odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

ロバート・ハインライン「輪廻の蛇」(ハヤカワ文庫) 1940年代の短編集。若いころはセンチメンタルで過去を向いた人だった。

 1959年に刊行された短編集だが、書かれたのは1940年代。

ジョナサン・ホーグ氏の不愉快な職業 ・・・ 昼の記憶を持たない男が夫婦の私立探偵に自分が何をしているか調べてくれと依頼する。冒頭はアイリッシュのような犯罪小説。しかし、探偵の経験することは、存在しない13階のオフィスに紛れ込んだり、人のいないビルの中で妻が襲われることだった。しだいに「鳥の御子」なる存在が彼の捜査を妨害するようになり、記憶を持たない男を協力して事態の解明にあたる。ナイーブでイノセンスな存在が至高の存在につながるのだという「天使」の小説になっていく。最後に「無」が世界を包み込むあたりは、キング「霧」とかエンデ「果てしない物語」を予感させる。

象を売る男 ・・・ 若い妻と全米をセールスで回った男。中年になって妻を亡くし、今はひとりで旅を続けている。妻と約束した象を売る仕事を続けるために。あいにくバスの事故でめがねをなくし、あたりがぼやけたままカーニバルに参加する。ブラッドベリ「何かが道をやってくる」C・G・フィニー「ラーオ博士のサーカス」トム・リーミー「沈黙の声」につながるカーニバル小説。ハインラインもこんなセンチメンタルなユートピア小説を書いていたんだ。

輪廻の蛇 ・・・ 航時局のバーにやってきた不機嫌な男がバーテンと話をする。彼はかつて女で、一度ある男と出会い、一夜を過ぎた後、男に捨てられた。そして彼女は身ごもり、もはや女でいられなくなった(彼女=彼は両性具有だった)。バーテンは捨てた男にあわせてやろうと持ちかける。石川喬司「夢探偵」で紹介されたタイムパラドックステーマの傑作。この男は1943年から1985年までの時間を繰り返し生きることになる、それが輪廻の蛇(ウロボロス)になるということだ。

かれら ・・・ あるところに幽閉された男がいる。男は、これは現実ではない、本来の世界は別にあるのではないかと疑い、思弁を凝らす。同じテーマはPKDがよく書いたものだが(「VALIS」とか「死の迷宮」とか「虚空の眼」とか)、ハインラインだと自我というか「われ思う」のコギトは確信を持って存在するのだという前提があるのだね。PKDだとその「思う」自体すら誰かの夢だったりコントロールのもとにあるのではないかという存在の不安が表に出てきて、さらに混乱した・不安定な世界を描けたのだった。世代の差なのか、ドラッグの体験の有無なのか、そんな感想を持つ一編。

わが美しき町 ・・・ アメリカのごく普通の田舎街。酒屋のおやじがつむじ風をペットにしていて、それが町のごみ処理をやっている(つむじ風のお嬢さんはたんにおもちゃをあつめているだけ)。新聞記者がそれを記事にすると、警察と新聞社を巻き込んだドタバタが起こり、町の市政を一新する。つむじ風は、異世界からやってきた善意で無垢な精神。彼女を中心に人びとがドタバタして・・・というユーモアかつ天使の物語。つむじ風のお嬢さんはのちのオバQとかうる星やつらラムちゃんケロロ軍曹なんだろうな。

歪んだ家 ・・・ 才気走った建築家が四次元の家を建てることを計画する。四次元の物体を三次元で展開すると、立方体6個になるのでそういう家を作った。夜中に地震が起こり、四次元に復元してしまった。そこにはいると、エッシャーの版画みたいな奇妙なことが起こり、挙句の果てに窓から出るとどこかほかのところにでてしまう。そんな状況をドタバタ喜劇風に描いた掌編。まあ、怪奇小説の幽霊屋敷をSF風に改築したものですな。窓から異世界がのぞくというのは、ほぼ同時代(この短編は1940年作)のラブクラフトになるのかしら。意匠を新しくして古典になった一編。こういう奇妙な捩れた家はのちのSF(とくにマンガや映画)でスパイス的にでてくる(たとえば石森章太郎「009ノ1」とか同「ジュン」とか映画「マトリックス・リローデッド」とか)。


 ハインラインは、若いころはセンチメンタルで過去を向いた人だったのだね(それが全面的に展開されたのは「夏への扉」。でも作者のセンチメンタルは男のもので、女性とかマイノリティなどへの視線や共感があるわけではない。だから、男が読むと強烈な印象を残すが、女性が読むと違和感を持つことになるかもしれない)。そこに理性とか自我の確立、そして共同体のモラルへの同期みたいなのがあわさっていたんだ。もう少し時代がたつとそういう民主主義とか理性の優位なんかの彼のよってたつ場所が次第に批判されたり侵害されるようになってきて、マッチョで保守的な思想を描くようになった。彼のスタート地点を確認することのできる短編集でした。このころからストーリーテリングは一級品でした。

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