odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

堀田善衛「ミシェル 城館の人1」(集英社文庫)-1

 ミシェルは「随想録(エセー)」を書いたミシェル・ド・モンテーニュのこと。1533年生まれ1592年没というから、この国では戦国時代にあたる。織田信長(1534-1582)、豊臣秀吉(1537-1598)、明智光秀(1528-1582)らを並べると親近感がわくだろうか。もちろん高校の歴史や倫理社会(昭和の課目)では、簡単に通り過ぎてしまう。名前と書名とユマニストの一人くらいを覚えておしまいになるだろう。しかし堀田善衛の目と筆を通すと、彼はこの時代がよく理解できるとても興味深い人物になるのだ。それこそ堀田善衛が送ったスパイであるかのように(「ヴェラスヶスの仕事場に私の派遣したスパイ」( 堀田善衛「美しきもの見し人は」(新潮文庫)-1 )。とはいえ、

「筆者である私が、この面倒な大人物にとりついてみたのも、この人に、感情の起伏もまたきわめて自然な、一種の全的な、トータルな人物像を見る、と思ったからのことであった。(P226-227)」

というから一筋縄ではいかないけったいな人のようなのである。


 ミシェルという人の生涯も面白いのであるが、その前におおざっぱに15-6世紀のヨーロッパを見ておく。十字軍遠征によってヨーロッパの外にも世界があると気付いたヨーロッパ人は公益を開始する。その結果、北イタリアの諸都市に富が集まり、商人やブルジョアたちの自治ができたことから、人間に関する観察と思考をするようになる。思考の誘いになるのがギリシャやローマの古典であるとなると、おのずと異教的にもなっていく。世にいうルネサンス。ヨーロッパを自由に移動していた知識人(当時は僧職か教師)はその思想を伝搬させていく。必然的に王権や教権への批判を持つようになる。同じ時期に、教会の腐敗に憤る僧職らから教会改革の運動が起きる。以上がだいたい15世紀の状態。これらの動きは地域的でフランスにはあまり影響はなかったが、16世紀になると変化が起きる。
 フランスというが、今の国の領域には複数の言語圏があって統一されたエスニシティはなかった。そこに北フランスの言葉オイール語を公用語とする勅令がでて、南フランスで使われる言葉(オック語、カタルニア語など)が教えられなくなる。同時にドイツ地方の改革派プロテスタントがフランスで影響力をもつようになり、カソリックの王権と対立するようになる。プロテスタントがおおむね地方の領主と貴族、下層民や言語的マイノリティなどで信仰されるようになり、 権力の中枢に近い人々のカソリックと対立する。さらにはイタリアとは政治的緩和になり戦士として騎士は仕事がなくなったので、宗教のイデオロギー闘争に参加。結果、宗教集団が軍隊化する。そこにスペインを通じてアメリカから金銀が流入。インフレが起きて貴族・農民(主にカソリック)が大打撃、一方商業金融業(プロテスタントが多い)は暴利をむさぼる。そこにメディチ家から嫁いだカトリーヌをトップとするフランス王権は財政破綻があって、強い指導ができない。政治経済的な問題でさまざまな階級、宗教集団が角突き合わせ、ときにテロ、虐殺がおきていたのだった。16世紀はフランスのルネサンスの時代であったが、かように不安定と不寛容であった。
 そのうえドイツの諸侯はプロテスタントの支援に軍隊を派遣し、フランスの内乱(後年は宗教戦争と呼称されるが実態は王権をめぐる派閥争い)に乗じて、イタリア、スペイン、イギリスの諸侯が政治的軍事的経済的な介入を繰り返す。そのたびにフランスの王権は懐柔策から強硬策までをとることになり、後継ぎは頼りなくカトリーヌ一人が獅子奮迅の働きをしなければならない。地方とパリでは利害と宗教と言語が異なり、それぞれが自分の思惑でもって動いている(フランスをめぐって各国が協調対立する情勢不安はこの後20世紀後半のEU設立まで続くことになる)。

「中央と地方とを問わず、戦乱と社会的騒擾は、人々の頭と胸を掻き乱していたのであった。そうして戦乱と騒擾はまだまだ、この世紀の末まで断続的に続くのである。/後年のミシェルがそうであるように、当り前のことを、当り前の口調で語ることがもっとも困難な時期なのであった。(P358)」

トリビア。国民議会にあたる三部会が、貴族、僧職者、市民の、この三者の代表によって構成されていたというのは奇妙なことに思えるが、僧職者は教育を受けた人々なので社会のどこにでもいた。いないと実務や事務手続きができないので。僧職者は王権とは別に強い組織を持っていて、説教・ミサなどを通じて市民との交流があったから、政治や社会に強い影響を及ぼした。ときに異教徒へのジェノサイドを扇動することすらあった。ここはアメリカやアジアとは異なるところ。)

 

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2022/08/22 堀田善衛「ミシェル 城館の人1」(集英社文庫)-2 1991年に続く