odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

小田実「「ベトナム以後」を歩く」(岩波新書) 1982年ふつうの国のベトナムとジェノサイドのあとのカンボジアを旅する。

 1982年10月に2週間ほどヴェトナムとカンボジアを取材したのをベースに、1984年に出版した。この年にはまだ「社会主義諸国」があって、なんとかしよう/なんとかなるだろうという希望を持っていた時代だった。

1 「ふつうの国」としてのベトナム ・・・ 戦争の時代には「アメリカ帝国とたたかう独立の闘士」「民族解放の旗手」みたいな持ち上げられ方をしたヴェトナムが普通の国になろうとしている。膨大な傷病者、孤児、売春婦などがいて、公共財や生産設備はほとんど破壊、兵士を解放しても就業先がなく、多くの人が国外に脱出、アメリカの膨大な支援金がなくなった、というひどいマイナスからのスタートだった。
2 「オモテ」の理想と「ウラ」の活力 ・・・ 社会主義経済と自由経済の混在するヴェトナムの商売。この国の戦後の「闇市」に類似しているという視点で考える。
3 チマタの人びとにとっての「革命」 ・・・ 荒地を開墾して人々が住む「新経済区」と麻薬中毒者治療センターのルポ。重要なのは、チマタの人々にとって「自分の国になった」ということ。誇らしくしんどいことではあるが。
4 「自由」と「インテリ」と「文化」 ・・・ 北に包摂されるようにヴェトナムは統一されたが、南の「第三勢力」ほかのインテリたちの現状。および社会主義文化の貧しさについて。
5 虐殺にむきあって考える ・・・ 「社会主義の偉大な実験」であるポル・ポト政権の虐殺について。「文化大革命」との類似。ポル・ポトは農民も支持がなかった。カンボジア人はヴェトナム人を嫌うが、ポル・ポトを追い払ったヴェトナム「進駐軍」には共感を持てた。そこはこの国のアメリ進駐軍に対する感情に似ているかもしれないとのこと。
6 社会主義を根もとのところで考える ・・・ 社会主義は、人間が生きることについて個人の努力だけでなく、社会(共生体とか共働体とか)が責任を持って支援するという立場だとしよう(いろいろな考えを総合して)。そうすると、社会主義は資本主義よりも金がかかる。あと既存の社会主義(ほとんどはレーニン主義だな)だと、前衛がひた走り、人民は前衛になるべく努力が欠かせないという具合に、人々に高い倫理やモラルと困窮や欠乏に耐える事を要求する。そのように「人間の顔」を社会主義は失っているのだ、という批判。ここでは経済、政策から見た批判はなし。
7 「第三世界」を根もとのところで考える ・・・ 第三世界というと「中国」「ヴェトナム」を思い出すが(当時)、あまたある弱小の第三世界の国があり、資源はあっても資本がなく、食料不足に悩み、技術開発ができず、貧困から脱出がかなわない。ならば、第三世界の「自主独立」「自力更生」は第三世界の諸国の「非同盟」にあるのではないかというみこみ。
8 おまえのたたかいは終ったのか ・・・ 1980年代は「先進国(資本主義と社会主義両方の)の巻き返し」とみなすことができる。先進国が第三世界の「自主独立」「自力更生」を抑圧するように働いている。著者は第三世界とのかかわりあいで、弱者への寄り添いを自分のありようとする。そこで原則は、1)第三世界ほかの「失点」(虐殺とか戦争とか)をゆるしがたいものとしてとらえる、2)その失点を他人事ではなく、自分の(所属する国の)失点としてとらえる(加害者、加担者である自分を自覚する)。自分の努力で失点は正すべきであり、先進国も自分の失点をただし、よりよい社会にしなければならない。


 1983年当時では、世界の枠組みはこんな感じだった。まず、西洋の資本主義と社会主義の対立がある。いずれも大国のまわりに小国を従えて、どうにかして自分の陣営を広げようとしている。いずれにもはいらない国や人々は第三世界と呼ばれ、一部は資本主義のカイライや植民地であったりし、一部は独自の社会主義を作ろうとしている。もうひとつは、南北の格差があって、北はどんどん経済成長し(国によって差はあるが)、安定して自由と平等のある社会になっているが、南は経済成長から取り残され貧困と抑圧の希望のない社会になっている。こういう東西と南北の二つの軸があって、国はこの軸のどこかにプロットされるとみなされた。
 社会主義にはさまざまな問題があるにしても、資本主義の不平等と格差を克服する政治体制として、まだ信用されていた(というよりほかの選択肢を思いついていない)。にもかかわらず、このころには社会主義国の内部に問題があり、国家間の諍いがあって、急速に信頼を失っていった。
 先進国の巻き返しは、1970年代の反戦カウンターカルチャー運動が退潮になったときの保守層の巻き返しでもあった。そこでは、社会が個人の生活に責任を持つことは最小限にし、個人の自由と責任で生きろ(これはきれいな言い方で、儲けたら他の人には関心を持たなくてもいいという宣言)がスローガンになる。
 さて、四半世紀が過ぎて、社会主義国家のほとんどが政治体制を民主化して「先進国」では体制のさがほとんどなくなってきた。かわりに「第三世界」がかつてのようにひとくくりにすることができなくなった。かつて第三世界に数えられた国が経済成長に成功して、「先進国」の仲間入りをはたし、資源と人などのリソースのない貧しい国は一層貧しいまま世界に忘れられ放置されるようになっている。第三世界も一枚岩ではありえず、民族や宗教の不寛容がめだつようになり、国内の抑圧や国家間の戦争が起こるようになってしまった。そこでは、1980年代の東vs西、北vs南という対立軸を使えない。もっとたくさんの軸が必要か、あるいは国家や民族ごとの個別な事情をみないと、どこに「自主独立」「自力更生」を実現する組織やシステムがあるのかがわからなくなってしまった。
 もうひとつのうっとうしさは、この間の30年は、先進国も第三世界も「失点」を重ねまくっていて(戦争も内戦も虐殺も大量破壊も民主化勢力の抑圧も自国民の飢餓の放置も難民の放置も、ああいくつもでてくる)、その克服が遅々として進まない。いや責任を取った国や指導者がいない。人々が、その失点を克服しようぜ、仲良くしようぜというのに疲れている。いや、そういうガイコクのことより自分の明日の飯のタネをどうしよう、馘首されて路頭に迷うかもしれない、という恐れが自分を含めた人びとを委縮させている。
 ちょっと著者の意図を読み取らないようなレビューになってしまった。著者の主張はスローガンや思想としては文句つけるところはないのだが、彼の枠組みだと21世紀をみる物差しにならないのじゃないかな、そんな感じ(たぶん自分が疲れて不安になっているからだ)。