odd_hatchの読書ノート

エントリーは2400を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2020/10/13

アーシュラ・ル・グィン「所有せざる人々」(早川書房)-3

2014/04/02 アーシュラ・ル・グィン「所有せざる人々」(早川書房)-1 1974年
2014/04/03 アーシュラ・ル・グィン「所有せざる人々」(早川書房)-2 1974年

 そこで、シェヴェックはウラスに政治亡命する。アナレスの独立から170年たって最初の政治亡命者。そのとき、シェヴェックは新しい時間理論を構築していて、即時移動法の原理を発見していた(これがのちにアンシブルという通信装置になり、作者の未来史シリーズの重要なギミックとなり、ほかの作家が利用するに至る)。この情報をウラスの物理学者と政府が知り、彼の成果を入手したいという思惑があった。そのこと、ウラスにはハインとテラという別の星系の人類が接触し、交易を開始していた。ハインやテラのほうが物理学と技術に優れ、貿易と政治で優位に立てなかった。それを覆す手段として、彼らはアナレスのオドー主義者シェヴェックを利用しようとする。
 シェヴェックの亡命は受け入れられ、住居と研究仲間を提供される。そこで仕事は進むかに見えたが、一向に進展しない。それは、ウラスの社会と経済がアナレスとまるで異なるため。ウラスでは貨幣経済と資本主義で運営されている。そのために、格差が広がり、階級が固定していた。女性の社会参加も制限され、家族が人々を拘束していた。民族主義国家が複数あり、それぞれはささいなことでいがみあい、戦争が頻発している。ただ、生産はアナレスを凌駕する規模であり、人々が個人所有する事物はたくさんあり、何とも優雅に大量消費の生活をしていて、皆満足している。シェヴェックはこのような社会を「ヘル(地獄)」と呼ぶ。アナレスのような対等、平等な人間関係が存在せず、アッパークラスはロウアークラスのことを考慮しない。ここらへんは、読者の現実世界の国家によく似ている。作者はこのような読者の現実世界によく似た世界を描くにあたり、女性の抑圧に注目する。シェヴェックはある女性と知り合いになるが、彼女はシェヴェックと対等の関係に立とうとせず、商人がクライアントを値踏みするような、娼婦が客を引き込むような態度で臨む。男性社会に媚を売って、立場をえるようなもの。このような女性はウラスではほとんどの女性が持っている技術。このあたりの筆致はとても手厳しい。
 さて、ウラスの政治には疎いシェヴェックであるが、周囲の人物から彼は監視・スパイされていると知らされているとなると、自分の立場が分かるようになる。そして、ウラスのオドー主義政治団体から接触を求められたとき、ウラスの思惑を裏切る決断をする。シェヴェックはおりからのストライキにあわせて、政治団体主催の集会に参加。そこでメッセージを発表する。国家はストライキを軍隊で弾圧し、シェヴェックも巻き込まれて地下室に逃げ込むしかない。
 読者にとって苦いのは、読者の現実世界に近い二つの政治体制(社会主義個人主義)のいずれにも幻滅することだ。マイノリティの抑圧か階級の格差があり、官僚制の不合理と自由経済の無駄があり、イデオロギー教条主義政治的無関心がある。読者はそれらを克服した社会を構想したいが、アナレスとウラスの原理原則のいずれかに加担できず、混ぜ合わせた原理も作れない。それでいて、アナレスとウラスの住民は互いに、自分の体制をよいものと思い、相手のそれを非難する。非難は応酬されるだけ。克服しようにも、宇宙船で3日かかる距離は、相互理解を可能にしない。この悲観的な見方はなんとも憂鬱になる。可能性は、科学と芸術にあるのかもしれない。科学の利便性や芸術の非政治性は政治の不備を克服する可能性があるように思われるが、個の運動では政治に影響することができない。であれば、読者は自分のそれぞれの現実世界でどのような政治体制を目指せばよいのか。社会主義個人主義のいずれでもない第三の道はあるのか。それぞれの問題を克服する別の新たな体制を構築できるのか。自分が現在において焦燥感をもつのは、20世紀以降の100年においてさまざまな体制の実験がなされたが、ことごとく失敗するか資本主義に敗北し、それらに変わる新たな社会の構想が生まれていないということ。進むべき道はない、だが進まなければならない…と音楽作品のタイトルにしたのは誰だったか(ルイジ・ノーノでした。未聴)。
 20世紀にたくさんのユートピア小説が書かれているが、自分の貧しい読書では、この小説は最上位に入る。多くのユートピアディストピア小説が世界の説明にとらわれて、物語の面白さを喪失しがちなところで、この小説は見事な物語を描いている。この感想ではそこにフォーカスしなかった。ウラスに到着した後のシェヴェックは、亡命スパイの冒険小説のよう(グレアム・グリーンヒューマン・ファクター」を思い出した)。
 あわせて、シェヴェックという男性の人物像が素晴らしい。ロカノン(「ロカノンの世界」)やアンリ・ゲイ(「闇の左手」)のような知的で孤独な男性。時に激情的になり、ときに沈鬱にこもりがちになり、見えを張り、寸鉄人を指す観察力を示す。この個性と包容力には人を引き付ける魅力がある。もうひとり、彼のパートナーである女性タクヴァも同様。ほかの人物も生き生きとしていて、実在するかのような迫力がある。このような人物を言葉で文章で表現したということで、作者の傑作(のひとつ)。
 1974年初出。