odd_hatchの読書ノート

エントリーは2400を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2020/10/13

ウィノカー編「SOSタイタニック」(旺文社文庫)

 1912年4月4日、当時世界最大の客船タイタニック号がイギリス・サザンプトンを出港し、ニューヨークを目指す航海にでた。乗客、乗務員は合計2208人。4月15日午前2時20分、氷山に衝突し、約2時間後に沈没。救助されたものは750人ほど。1400名弱が死亡した。海難事故としては最大規模であることと、当時最先端技術を結集した「不沈船」と呼ばれた船があっけなく沈没したことに多くの人がショックを受けた。
 被害の規模もさることながら、乗客および乗務員が冷静な対応をとったこと、とりわけ乗務員がジェントルな態度をとり、勇気と自己犠牲をみせたことも人々の記憶に残った。とくに、ダンスバンドが乗客の退避中、ずっと演奏していたことが有名(なお、この記録によると、「主よ身元に近づかん」の讃美歌は演奏されなかったと証言される。それを聞いたら、乗客・乗務員とも自分は助からないと判断するからとのこと)。幸いだったのは、救命ボートに乗り込んだ人はほぼ全員救助されたこと。それは波が穏やかだったことと、氷山衝突の4時間後には救援船が現場に到着したこと。しかし氷山のおかげで海水の温度は低く、多くのひとは低体温症で亡くなったのだろう。

 この本は、事故直後に書かれた乗客や乗務員の記録を集めた。
タイタニック号の悲劇(ロレンス・ビーズリー)1912 ・・・ 乗客の記録
タイタニック号沈没の真相(アーチボルド・グレーシー大佐)1913 ・・・ 乗務員の記録
タイタニック号(指揮者ライトナー)1913 ・・・ 乗客サービス担当者
タイタニック号の生き残り通信使が語る恐怖の体験記(ハロルド・ブライド)1912 ・・・ 乗務員の証言
 1912-13年に書かれたもの。ほとんどは自分の経験を語ったもので、複数の生還者の証言を聞き取って全体状況を把握しようとしたものではない。そのために事件の全貌はわかりにくい。最初のビーズリー氏(この人は科学の教師とのこと)のは、分析的で客観的な記述があるので、まあ読める。ほかはいささか冗長で、ときに思弁的な考察が加わるのが煩わしく、もはやこの時代に読むのは苦しい。
 そういう本だが、これを事故調査記録の極めて初期のもの、「失敗学」の初期のケーススタディと考えると、俄然として価値を見出すことができる。すなわち、ビーズリー氏は約40ページをかけて、事故の原因と対策を述べている。たぶん新聞などで得たほかの人の提案を採用したところがあるだろう。それでも、船の構造的欠陥、走行中の乗務員の任務、他船舶などとの情報交換、情報交換技術の改革、周辺海域を注意する技術、乗務員の訓練、避難設備の充実、航海初期の乗客向け訓練など多岐にわたる提言を行っている。当時の技術の制約もあって、今となっては不充分と思われるところもあるが仕方がない(なにしろレーダーのできる30年も前だ)。重要なのは、事故をヒロイックに、物語としてとらえ、犠牲者を追悼することを重視するのではなく、事故を繰り返さないためのプラグマティックでシステマティックな提案を行っていること。その提案ができるまでの冷静な見方をすること、提案に精神的なことを含ませないことに注目。ようするに「みんなで注意しよう、意識を代えよう」ではなく、「監視員と通信士を2倍に増やせ、乗客・乗務員の人数以上を載せられる救命ボートを用意しろ、避難訓練を定期的・抜き打ちで実施しろ」と可能なところまで落とし込む。このような思考方法は西洋のものだ(ヘンリー・クーパーjr「アポロ13号奇跡の生還」(新潮文庫)リチャード・ファインマン「困ります、ファインマンさん」(岩波現代文庫)などと同じ方法だ)。まあ、さすがとこの本をテキストに失敗学のケーススタディをするのは苦しいので、別の本を使うことになるだろうが。
 面白かったのは、19世紀半ばから大西洋横断の航路ができていたこと。運行期間は、帆船で90日、それが1900年ころには10-14日、この事件のころには5-6日にまで短縮されていた。そのスピードの要求はビジネスマンからでていて、顧客の要求する高速運転がタイタニック号の事件の原因の一つであった。まあ、そのくらいに移動と伝達の高速化は人々のつよい欲望だったのに驚いた。また、このような定期航路があることが、パックツアーの誕生のベースになっているわけで、世界の観光地化もどんどん進んでいたのだなあ、それがこんな古い時代からあったのか、という驚き。もうひとつはこの航路があったことでヨーロッパの貧困層アメリカに移住することができた。チャップリンの映画「移民」の船上シーンがそのなまなましい映像化。
 そういえば、押川春浪の海洋冒険小説もこの時代に書かれていたのだった。