odd_hatchの読書ノート

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E・L・ドクトロウ「ダニエル書」(サンリオSF文庫)-2

2014/04/18 E・L・ドクトロウ「ダニエル書」(サンリオSF文庫)-1
 1は息子の話だったが、こちらは父の話。
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 アイザックソン事件はローゼンバーグ事件を模しているのはあきらか。
ローゼンバーグ事件 - Wikipedia
 ローゼンバーグの獄中書簡は山田晃訳「愛は死をこえて―ローゼンバーグの手紙」光文社(1953年)で翻訳された。自分の叔父が買ったものが家にあったが、読まずに処分してしまった。今考えると残念(処刑後の夫妻の遺体写真も載っていた)。事件の詳細は、リンク先に任せて小説内の記述から気づいたことにふれよう。
 アイザックソン夫妻は、20世紀初頭の東欧移民、それもユダヤ人の子として生まれる。二重に差別された存在であったわけだ。東欧移民であることと、ユダヤ人であること。彼らはニューヨークの下町で、おもに同じユダヤ系東欧移民向けの商売をして貧しく暮らす。彼らは独自にシナゴーグをつくり、教会を中心とするコミューンをつくる。同時に、移民や工場労働者への差別や拡大する格差に抗議するために、労働組合や生活組合を組織して、体制や権力と対立するようになる。当時のアメリカは、これらの労働運動を厳しく弾圧した。FBI長官のフーバーやマッカーサー将軍らは労働運動や社会争議を弾圧することによって名をはせ出世していった。とりわけ1930年代の大不況の時代にはその種の弾圧は厳しかった(チャップリン「モダン・タイムズ」の前半はその当時の雰囲気をよく現している)。これは不況時代に限ったことではなくて、いわば建国以来のアメリカの伝統みたいなもの。安武秀岳「新書アメリカ合衆国史1 大陸国家の夢」(講談社現代新書)、野村達郎「新書アメリカ合衆国史2 フロンティアと摩天楼」(講談社現代新書)、ジョン・ガルブレイス「不確実性の時代」(TBSブリタニカ)などを読むと、アメリカンドリームとはうらはらに、貧者やマイノリティにいかに厳しい社会で国家であったかがわかる。
 そのような疎外・差別された社会や集団に、ソ連共産主義と労働運動は魅力的なものだった。ソ連という実例があることと、生活協同組合で弱者支援をしたのが受けた理由なのだろう。しかし、1950年代の冷戦とマッカーシズムはそのようなユートピア的状況を一変させる。鉄のカーテンと共産中国の誕生に加え、ソ連原子爆弾実験の成功がアメリカを恐怖に陥れた。彼らが自力で原爆開発できるわけがない。アメリカの軍事情報をソ連に流したものがいるに違いない。そのような憶測があり、リスト化されていた共産党員やそのシンパが逮捕拘留される。その中から、アイザックソン夫婦が選ばれた。まず彼らの仲間のうち、セリグ・ミンディシュという歯科医を選ぶ。彼がスパイであることを告白し、関係者に夫婦がいることを証言する(司法取引の結果、ミンデュシュは起訴されずにすむ)。夫婦は1954年に逮捕された後、終始証言を拒否する。すぐさま、夫婦は誤認ないしフレームアップであるという主張が起き、即時釈放(のちに減刑)の運動になる(そこにダニエルとスーザンが呼ばれたわけだ)。夫婦はまるで殉教者のように裁判闘争を行う。
 この事件の重苦しいのは、彼を告発することになった歯科医が夫婦の所属するコミューンの仲間であり、彼らの運動の参加者でもあったこと。勉強家で知識のある夫婦は、この技量がなく知的でもない歯科医を見下したようにしていて、それが歯科医とその家族の重荷になっている。彼もまたFBIほかの捜査陣の圧力を受けたのだろう。そこにおいて、誰しもが「正義」や理念に準じて行動できるわけではない。そしてさらに重苦しいのは、事件のあと行方不明になったこの歯科医もまた社会から苦しめられたということ。事件による9年の懲役のあと、彼ら家族はニューヨークの街に戻れず、姓を変えてアメリカ西部に移住。彼らには労働運動や左翼運動の支持者はいない。ダニエルはなぜ両親を告発したのかその答えを聞き出そうとするが、12年の歳月の間に歯科医は認知症にかかり、ダニエルには無邪気な笑顔を向けるしかない。
 ダニエルの世代にたいし、両親の世代は結果としてひどく残酷なことをした。一方、ダニエルの世代は両親の世代を忘却しようとしする。互いに交通することはかなわず、問いを繰り返すことしかできない。父よ、あなたは誰だったのか、なにを私らに伝えようとしたのか。*1
(続く)

2014/04/22 E・L・ドクトロウ「ダニエル書」(サンリオSF文庫)-3

*1:「『旧約聖書』にある「ダニエル書」に2017年に世界や人類の終末・滅亡・破滅が示されている」という「予言」があるという記事がたくさんありますが、このエントリーには無関係です。そのような与太に惑わされないようにしましょう。