2022/11/29 宮本憲一「経済大国 昭和の歴史10」(小学館文庫)-1 1989年の続き
通常1970年以降はなにもない時代とされるのだが、それは時代を象徴する事件がなかったせい(というか類似の事件が多すぎた)。実際はこの時代から人間の孤立化アトム化が進行し、地域共同体が空洞化し、政治家の世襲による質の低下が始まったのだった。
異議申し立ての時代 ・・・ 市のコンビナート誘致を断念させた三島・沼津型住民運動など、公害反対運動。学生たちの全共闘運動。都市の市民によるベトナム反戦運動。50年代からの原水爆禁止運動、反基地運動、労働組合運動等も盛んにあった。
(当時の中では小規模で目立たなかった在日コリアンによる反差別運動、障がい者や女性解放の運動などは21世紀には市民運動・住民運動の主要なテーマになった。ここに書かれていないが、極右・カルト宗教の右翼運動が開始され、50年かけて日本の政権の中枢にはいった。)
新しい政治の流れ ・・・ 自民党の長期安定政権。中間政党の乱立(自民党左派、労組の右派などが小政党をつくっては自民党に吸収されることを繰り返した)。大都市をもつ都府では革新知事が当選した。ここでは上の異議申し立てを受けての公害対策、環境行政に注目する。しかし石原慎太郎が環境大臣になって、行政は後退する。
(ゴミ処理場を持つ住民はこれ以上建てるな自分のところで処理しろと主張し、ない住民はゴミ処理場は環境を悪化させるので建設反対という。これを本書では「正義の対立」としないで、エゴの対立とする。そのとおりでぶつかっているのは双方の利害。)
「戦後は終わった」 ・・・ 沖縄復帰運動と1972年返還。沖縄住民の要望は全く入れられず、自民党により対米従属を強めるだけになった。本土の基地が返還される代わりに、沖縄の基地が拡大され、米軍は協定違反で使用している。日中国交回復。中ソ対立などがあって、日本はこれらの国に国交を持たなかったが、ニクソン訪中からの国交再開に乗じるように、日本も文化大革命にある中国と国交を回復した(かわりに台湾と断絶)。反共の自民党も対米従属で節を曲げるということかな(ただし戦後は保守右翼人のほうが中国や韓国とのパイプを持っていた)。韓国は1960年代のクーデターから長らく軍事独裁政権が続いた。日本企業の投資はあったが、民間では交流はほとんどないまま。韓国の存在感が日本に伝わるのは、本書が出た1980年代後半に韓国製品が大量に日本に輸入されるようになってから。そして21世紀には日本で韓流ブームが起き、経済で抜かれるようになったが、日本では嫌韓の排斥、差別が起きている。
2013/07/29 T・K生「韓国からの通信」(岩波新書)
2017/05/19 文京洙「韓国現代史」(岩波新書) 2005年
混迷のなかへ ・・・ 1970年代前半の不況・スタグフレーション。アメリカの経済が停滞して国際通貨としてのドルが弱くなった。そこに産油国が原油を値上げしたので、インフレが進行した。ふり返ると、原油価格が安かったのは先進国の搾取のせいで、「フェアトレード」を要求されたら数倍の価格になったということだった。日本の輸出が好調だったのは、固定相場制で円安を強制していたから。変動相場にして市場で円を評価するようになったら強い円高になり、輸出が抑制された。このように20年間の高度経済成長は日本の力ではなく、アメリカの防衛戦略に乗っかっていたからだけというのがわかる(そのバックラッシュで、1980年代のアメリカは日本バッシングと費用負担を求めるようになる)。自民党の長期安定政権は汚職を生む。いくつもの疑獄、汚職事件が起こる。地方都市の文化が衰退。東京発の文化が全国を一律化する。
戦後世界体制の再編成 ・・・ 戦後の自由経済主義では、共産主義への対抗で社会福祉を充実する社会民主主義政策をとってきた。それは市民や労働者の不満を下げることができたが、戦争負担やインフレ進行により財政負担が大きくなっていった。経済の停滞もあって、社会保障を切り下げることになり、市民や労働者は不満になった。そこから新自由主義がでて、「小さな政府」「自己負担」を求める政治家がでてきた。レーガン(米)、サッチャー(英)、中曽根(日)が代表。ソ連他の社会主義国の低迷によって、新自由主義は人気になった。中曽根は行政改革や民営化などを進める。これは労組潰しのほかにはめだった成果はない。
いずこへいくか―世紀末の未来像 ・・・ 国際化(グローバリゼーション:1982年にはこの言葉があった)とマネーゲーム。外国人労働者(アジア、ブラジル、イラン、イラクなど)の増加。
ソ連が失墜、中国が近代化路線に変更したばかり、新興産業国が登場してきたがまだ先進国には遠い。日本は経済発展を続けていて、国際的な注目を集めるようになっていた。政府も国民も自信満々だった。しかし、「西洋に追いつき追い越せ」の目標を達成したあと、次のミッションをどうするのか政府にも知識人にもビジネスマンにも国民にもアイデアはなかった。できたのは「富める貧者の国」(佐和隆光/浅田彰、ダイヤモンド社)となってしまった。国はたくさんの利益をもっているが、個々の国民の生活は貧しく負担が大きく未来の展望を持てない。
本書では発行直後に起きたバブル崩壊は当然はいっていない。ここで目標を失い、自信喪失になった日本という国家と国民は内にこもるようになり、自画自賛をくりかえしているだけになった。平成以後を知っているので、本書の記述は古くなってしまって、あまり参考にはならない。著者の問題ではなく、国家と国民がかわってしまったからだ。