odd_hatchの読書ノート

エントリーは2400を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2020/10/13

大江健三郎「治療塔惑星」(岩波書店)

 読後の印象はとまどい。
 とりあえずサマリ。あれから3年。あれというのは前作「治療塔」で、朔ちゃんが衛星タイタンに向けて出発し(ヴォネガットタイタンの妖女」?)、リッチャンは息子ダイとともに地球に残ったこと。ダイは言葉はかわさないが、知性のひらめきをみせる。自分の関心をもつものには長時間観察するが、感情をあらわさない(自閉症?)。「治療塔」経験者と地球に残った「落ちこぼれ」の間に生まれた子供は数が少ないが(性交と結婚を禁止されていたため)、同じような優れた能力を持っているらしい。彼らはスターシップ公社の新たな計画のために、エリート教育を受けるようになる。リッチャンの祖母は次第に老衰していき、施設暮らし。彼女を取り戻す計画が再編された工場の責任者・下川辺さんたちによって行われる。その一方、タイタンに向かった朔ちゃんは「新しい地球」への航海にでかけることになる。衛星タイタンの通信基地を中継して「新しい地球」から「治療塔」の知見を得るためだ。「新しい地球」では、「治療塔」に行かないという教義「世界宗教」のコミューンがあり、スターシップ公社の計画を引き継いでいる。「新しい地球」原産の「宇宙ミドリ蟹」は汚染された物質を取り込み、殻にためて捨てることにより環境回復に役立ち(「風の谷のナウシカ」の腐海と同じ?)、その肉は人間の食料になる。また湖のプランクトン養殖その他により自給自足ができ、かつ余剰物資を作るまでになっている。「新しい地球」には、これとは別の「アウトサイダー」となのる入植者コロニーがあり、ヒッピー風の刹那主義的な生活をしている。かれらは「治療塔」を独占していて、怪我・病気にかかってもすぐに回復してしまう。しかし、食料は「世界宗教」コロニーに依存している。さて、朔らの先遣隊が「新しい地球」に到着すると、2種類のコロニーは一触即発の危機状況にあり、先遣隊はアウトサイダーの攻撃を受ける。ついには、奪取されたレーザー銃に仕掛けられた「きれいな原爆」によって壊滅(911陰謀論者の「純粋水爆」?)。朔と「宇宙宗教」の指導者はピラミッド型のガラス製温室のような部屋にこもり、サボテンの抽出液を使って深い瞑想に入り、「治療塔」を作った知性体との精神的な交信を試みる(「チャネリング」?)。朔たちは知性体の精神を感受したが言葉に翻訳できない。そこで、ダイら「宇宙少年十字軍」を何かの液体(「エヴァンゲリオン」のLCL?)に満たされたコクーンに収納して、精神感応かなにかで朔と直接交信する実験にとりかかる。はるか昔に死滅した知性体の知恵と「治療塔」の秘密を地球に伝えるために。しかし、おりからの住民運動でスターシップ公社の運営責任者と技術責任者が爆殺。汚染された地球に残るものは、宇宙進出の希望を捨て去り、「治療塔」への関心も消える。朔はもどらないだろう、ダイは別の職業についた。でも、自分(リッチャン)は広島の原爆ドームが「治療塔」なのではないか、と思う。こんな感じ。
 とまどうのはどのあたりに「治療」「回復」などの契機があるのかよくわからないこと。「新しい地球」の治療塔の超自然的な治癒力はだめなのはなぜ? その説明はどこかにあったっけ? 代わりの治療塔はすでに存在するヒロシマ原爆ドームだって? となると回復の契機は原爆でなくなった方たちと霊的に交信すること? 地球は衰亡の過程にあって、そこに住む生命もまた衰亡のときにあるのだって? さらに、そのようになるように地球は宇宙生命によってプログラムされている?(ウィルソン「賢者の石」) ついでにいうと戦争の描き方も変わったなあ。「アウトサイダー」たちへの共感はなくなり、「きれいな原爆」で壊滅させるところがねえ。「洪水はわが魂に及び」の「自由航海団」とこの「アウトサイダー」の間にどれだけ差異があるのか。
 非科学ないしニセ科学の領域にあるガジェットがあり、かつそれが主題に深くかかわっているのもこの小説の読後感をよく思えないことにしている。いくつかは上記に記載済。チャネリング(1990年前後に流行ったなあ)とか、ファシリテーティド・コミュニケーションとかドーマン法のような自閉症・障害者などの隠れた知性とか。フィクションではあるけれど、読者の現実世界と地続きになっているので、誤解が生まれないかな。フィクションと銘打ってあるけど大丈夫? 作者が一時期キーワードにした「癒し」がマスマーケティングで作者の本意を離れた安易なイメージをもつようになったのと同じような危惧を読み手の自分は持つ。
 この著者の男性主人公はおおむね悲劇的な破滅、挫折を経験する。バイト代をもらえない学生(「奇妙な仕事」)に始まり、右手をつぶされる少年(「飼育」)、痴漢の現行犯で逮捕される青年(「性的人間」)、機動隊の攻撃で死亡する男(「洪水はわが魂におよび」)、火祭りの火炎で焼死する教祖(「宙返り」)などいろいろ。ここでもスターシップ公社の責任者はテロで爆死し、朔ちゃんは地球に帰還できない宇宙の旅にいる。こういうペシミスティックな、あるいは自己破壊的な願望や運命はこの作者の主要なモチーフ。ここでもそのモチーフは繰り返される。
 またこのころ(たぶん作者50代)から、小説の話者を作者自身と思われる人ではないものを選択するようになった。ここでは20代から30代にかけての女性。男から見た女性的な感じはよく書かれていると思うが、女性読者からみたときに、このナラティブは「自然」なもの、あるいは自分の内話に近しいものと感じるのかしら。正規な高等教育を受けたとは思えないが、とても知的(イエーツの詩を暗誦することができる)なところが作者の理想になるのかな。