odd_hatchの読書ノート

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生井英考「ジャングル・クルーズにうってつけの日」(ちくま学芸文庫)-4 ヴェトナム戦争後に生まれたメタファー。記念碑、小説、迷彩服。

2014/07/14 生井英考「ジャングル・クルーズにうってつけの日」(ちくま学芸文庫)-1
2014/07/15 生井英考「ジャングル・クルーズにうってつけの日」(ちくま学芸文庫)-2
2014/07/16 生井英考「ジャングル・クルーズにうってつけの日」(ちくま学芸文庫)-3


 第3部の「象徴」を受けて、ヴェトナム戦争後に生まれたメタファーを紹介する。ここでは、さまざまな表現行為が取り上げられ、帰還兵だけでなく、行かなかった人々や送り出した人々も対象になる。当時のメディアからどうしても、本と映画に注目することになる。ヴィデオアートはあっても流通が難しかったし、

Ⅳ象徴とメタファー Symbols and Metaphors
10 記念碑 The Memorial ・・・ 1973年のアメリカの撤退開始からとりあえず、その国では戦争は「終わった」ことになるが、奇妙なことに戦争に勝ったか負けたかははっきりしない。もっともよく使われたのは「勝てなかった」であって、そのころから戦争を社会は忘却するようになる。それが1978年ころまで。そのために反戦帰還兵は、祖国の運動家ともどもはしごを外された、宙に浮かんだような状態に。1980年ころから帰還兵の回想が出版されるようになり、ベトナム帰還兵は体験の意味をまとめようとする。そこには様々な思惑(リベラルから保守まで)があり、多面的で混沌としたひろがりになる。それをワシントンに作られた記念碑設置運動にみることができる。また、1980年代になると、ヴェトナム体験を含めた「再点検」の思考が生まれるようになる。この戦争は、「ユニーク」で「アンコンベンショナル」な戦争であると反戦の側が使っていたのが、今度は新保守主義者によって同じ言葉で「だから次の戦争ではアメリカは負けない」という根拠にすり替えられる。あわせて、ヴェトナム未体験の世代が生まれ、帰還兵は彼らとのギャップに悩むようになる。
11 想像力ⅠThe ImaginationsⅠ ・・・ 1970年代の初期ヴェトナム小説について。帰還兵の書いた小説/ドキュメントでは、イノセントな若い兵士が不合理と無秩序な暴力世界に放り込まれ翻弄されるという枠組みで書かれている。彼らは無力(敵や自然、組織に対して)であり、後ろ向きの感情で365日を大過なく過ごすことに執着している。これがときに残虐行為に及ぶ。そこからの脱出や浄化の経路がないので、多くは暴力への傾倒と内幕暴露の告白になっている。善悪の二項対立に基づく倫理的判断をあらかじめ放棄しなければならなかったのだ。(1980年代のヴェトナム戦争映画がそういうフレームの物語だった)。
12 想像力ⅡThe ImaginationsⅡ ・・・ そのような紋切り型にならない文学として、ティム・オブライエン「カチアートを追跡して」1978とスティーヴン・ライト「緑色の瞑想」1983を取り上げる。
13 闇のような緑 Green, like the Darkness ・・・ ヴェトナムのジャングルには様々植物が繁茂しているが、そこでの戦闘服に迷彩仕様があったが使われることは少なかった。迷彩という点では、ヴェトナム戦争には北ヴェトナム政府軍・南ヴェトナム解放戦線と南ヴェトナム政府軍・アメリカが関与するというごった煮であったが、南にはオーストラリア、ニュージーランド、韓国等からの派遣軍があり最大時5万人の兵士が駐留していた。北にはソ連・中国が支援していた。1980年代にはその規模は後悔されていない。さらに歴史をみると、19世紀なかばにフランスが植民地化、1940年代にヴィシー政権と交渉した日本軍が駐留、フランスが撤退したあとはアメリカが傀儡政権を立てるなど、混沌としている。そのような迷彩状況も見たうえで、記述は1962年のケネディによるヴェトナム支援発表にいたり、本書の冒頭に戻る。
エピローグ Epilogue  ・・・ それまで戦争のヒロイックさとカタルシスはプロペラ飛行機の映像で描かれていた。ジェットの出現はあまりのスピードのために、カタルシスまでの物語を描けない。ヴェトナム戦争で注目されたのは、ヘリコプターの映像。それはヴェトナム戦争の映像イメージをシンボルとなった。とはいえ、その超低空飛行やカメラの解像度アップなどにより戦闘の被害や死者をも映すようになり、アンビヴァレンツな印象を観客にもたせる。そうしたうえで、「地獄の黙示録」に随行したクルーの「ここはディズニーのジャングルクルーズ(ディズニーランドのアトラクション)にそっくり」という言葉が紹介され、戦争が加害/被害の二項対立からはみ出るイメージやシンボルを持っていることに気付く。


