クラシック音楽をよく聴くものにとっては19世紀はなじみのある時代ではある。ベートーヴェンの、ワーグナーの、マーラーの各時代のことを多少は知っているものだ。あるいは、ベルリオーズの、オッフェンバックの、ドビュッシーの各時代でもいい。しかし、それらの時代の特徴は何か、現代に通じる出来事はなにか、ということになると、音楽書やCDのライナーノートからではつかめない。
そういうときに、荒俣氏の著作は便利なガイドになる。彼は理系・文系の区別なく大量の情報を持っていて、それをうまく組み合わせて提示する名人であるからだ。たしかに自分は廣重徹「科学の社会史」(中公自然選書)を読んでいたので、19世紀ドイツで化学工業が盛んになり、その影響下で製薬工業も栄えた。これを支持したのは、大学制度の変革で、初めて科学・技術を主体とする大学ができたのだった(そのような科学大学を作った2番目が日本。他の国は神学・法学が中心)。そこに、荒俣氏がファッションの話の延長で、化学染料の発見とそれの工業化、いわゆるアパレル産業の成立、それを買い支える市民層。こういう話を読むと、前に持っていた情報と複層化して、その時代を生き生きとしたものにしてくれて、その前後の時代から今に続く流れを把握できるようになる。歴史やその当時に生きた人を身近に感じることができるのだ。
第1章 二十世紀という名の「未来」 キーワード「進歩」
第2章 予想できない未来の出現 キーワード「破滅」
第3章 産業立国の夢 キーワード「万国博覧会」
第4章 商業の祝祭空間 キーワード「エンターテインメント」
第5章 工業製品と人体の見本市 キーワード「スポーツと競争」
第6章 「机上の空論」は未来を動かす キーワード「発明と特許」
第7章 ロコモーティヴの啓示 キーワード「人工速度」
第8章 世界旅行のような日常 キーワード「観光」
第9章 驚異の砂上楼閣 アメリカのスカイスクレーパー キーワード「集中」
第10章 リリエンタールの翼とライト兄弟の自転車 キーワード「開発の原理とこだわり」
第11章 ロケットの魔物とジェットの妖精 キーワード「アイデアの理想性、実現への収益性」
第12章 消費の宮殿 キーワード「ショッピング」
第13章 セクシーガールの誕生 キーワード「セックスとセクシー」
第14章 電気生活とロボットの誘惑 キーワード「機械化された労働力」
第15章 超人と永遠の労働力 キーワード「若さ」
第16章 清潔と活力の霊泉 キーワード「健康」
第17章 消費と文化 キーワード「美食」
第18章 美術がつくった新しい女神 キーワード「ファッション」
第19章 パブリックの悪夢、プライヴェートの夢魔 キーワード「公共と個」
このように章立てを一覧してわかるように、著者の話題の広さには驚嘆せざるをえない。とくに、視覚に関する話題が尽きることがない。彼がマンガ家志望で実作経験を持っていることが、彼の情報収集の核になっているからだろう。クラシック音楽好きからすると、残念ながら物足りないのであるのだが。
ともあれ、過去や歴史に興味を持つものには、大変に面白く、ページを繰るのももどかしく読むことになった。ところが、奇妙なことに荒俣氏の著作はそれを読んでいる間は、時間が充実したものになるにもかかわらず、再読することがない。著作に書かれた情報をすべてインプットしたので不要になったかというと、そうではない。たいへん不遜なことをいうことになるが、彼は情報を集めること、整理することの情熱が強く、そこを解釈することの行為が不徹底ということになるのだろうか。もちろん彼の見解は面白く、十分検討されるべき点を含んでいるにしても、さらに突っ込んでほしいと思うところで、紙数が終わりになっている。もったいないなあ、でも、こんな声を聞くはずもないし。
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