弁護士事務所が舞台になる探偵小説は久しぶりだなあ。古いのは浜尾四郎や大阪圭吉が書いていたし、昭和では和久俊三などが法曹ものを書いていた。弁護士や検事の出身者が探偵小説作家になることは珍しくはなかった。それが平成以降になると激減。本書は久しぶりの弁護士もの。
しっかり書けているなあと感心したが、作家紹介によると元弁護士で、60歳を過ぎてから執筆活動を開始したという。なるほどこの小説からわかるのは、才気よりも観察力があり、細部までの目配りがしっかり行われているということだ。給湯室になにがあるか、どういう仕事でどういう配慮がいるか、しっかり描いている。実際の仕事をみている/やっているからこその描写だと安心して読めた。
とある弁護士事務所に勤める花織は、先生に寄せられる依頼を盗み聞きしては、“おしゃべりする猫”のスコティと噂話に花を咲かせていた。ある日、愛らしく気高くちょっと生意気なスコティが、推理合戦を仕掛けてくる。「もしいま先生が殺されて、金庫の中身が盗まれたら、犯人は誰だと思う?」。金庫に入っているのは、5カラットのダイヤ、資産家の遺言書、失踪人の詫び状、12通の不渡り手形。怪しい依頼人たちを容疑者に、あれこれと妄想を膨らますふたり(1人と1匹)だったが、なぜか事件が本当に起きてしまい―。現実の事件と、謎解きに興じる“しゃべる猫”の真実は?ミステリ界注目の気鋭による、猫愛あふれる本格推理。
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民事しか扱わない弁護士なので、現在進行中の案件は、離婚の準備、遺産相続書の管理、使い込みをした経理社員の告訴準備。「5カラットのダイヤ、資産家の遺言書、失踪人の詫び状」があるのはそのため。依頼人たちは、これらを必要としそうな動機があり、数日前にも所内で騒ぎがいくつもあったのだ。それを聞いている事務員の花織は人語をしゃべる猫スコティといっしょに探偵小説のプロットを考えていたのだった。どちらも大のミステリ好きだけあって、いいかげんな犯人をつくることができない。ついにスコティが花織を犯人だとなざししたとき、事務所に誰かが侵入し、プロットとは違って花織が襲われてしまった。
というのが第1部。続く第2部は第1部の事件の読み直し。すでに花織とスコティの推理によって、事件の関係者は全員シロであるのが判明している。そうすると、新たな証拠をもとに事件を再構成しなければならない。それを依頼された別の刑事事件専門の弁護士は第1部の記述に着目する。第1部は「信頼のおけない語り手」であるが、とても正確に事態を書いている。その切り分けをすることによって、事件の謎解きが可能になるのだ。というわけで、探偵小説は実は言語分析ととても近しいところにある、あるいは「夢判断」に近いことがわかる(フロイトの「夢判断」は夢そのものを分析するのではなく、夢を語るテキストを分析しているのだ)。新たな弁護士の第1部読み替えは見事。それが手掛かりだったの?と叫んで、おもわず再読することになりそう。
この小説の後味が良いのは、35歳独身の女性事務員を見る目が温かいところ。読後思えば、70歳の高齢老人しかいない事務所に、ほとんど人が訪ねてこなくて、猫としゃべり、休日も出勤するという勤務はとても孤独なように見える。でも、彼女の日常は誇り高く、充実しているのだと、作家は突き放さない。謎が解決した時、男性作家だと女性に同情しても共感しないだろう。この人にも人権があるのだ、人間らしく扱われるべきなのだと作家はいう。
2016年刊。
<参考エントリー>
ドストエフスキー「分身(二重人格)」
2018/08/31 フィリップ・K・ディック「時は乱れて」(サンリオSF文庫) 1959年
2018/08/03 フィリップ・K・ディック「パーマー・エルドリッチの三つの聖痕」(ハヤカワ文庫) 1965年
2018/07/02 フィリップ・K・ディック「アルベマス」(サンリオSF文庫)-1 1985年