆかしさが他人の誤解を生んでいき、ついには破滅してしまうまで。ここで解説者によると、ほんとうにこの告白を信じていいのかという問いがなされていて、そういえばこいつの語りは事実をそのまましゃべっているのか、語っていない事実があるのではないか(なにしろ最後の結婚するつもりだった娘の母の告発は迫真的だったし、根拠がありそうだった)と疑い始めてしまう。信頼できない語り手というのは20世紀になってから発見された手法と思ったが、すでにこんなところにあったのね(ポー「お前が犯人だ」もか)。
うまいなあ、語りがスムーズだなあ、起承転結の明快な近代的な小説だなあ、心理描写は今の読者の目からすると大げさであるようだが充分共感できるし、大げさな哲学神学談義もないのがよい。すこしばかり人物が類型的で深みにかけるようだが、物語の勢いでそんな欠点は気にならない。ホラーないしミステリー、心理描写の迫真的なものを選択したというので、他の短編もここまでうまいかはわからないけど。実際、長編になると、出たとこ勝負で筋が進むときもあるから、そこは割り引いて、期待しないほうがよいかもしれない。「デヴィッド・カパーフィールド」「オリバー・トゥイスト」などを面白がって読んだが、どんな話だったかというとちっとも思い出せないや。
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