odd_hatchの読書ノート

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ウラジミール・ナボコフ「賜物 上」(福武文庫) ロシア革命でドイツに亡命した貴族の息子が詩人で立とうとする。

 1917年10月の革命はロシアの貴族に大打撃になる。ケレンスキーの臨時政府にしろ、社会党共産党の支持団体にしろ、貴族の財産没収を積極的に進めていたから。屋敷は取り上げられ、家財道具他が略奪されたり。そこで多くの貴族はロシアを離れることにしたが、その旅程も大変だった。赤軍、白軍入り乱れ、地方軍属が暴れたり。国境周辺はドイツとの戦争で混乱状態。まあ、国外脱出だけでひとつの冒険小説になるようなころあいだった(ジェイムズ・ヒルトン「鎧なき騎士創元推理文庫がその例)。
 さてナボコフ一家もペレルブルクの家を接収され、一家でドイツに亡命していた。対戦国のドイツではあるが、ベルリンには亡命ロシア人街ができるくらいに多数のロシア人がコミュニティを作っていた。ナボコフは1899年生まれ。まだこのころには何になるかしかと定まっていない時代。とりあえず家庭教師と翻訳でしのいでいた。彼は言葉に鋭敏な感覚の持ち主で、詩人で立つことを夢想していた。「賜物」はナボコフの20代を描く自伝的な作品。

 5つの章に分かれている。
第1章 ・・・ まずは自己紹介。不安定で、怠惰と集中の交互に現れる青年の現在が語られる。ベルリンの亡命ロシア人コミュニティでも孤独な若者。プーシキン他のロシア詩人を読み、韻律やリズムを研究する。同じ世代の友人の三角関係に巻き込まれ、一人が自殺するという事件が起きる。その合間にロシアの幼年時代が回想される。父が不在、母の庇護のもとで召使、下男らに囲まれて鷹揚に育つ。ロシア貴族の優雅な生活の追憶。
第2章 ・・・ 最初のまとまった文章として、父の伝記を書く。1860年生まれの父は貴族の息子。ケンブリッジ大学に留学し、生物学の研究にとりくむ。冒険家博物学者として、ロシアから中央アジア、中国にかけての冒険収集旅行に何度もでかける。スウェン・ヘディンとも交友関係を結ぶくらいの有名な人。まあ、帝国主義時代の強攻的・植民地主義的な冒険なのだがね。父はほとんど冒険にでていて家にいなかった。「父」の感覚や体験を持たないので、文章で追憶しようとする試み。不在の父の影響で、蝶とチェスに大きな関心を寄せるようになった。
※ この父はナボコフ自身の父ではない。
「父ウラジーミル・ドミトリエヴィチ・ナボコフ (en) はロシア時代、自由主義派の有力な政治家だったが、ベルリンに亡命後、政治集会で暗殺された。」
ウラジーミル・ナボコフ - Wikipedia
第3章 ・・・ 第1章の数年後と思われる。ここではベルリンの生活を一日に圧縮して紹介。目覚めは遅く、ほとんど外出せずに文章書きに専念。家庭教師と翻訳の仕事を午後にして、夕方は酒場を梯子、深夜に詩作と著作にふける。詩集を自費出版。ほぼ反響なしだが、ひとりの若い女性がサインをせがむ。それがジーナ。
第4章 ・・・ ジーナの応援を得て書いたニコライ・チェルヌイシェフスキーの伝記。この19世紀の革命家はまずwikiで詳細を。「何をなすべきか」(岩波文庫)で少し有名。今はたぶん読まれない作家、思想家になった。
ニコライ・チェルヌイシェフスキー - Wikipedia
 「わたし」が伝記を書くと普通とずれる。年代記のように時間が順序良く流れるのではなく、さまざまな時代を行き来する。チェルヌイシェフスキーはたくさんの文章を書いた人であるけど、その内容や思想を吟味することはすくない。代わりに、人の証言や手紙などから人物を描こうとする。そうすると「情熱の革命家」という肖像は消えて、気難しさとずぼらが同居し、情熱にあふれながら自分の適性を見極められず、チャンスを不意にし、不幸を身に呼び寄せ、挫折をする、はたから見ると滑稽な才能のない人となる。あとは文筆家であったので、同時代の作家たち(プーシキン、ネクラーソフ、レールモントフなど)との交流が描かれる。
第5章 ・・・ さらに数年後かな。第4章の伝記が出版されて、複数の書評が紹介(たぶん話者である登場人物の書いた架空のものだ)。ジーナとの同棲の準備が進み、生活は充実していく。ある日のこと、水辺で水浴をしていたとき、自然と合一体験をしたり、ドッペルゲンガーと思しきコンチェーエフと自作の批評をしたり、精神も充実していく。母に手紙を書いて祖国を思ったり、父の亡霊をみたり(たぶんそこで父を克服したのだろう)。こうやって若者は自立して男になっていく。そして自伝を書く決心をし、書き始めた自伝の最初の文が第1章の始まりであって、円環が閉じる。
 最後の精神の充実に目を見晴らさせるほどの感動をもった。その一方で「わたし」は自分の部屋の鍵を盗まれ、もう一つの鍵は部屋に置き忘れているのだ。「わたし」とジーナはどうやって部屋に入ったのかと余計な心配をする(小説では解決していない)。
 この最後のシーンは1933-35年と思われ(執筆は1935−37年で雑誌連載が1937−38年)、ナチスがベルリンを闊歩している。この若者と少女の行く末は、見かけのような明るさを持っているわけではない。なので、心がふさがる。実際、ナボコフは1938年にフランスに移住し、さらに1940年にアメリカに渡りのちに帰化した。

2014/04/11 ウラジミール・ナボコフ「賜物 下」(福武文庫) に続く。

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 「賜物」はロシア語で書かれ、のちに作家の監修で英語に翻訳された。福武文庫は英語版からの翻訳。ロシア語からの翻訳は河出書房版。