odd_hatchの読書ノート

エントリーは2400を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2020/10/13

早坂隆「世界の紛争地ジョーク集」(中公新書)

 海外にでかけてパーティや居酒屋によるごとに、人々のジョークや小話、アネクドートを採集する博物学者に開高健がいた。「オーパ」や「もっと遠く」「もっと広く」の旅行で集めたジョークや小話は「食卓は笑う」(新潮社) にまとめられている。ほかのエッセイにもよく登場する。ジョークを披露すると、パーティや居酒屋の人気者になって、特別な情報を教えてもらったり、おごってもらったり、コミュニケーションを円滑にできる。それに、ほかの国のジョークや小話を披露すると、それがその土地の新しいネタになって、数世代も語り継がれる可能性もあるから。

 同じようなジョークや小話の採集家が著者。このひとが作家と異なるのは、本職は中東から東欧を取材するジャーナリストであること。危険で渡航制限もあるような場所に行き、人々の暮らしを紹介する。彼のいった国や地域をこの本から抜粋すると、イラクパレスチナイスラエル、トルコ、シリア、アフガニスタンレバノン、イラン、ロシア、エストニアリトアニアアルメニアチェコポーランドハンガリールーマニアブルガリアマケドニアアルバニアセルビア・モンテネグロクロアチアボスニア・ヘルツェゴビナ、ロマ、クルド人北朝鮮ミャンマー、フィリピン、カンボジア、ネパール、インドネシア、インド、モンゴル、中国となる。2004年にまとめられたから、その前の10余年の取材の成果が表れているとみてよいだろう。その間に湾岸戦争、旧ユーゴスラヴィア内戦、911事件とその余波があり、取材先の国や地域では死者が多数出るような戦闘があった。それがないようなところでも、監視社会・警察国家が人々の自由を束縛し、簡単に人を逮捕し、時に拷問し虐殺することがある。多くの人は口をつぐまざるをえない。その中で、居酒屋や一膳飯屋でジョークを教えてもらう。そうすると、ジョークの後ろ側の本音が透けて見えるというわけだ。
 開高健がどこかでいっているように、社会の監視や警備が厳しいほど、ジョークや小話がさえてくる。その辛辣さや風刺、一方での巨大なユーモアが生まれて、たくさんの傑作がある。これは人間の創作活動の逆説であって、この国でもそういう例があると思うと悲しい(そうすると、この国の昭和10年代にはジョークや小話の傑作が生まれたはずだが、網羅したものは見たことがないなあ)。このジョーク集でも、解説では内戦、地雷、逮捕-虐殺などの事例がたくさん書かれていて、ジョークの優秀さとうらはらの現実の落差に呆然とする。笑いと悲しみが同時に襲ってきて、人間は度し難いといういやな気分を味わうことになる。

 ただ、自分のような書斎の博物学者・収集家からみると、ここに収められたジョーク、小話、アネクドートのたいていはかつてどこかで読んだもの。かつてはヒトラースターリンを揶揄の対象にしていたのが、取材当時の権力者に切り替わって語られているし、馬車がタクシーに変えられる程度のアレンジがされていたり、宗教テーマではまったくおなじものがあったり。時には数百年、数千年前のジョークがほぼ原形のまま語られる。まあ、そういうものだ。人々の口移しで残され伝わるものは、伝統と格式が必要で、新作はそう簡単に人の口の端に残ることはない。
 過去にでたジョーク集でこの本と同じ主題を読めるのでは、平井吉夫「スターリン・ジョーク」(河出文庫)、三浦靱郎「ユダヤ笑話集」(現代教養文庫)が双璧。