 10章の「再点検」という見方はおもしろい。自分の見聞を思い起こせば、1980年代はこの国でも「再点検」「見直し」の時期だった。過去20年間のラディカルやリベラルが批判され、新保守主義が生まれるのがそう。思想でもポスト・モダンというのがあって、それは1945年以降の思想の前提(主体、政治参加、人間、ロゴスなど)への批判であった(とはいえ、批判の道具ではあっても、なにかの主張はなかったし、主張がないことを正当化する言説だったなあとおもう)。
 とりあえず読み終えた。1000枚を超えるほぼ600ページ(ちくま学芸文庫版)を読むのは大変な行為だった。では、それを読み終わり、章ごとのまとめを書いたあと、自分にヴェトナム戦争の総体や中心をイメージできたかというと、そういうことはない。むしとジャングルに迷い込んだ兵士のように、事実とイメージとシンボルがごっちゃになり、それぞれ無関係に飛んでいて、どれひとつとして手ごたえのない断片ばかりが手に残る。
 ヴェトナム戦争は「ユニーク」だったし、アメリカが勝てなかった「唯一」の戦争である、というのは、1990年代以後の戦争で覆されているのだろう。ヴェトナム戦争のユニークなところは、アメリカが軍事介入したユーゴ、イラン、アフガニスタンなどで繰り返されたし、「勝てない」状況が続き混乱をその国に残したまま撤退するというのも繰り返されそうな状態だ。ただ少なくとも軍隊がヴェトナム戦争で学んだことのひとつは、映像や証言を管理し、人々(ほぼ観客に相当)に自由な戦争イメージやシンボルを作らないというところか。最前線の兵士の銃撃戦や破壊された町、負傷者や死者、泣き叫び群集、都市の戒厳令やクーデターなどはもはや映像で流れることはない。政府高官や慰問団が軍の管理下にあるところで写した映像を流すだけ。帰還兵も証言したりドキュメンタリを出版することはなくなった。ハリウッドが作った湾岸戦争映画は「G.I.ジェーン」くらいしか思いつかない。湾岸戦争を経験した屈折したヒーローの登場するアクション映画、サスペンス映画というのも同様。そういう点ではヴェトナム以後の戦争のイメージとシンボルは矮小になったといえる。
 それでもいくつかの流出した映像は新たな戦争イメージやシンボルを作る。1990年の湾岸戦争では、空襲を受けるテヘランの超高感度カメラで映し出されるミサイルと高射砲弾の深夜の炸裂、誘導装置付きミサイルの先頭に取り付けられたカメラの映像。これらは「映画みたい」から「ゲームみたい」に変わる。これらのイメージとシンボルがエイリアンや存在感のない悪の組織と戦うアクション映画に転用されるにつれて、戦争の退屈さと残虐さ、自意識の肥大と矮小化が人々(ほぼ観客に相当)に意識されなくなる。そして人々はアトラクションやゲームのような戦争を求めるようになる。
(そういう傾向には「戦争の悲惨さを訴える」「命の大切さを伝える」ようなスローガンと運動は、うーん、なかなか人々に届かないのではないかなあ。とはいえ代替案はないし。この本を読んで、その他の戦争をテストケースにしてレポートしろというのもハードルの高い要求になる。)