odd_hatchの読書ノート

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生井英考「ジャングル・クルーズにうってつけの日」(ちくま学芸文庫)-3 地上兵や飛行兵その他の戦闘員たちが経験した戦争のシンボル。さまざまなヴェトナム戦争の「ユニーク」さによって、兵士の残虐行為や理不尽な仕打ちが詳細に描かれる。 

2014/07/14 生井英考「ジャングル・クルーズにうってつけの日」(ちくま学芸文庫)-1
2014/07/15 生井英考「ジャングル・クルーズにうってつけの日」(ちくま学芸文庫)-2


 第2部の「表現」をうけて、地上兵や飛行兵その他の戦闘員たちが経験した戦争のシンボルを見出す。ここは作中のなかでも最も陰惨なところ。さまざまなヴェトナム戦争の「ユニーク」さによって、兵士の残虐行為や理不尽な仕打ちが詳細に描かれる。 前の章が、戦場の兵士をほぼ取り上げなかったのと対照的。

Ⅲ表現と象徴 Representations and Symbols
8 心のなかの死んだ場所 Dead Spaces in their Hearts ・・・ 地上兵の戦場不適合と除隊後のPTSD(この時代にはこの言葉はない)について。極度の緊張と退屈の繰り返しで、感覚と判断が麻痺していく。戦争の目的や残虐行為は上官や従軍牧師に指嗾されたが、兵士自身の心の安定からも生まれることがある。そのような「ウォー・ゲーム」の退廃。ソンミ村のような残虐事件は、しばしば自軍兵士の死によって誘発され、そこでは死んだ兵士の復讐と遺志の貫徹という意味を持っていた。ここでは何名かの地上兵の凄まじい経験が語られる。塹壕や基地ですごすうちに、兵士間では人種差別が生まれない/解消することがあった。一方、1968-69年ころから兵士の、とくに黒人兵士の意識が変わってくる。公民権運動や反戦運動を経験した彼らは反レイシズムの活動を軍隊で行うことがしばしばだったという。そこでは、兵士間の人種差別は解消しないことがある。さて次の問題は帰還兵。彼らは、間違ったタイミングで意味のない戦争に行った愚か者とみなされるか、おぞましい経験をした怪物とみなされ、社会に適応できないことがあった。そのような社会の視線とは別に、兵士も自身の経験を語ち共感できる相手を見つけることができず、心理的に引きこもることがあった。「デッド・スペース(死んだ場所)」とは帰還兵がヴェトナム体験を押し殺すために作った心理の穴。そこに入り込むことで帰還兵は、社会との不適合や戦場体験の悪夢から逃れるようにしていた。最後のところは、ヴェトナム帰還兵の異常心理みたいなフィクションがたくさんつくられて(映画「タクシー・ドライバー」やヴェトナム帰還兵が登場するサイコホラーやサスペンス小説など)、彼らの偏見を助長することになる。
9 鳥の眼に映る戦争 War with Birds-eye ・・・ こちらは軍隊のエリートたちである空軍やグリーンベレーのまとめ。彼らは訓練期間が長く、エリート意識があったので、戦場の現場で深刻なギャップに直面することはなかった。飛行士たちは速いスピードで移動するので、攻撃の結果を目撃する機会が少ないのも関係している。ただ、任務中に機体が撃墜・墜落して捕虜になることがあった。捕虜は数年(5-8年)を収容所で過ごす。1973年の停戦協定で彼らは母国に返還された。通常の捕虜収容所と異なるのは、集団生活がいっさいなく、独房にいたこと。拷問もあり、ときには「転向したアメリカ兵」の役割を強要されることもあった。そこでは、オプティミストであるほど生還率が高い。内向的なものは抑うつ状態に陥ることもある。ここらの収容所の記述は、フランケル「夜と霧」と比べると興味深い。ナチス絶滅収容所での終わりなき牢獄でも、オプティミストや遠い将来への希望を持っているものは生還率が高まる。地上兵と違い、捕虜は「ヴェトナムの英雄」として優遇されたが、長期間の勾留による文化のギャップが家族の間で起こり、離婚率が高かった。彼らのエリート意識や高等教育、持ち前のオプティミストであることが、地上兵ほどの社会不適合の問題を起こさなかったといえる。


 このあたりは、映画やドラマによって固定化されたイメージによくあっている。というよりも、帰還兵らの小説、ドキュメンタリー、証言などがここにあるような典型を形造ったのだと言えるのか。
 「そうとも、俺は死の谷の影を歩いたってちっとも怖かない。俺様はこの谷でも最低のマザーファッカーだからだ」という文句をアメリカ兵はジャケットの背中に書いていたという話が引用されている(P161)。
 同じ文句を開高健が英文で残している。

Yes Though I Walk Though The Valley
Of The Shadow Of Death I Will Fear
No Evil For I Am The Evilest Son Of
A Bitch In The Valley. (「生物としての静物集英社文庫 P34)

 弾丸よけのおまもりとして、ジッポに掘り込ませたそうな。退屈、退廃、極度の緊張、その反動としてのはめ外しなど、平均年齢19歳の地上兵の心象がよくわかる文句。
 「8 心のなかの死んだ場所」で紹介される陸軍兵士の体験がすさまじい。彼が発した拳銃音は、孫引きで読んだ自分の心でずっと反響している。恐ろしいのは、彼の体験だけでなく、その決断をするに際し、軍隊は何の指示もせず(「君の判断にまかせる」としかいわない)、責任を負わないということだ。安楽死を希望する戦友に拳銃を発射する決断を国は19歳の若者に押し付ける。国は若者を戦地に遅らせるが、そのあとの面倒をみない。
 戦場の兵士たちの苦痛、帰還後の社会不適応、PTSD、ときおり起こる反社会的行動湾岸戦争イラク戦争の兵士も同様の問題を抱え込み、アメリカには彼らの就業支援や心のケアのプロジェクトがたくさんできている。それくらいに深く根深い問題。この国では、これらは対岸の火事であった。せいぜい15年戦争で兵士になった人のデッド・スペースをひそかに見聞するくらいだった(決して戦場体験を語らない元兵士はたくさんいた)。でも、集団的自衛権をもって、この国が直接かかわらない紛争に参加する自衛隊の人々が生まれそうなとき、ヴェトナム帰還兵の問題はこの国でも起こりうる。それは、この国に新たな差別を起こすであろう。われわれは、ひとりでも戦場に向かわせてはならないし、ひとりでも殺したりさせてはならない。

2014/07/17 生井英考「ジャングル・クルーズにうってつけの日」(ちくま学芸文庫)-4

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