あの長大な「ゴヤ」を書き終えて(朝日ジャーナルに長期連載)、スペインに移住することにした1977年から79年にかけてのエッセイ、インタビューなど。ちょうどスペインのフランコ総統が死去したときに現地にいたので、そこでのてんやわんやが面白かった。とくにスペイン国内ではみんな沈黙(次の政権がどうなるか不明だったからだろう。政権を担当できる組織がなかったようで王様が乗り出すことになった)、いっぽうピレネー山脈を越えたフランスではスペイン系の移民、出稼ぎ労働者がお祭り騒ぎだったとか。
さて、短いエッセイの集積なので、個々の短文に触れても仕方がない。最重要な指摘は引用しておこう。
「世界もまた世の中であり、世間であるにすぎぬと覚悟出来るためには、ひとつの必須の要件があると思われる。/それは、自国の歴史を徹底的によく知ること、また相手国の歴史をも、ひょっとしてその当の国の並みの人々よりも一層に深く広く知ること、である。(略)/しかもそのうえで、何をどう見るかという視点の問題もあるかもしれない、と付け加えておきたい。(P191)」
彼の小説や評論、エッセイはこの考えの実践であることを指摘すると、納得できる。「ゴヤ」に限っても、18世紀スペインの寒村生まれの粗野だがしかし画力をもち、自己プロデュースに優れ女好きで、生涯絵筆を離さず西洋中を行脚した巨人の生涯を描きながら、ナポレオンやベートーヴェンを語り、あわせて当時の政治状況をまとめ、さらには宗教改革期からフランス革命までも眺望してしまう。こういう実践はまず目にすることはないのだということを覚えておくことにしよう。
彼に教えてもらったスペイン史を勝手にまとめると、スペイン中央は木々の多い沃野であってローマ時代には多くの橋・水道などの建築物が作られた。のちにゴート人が来たとき彼らは略奪集団であったのだが、その後イスラムに占領されたとき、イスラムは大変寛容な政策をとり(改宗を強制しないなど)、ローマ時代の遺跡を有効に活用した。その数百年ののちレコンキスタの掛け声でキリスト教徒がイスラム人を追放したが、彼らは再びローマとイスラムの施設を破壊し、今では使用できない遺跡にしてしまった。同時に、森林も破壊され、いまだに回復しない。その後、王政になり、共和制になり、軍事独裁になり、共和制になるという変遷を百年ほどの間に経験した。そこで流れた血の量はいかほどであったのか・・・
またここにはスペイン市民戦争からフランコ死去までのスペインで起きたことで、著者が見聞きしたことが点描されている。過去に市民軍に参加しアメリカに逃亡することになった老人(彼は孫に市民戦争時代の軍歌を教えていた)や、リンカーン旅団に参加した老人とホテルのレストランで会話するなど。これらがのちに「バルセローナにて」(集英社文庫)にもっと長くまとめられるのであって、著者が小さな経験をいかにふくらませるかを検証できる。