odd_hatchの読書ノート

エントリーは3200を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2024/11/5

中江兆民「三酔人経綸問答」(岩波文庫)

 初出は1887年。もはや原文を読むことはかなわない。そこで桑原武夫による現代語訳でよむ(とはいえ「メートルがあがる」なんていう昭和20年代の流行り言葉がでてくるので、「現代」と呼ぶにはちょっと。「メートルがあがる」の意味がわかる人はすくなくなったはず)。
 内容は、南海先生、洋学紳士、豪傑君の3人による政体論、戦争論など。それぞれがどのような主張をしているかは別に詳しいし、とくにここで要約することはしない。解説では、洋学紳士の子孫が馬場辰猪とか幸徳秋水などののちの社会主義運動に通じていき、豪傑君は北一輝のような民族主義運動につうじていくという。その点で、ここに書かれた思想は後の日本思想の流れを予測しているものだという。南海先生の穏健派もまたひとつの龍脈をもっている。
 自分が面白いと思ったのは、
・豪傑君の主張は、戦争の感情的な肯定で、隣国に没落している国があれば、さっさと占領しわが国の思想でもって改革してしまおう、そうすることが隣国の利益になるというもの。初出の8年後に日清戦争が始まり、おおむね彼の主張でその後の70年の国家政策が決まった。そこにたとえば多木浩二「天皇の肖像」を重ねあわす。明治20年代が、不可視で中心不在かつ下からの自発的な追従を基礎とする「天皇制」「中央集権制」が確立していったということを思い出そう。あと鶴見俊輔「戦時期日本の精神史」(岩波現代文庫)にも重要な指摘があるのであわせて押さえておくように。
・洋学紳士の主張は、小国の民主主義国家の確立と、世界連邦の成立を目指すコスモポリタン。国家を止揚するという考えなのか。まだ国家の廃絶を目指すアナーキズムインターナショナリズムは紹介されていなかったのかもしれないし、その主張は過激にすぎると思われていたのかもしれない。それらの登場は1900年にはいっての明治40年代になってから。中江の弟子たち(比喩です)がひとり立ちしてからだった。
・南海先生の主張は、それぞれを折衷する穏健かつ現実主義的なもの。当面、立憲君主制で人民の教育を待つことにし、周辺諸国とは外交でもって協調し、もし侵略あれば民族戦争に切り替え外敵を打つべし、という感じ。その中で民権には2つの種類があり、回復の民権と恩寵の民権があるとの由。
・1887年という時点で、先進国とみなされているのは、イギリス・フランス・プロシャ・ロシアの4カ国。アメリカはまだ視野に入っていない。清が没落国家で、帝国主義の侵略に置かれているという状況。少なくとも昭和20年までは国内の民主主義化と、国外への侵略肯定が同居しているのはごく普通のことだったろう。たぶん中江のこの本でも、そんな臭いはしていると思う。
1887年の初出はたとえばエンゲルス「反デューリング論」とほぼ同じ時期であるということ(まあ、ニーチェツァラトゥストラ」も無理やり入れられるか)。この二著の差異よりも、同時代性を考えたほうがよいかもしれない。後進国家として帝国主義世界に突然、押し出された日本の戸惑いと、同じような境遇で少しばかりの先進性をもっているドイツ(プロシャ)への憧憬みたいなのが、ここに書かれていて気になり、同時期にドイツの資本主義批判と比べてみたくなった、ということ。
・「反デューリング論」を上げたのは、この中江の著作でも同時代の最先端科学やジャーナリスティックな国際感覚がよく出ているなあと思ったので。「反デューリング論」にはヘッケルやフンボルトの進化学や生態学が紹介されていたが、中江も最先端理論としてのダーウィンの進化論やスペンサーの社会進化学を持ち出してる。明治維新直後には、これらの紹介などなかったはずで、それから20年でいかにすばやい思想の紹介があったのか、におどろく。さらには、ここにはディドロ、ルソーなどの啓蒙主義や民主主義といっしょに、カント「永久平和のために」も紹介されている。このあたりのすばやさに驚愕。

  

<追記 2014.10.2>
「メートルがあがる」という訳文がでてきたところ。