故ジャコビイ・バーナビスの創立したロンドンの出版社は老舗で、(書いていないけど)大戦の影響も受けずに安定していた。この会社はジャコビイの親族(いとこばっかり)で経営されている。本来は、トムという甥が後を継ぐべきだったのに、なぜか20年ほど前に失踪していた。それも警察官が監視している目前で消失するという不可解な状況で。
この会社には19世紀前半の稀覯本「いちゃつき」の原本があって(「我が秘密の生涯」みたいなポルノなのかなあ)、金庫に厳重にしまわれていた。さて、この本を目玉にしたいと考える取締役の一人が行方不明になってしまう。よくあることなので、気にしないでいたら、失踪したポール・ブランドが金庫の中で死体で発見された。死因は一酸化炭素の中毒。金庫の密閉性が高いので、事故かと思われたが、通風孔にホースがつながっているのがみつかり、死亡時刻をおもわれる金曜の深夜、会社のビルのわきには自動車が停車していたのが目撃されていた。ここで殺人事件に切り替わり、検視審問が開かれる。そこで証言されたのは、ポールは妻ジーナ(アメリカ人)と不和であり、離婚協議中。ジーナはもう一人のわかい取締役マイク・ウェッジウッドと仲が良く、ポールの死亡直前にマイクとポールが妻をめぐっていい争いをしていた。そこで、マイクが逮捕起訴される。会社としては醜聞が広がるのがよくないというわけで、もう一人の取締役である老人のジョンがジャコビイの息子で今は法曹界の重鎮であるアレクサンダーを読んで弁護にあたらせた。
そして、なぜこの会社に関係しているのかよくわからない素人探偵アルバート・キャムピオンが捜査を開始する。なぜか警察もこの青年(といっても35歳)にやさしくて、彼の捜査を邪魔と思わないばかりか、情報を提供してくれる。
1936年作で、江戸川乱歩が探偵小説ベスト30のひとつに入れたので、名は知れている。とはいえ、翻訳は1956年に初版が出て、1996年まで再販されないというまことに不幸なめぐりあわせになった。誰も読むことができなかった「幻の名作」であったのだ。
さて、今日の眼で見ると、とても優雅。会社の重鎮が逮捕されても関係者はあまり深刻にならないし、弁護人の仕事も悠長なもの。探偵だって、無駄話をしているばかりで、推理の冴えを披露するわけでもないし、かといって危険な行動をとるわけでもない。文学的というのがこの作をほめる評価なのだが、どこがそうなのかしら。たぶん、舞台劇みたいな進行で、それぞれが個性的なおしゃべりをして、通いの女中やら秘書やら今はタレコミ人になっている元犯罪者やら退職した警部などの脇役までもが、「生き生き」としているのが、評価のもとになるのだろう。あいにくこの翻訳ではそこまでの妙味を味わうわけにはいきませんでした。
事件の解決はふたつあって、ひとつはポールの中毒死の謎。もうひとつは20年前のトムの失踪と稀覯本「いちゃつき」の行方(半分くらいのところで19世紀終わりのころの写本とわかる)。いずれも現代のスレた読者には「なんじゃこりゃ」というようなもの。それくらいに優雅なのだ。困惑するのは、探偵の口にする「解決」が真実なのかはっきりしないこと。探偵によってあきらかになった「真犯人」は処罰されたもの、さあそれを書かれた通りに納得できるかというとそうでもない。最後に探偵は、失踪した男を見つけ、その男から「無限の哀訴と無限の友情を込めてまるで別世界かと思うほど遠いところから彼を見つめ」おがくずだらけの菓子パンを受け取る。誰がくれたのかと尋ねられ、「死刑執行人」と答える。この答えがよくわからない。結局、探偵小説風のカタルシスのないまま小説は終わる。それにタイトルの意味がよくわからなくて。判事の思い込みが探偵たちの働きで覆され真実に至ったのだが、感情で判断する判事たちへの揶揄? それも違うような。ここらへんが今日の評価をさげるところかな。
(失踪した男の父はジャコビイの弟で兄に頭があがらない。結婚しても兄が認めないので、母は不幸な一生だった。それの憤懣が失踪の原因になったが、そのときのある行動が20年後のポールの事件を起こした理由になってしまった。そこが「死刑執行人」といえる所以かもしれない。ちょっと無理な考えだなあ)