odd_hatchの読書ノート

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司馬遼太郎「空海の風景 下」(中公文庫)

 下巻は恵果から密教の法を伝授され、帰国後、密教の指導者になるまで。多くのページでは最澄との関係が描かれる。

 自分もよく知らない時代なので、年表を形式で空海の後半生をまとめておくことにするか。
805年: 最澄帰朝。最澄高雄山寺でわが国最初の灌頂を行う。8月上旬、空海は恵果から伝法阿闍梨位の灌頂を受ける(免許皆伝にあたる)。遍照金剛の灌頂名を授かる。
806年: 桓武天皇死去。平城天皇即位。10月空海帰朝。
810年: 「薬子の乱」。前年に即位した嵯峨天皇に権力が移る。
812年: 11月15日、高雄山寺にて金剛界結縁灌頂を開壇。入壇者は、最澄、和気真綱・仲世など。
 このあとは835年62歳で死去するまで、八面六臂の活躍を見せる。すなわち、密教を体系化したくさんの書物を執筆し、、密教で使う儀式の道具の作り方を指導、書を書き寄贈し、詩歌を作り、弟子を指導し、灌頂の儀式を執行し、論敵である奈良仏教や最澄らと論争し、寺を経営し、高野山に私寺を作るべく奔走し、讃岐の国で灌漑工事を指導し、嵯峨天皇に書や詩歌を教え……。宗教者であり、思索家であり、詩作家であり、書家であり、経営者であり、教師であり、技術者であり、起業家であり、一体いくつの顔をもっているのやら。まあ、ひとりで行うこととしては質量ともに個人でできる範囲を超え、それぞれの分野では世界的なところまでもっていっている。そして密教は中国では道教に押されて滅んでしまったのに、異国であるこの国では依然として重要な宗派として残る。というのは、空海の作った伝承のシステムがうまく機能し、かつ政権や知識人の支持を得られたということだ。ここでも組織者、政治家としての力が発揮されている。
 自分は仏典にはまるでなじみはないので、じつのところ、作家がかなりわかりやすくまとめた密教の考えがよくわからないのだ。どうしても西洋哲学風に考える癖をもっているので(クラシック音楽を聴いたり、自然科学を学んだりすると、西洋哲学に触れざるを得ない)、書かれた言葉や記号でもって知を他人と共有するという仕組みに慣れている。ところが、密教ではそうではない、と。師と起居を共にするくらいの生活と瞑想でもって、宇宙の真理を体得するのである、とか。こんなまとめで正しいのかしら。そのうえ、密教の本義は書を読んでも会得できないという。ときに古本屋に空海全集の片割れをみたりすることがあるので、もしかして気が向いたら読んでみたいと思っているが、それは最澄空海から叱咤されたように密教を学ぶ態度としては誤りなのだろう。
 散漫なものいいになったのは、自分の無知にあるので。面白いのは、これが最初ではないにしろ、外来の文化を輸入・紹介し、この国に適合したものに変えた人であった。面白いのは、最新思想といっしょにサブカル(と書や詩歌をそういってよいのかは異論噴出しそうだが)を持ち込んでいること。サブカルでもって現代思想を相対化するようなことは昭和に入っての評論家や作家に多くいたけど(資本論と探偵小説を同時に読む昭和10-20年代の作家とか、フランス現代思想と漫画やCGを一緒にかたる80年代のポストモダンの連中とか、今でも思想とアニメを同列にかたるのはたくさんいるよな)、まあそのはしり、みたいなものかな。スケールが違いすぎて同等に語るのもおかしいか。