odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

エミール・ガボリオ「ファイルナンバー113:ルコック氏の恋」(KINDLE)牟野素人訳-1 要塞のような大金庫からの大金盗難事件

 原題Le Dossier 113は1867年に出版された。本邦では明治23年黒岩涙香翻案で『大盗賊』の題で出て、ほかに戦前に複数の翻訳があった。戦後の翻訳はこれだけ。

 186*年2月28日火曜日(日付と曜日が合うのは1860年1864年と1869年)、両替商フォヴァル氏は仰天した。その日にクラムラン伯爵が35万フランを引き出すことになっていたので、前日に現金を手配させ、要塞のような金庫に収めたのに、金庫は空なのだった。鍵と秘密の暗号を知っているのは頭取のフォヴァル氏と主任出納係のプロスペルのみ。暗号は前々日に出納係が変えていたので、容疑はプロスペルにかかった。警察が尋問すると、プロスペルはギャンブルに熱中しているうえ、フォヴァル氏の姪との縁談を引き延ばしている一方で別の女性に入れあげているようだし、なにしろ犯行前日のアリバイを答えない(ボアゴベ=黒岩涙香「死美人」と同じ展開だ)。野心的な刑事ファンフェルローはこいつは星ではないとにらんで、プロスペルの隠し手紙をみてジプシーと名乗る愛人のところにいく。手紙の指示にのせるようにして、刑事が良く知っているホテルにかくまったが、数日後には行方不明になってしまった。しょげるファンフェルローの前に現れたのは老練なルコック氏。彼は刑事が未熟なところを次々指摘するものの、プロスペロ無罪の証拠を見つけ新しい捜査方針を示すのであった。ルコック氏がプロスペル免訴と釈放のために書いた書類がファイルナンバー113。
 釈放されたプロスペルのもとにヴェルデュレーという見知らぬ男が近づき、君を助けるよう父に頼まれたといってきた。信用できそうなので、彼の言う通り「アメリカに行く」とふれあるく(そういえば1866年のドスト氏「罪と罰」でもスヴィドリガイロフが同じことを言っていた。南北戦争が終わるとアメリカは再び移民を受け入れる国になったのだ)。ジプシーに会いに行くと、なぜかマドレーヌもいて、プロスペルは二人から絶縁されてしまう。マドレーヌはプロスペルの畏友ラゴールと仲がいい。どうやらラゴールになびいているようだ。失意のプロスペルにヴェルデュレーはクラムラン伯爵は稀代の悪党であり、ラゴールはその手下なのだ。フォヴァル氏の妻もクラムランの支配下にあるといい、フォヴァル氏が仮装舞踏会をするので、そこに忍び込むことにする・・・
 エドガー・A・ポーのデュパン物などで短編探偵小説ができたあとの、世界第2作目の長編探偵小説。探偵小説の趣向はそこかしこにあるのだが、込み入った人間関係がいきなり整理され、犯人がすぐに説明されるのはなんとも。これはひとえに読者が育っていないからであって、新聞か雑誌の連載であっては作家が説明しないと筋を追いかけられなかったのであろう(このあと犯人当て探偵小説になるのが1920年代であるとすると、合理主義論理優位の読者が生まれるのに60年はかかったのだ)。21世紀の読者にはものたりないところではあるが、そこはこらえて電気も電話も自動車・自転車も上下水道もない時代の社会をそうぞうしながら読もう。

 探偵小説の読み方で興味をひくのは
・主題は要塞のような大金庫で、鍵を持ち暗号を知っているのは二人だけでどちらも容疑者ではないという不可能犯罪。鍵穴の周辺に強くひっかいた傷があり、誰がつけたかわからないという手がかりもある。
(19世紀半ばには銀行と金庫というシステムが確立していた。西部劇によく銀行強盗がでてくるが、アメリカ西部の田舎町でも銀行には立派な金庫がついていたものだ。また35万フランという大金を出金したので、銀行は紙幣のナンバーを控えていたという。)
機械トリックも錯誤トリックもない時代なので、解決は21世紀の視点ではちょっとなあ、というもの(でもドスト氏の小説と同時代、明治維新のころなんだぜ。)

・テクノロジーと資本主義の遅れは仕方がないが、それでも小説からは鉄道と電報があってフランス全土を覆っていた。それに、鉄道よりも電報のほうが伝達速度が速く、パリから逃亡しても途中駅や終点で逮捕することができた。

・この時代はポートレート写真を撮るのが流行ったころ(なので幕末志士の写真が残っている)だが、犯罪現場を撮影して証拠にしていた(サマリーの金庫の傷は写真を見ながら検討した)。科学捜査が始まっていたのだね。

・当初の探偵はファンフェルロー刑事。この人の足を使った(頭を使わない)捜査は早々に行き詰まる。そこで登場するのがルコック。この複数の探偵はのちにフィルポッツ「赤毛のレドメイン家」クロフツ「樽」で踏襲。このルコック氏、人前に現れるときは常に変装していて、素顔をみせない。本書でもヴェルデュレーに成りすまして捜査を続ける。ひとり複数役や仮面を使った変装はのちの通俗探偵小説によくあらわれる(ルブランのルパンや乱歩の明智小五郎、映画の多羅尾坂内など)。そういう素顔を持たない誰にでもなれる人の始祖がルコック氏。こういう素顔や主体を持たない人物、常に仮面をかぶったパーソナリティは近代や都市が生んだのだろう。

・そのルコック氏も謎の老人タバサにはかなわない(「ルルージュ事件」「ルコック探偵」に登場。本作には未出演)。

 


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2023/07/18 エミール・ガボリオ「ファイルナンバー113:ルコック氏の恋」(KINDLE)牟野素人訳-2 20年前の三角関係が今を苦しめる 1867年に続く